第79話 アレク、責任の重さを知る

 天竜祭まで残り五日。ボクは忙しい日々を送っていた。


 ギリーのお陰で健康は保たれているが、とにかく使える時間が一刻たりとも無駄に出来ない状況なのだ。


 ちなみに、今日の午後は商業ギルドで、打ち合わせを予定している。こちらはポーション作成の進捗状況報告と、薬師ギルドへの対応方法の相談が目的である。


 更に午後からは、ミスリル級クラン『黄金の剣』と合流する予定となっている。こちらは対悪魔用結界の整備を進める為である。結界については、今のペースなら前日までにギリギリ準備を終えれそうな状況だ。


 そして、夕食の時間はギリーやアンナ達から、訓練の状況を確認する時間である。それはまあ必要な事なので問題は無い。


 しかし、二日に一度はアンリエッタが夕食に同席している。装備関連の調達具合が知れて助かってはいるが、自分のクランは放っておいて大丈夫なのだろうか?


「先生、おはよう御座います!」


「「先生、おはよう御座います!!」」


 ボクは掛けられた挨拶に意識を戻す。どうやら忙しさのあまり、思考が別の場所へ飛んでいたらしい……。


 挨拶をくれたのは、リア、シア、カイルの三人である。今は師匠として、彼女達に仕事前の顔出しを行っている所だ。


 一週間ぶりに見る彼女達は、良く食べているらしく血色が良くなっている。これも、メイドのメアリーによる栄養管理のお陰だろう。


 しかし、彼女たちは緊張した面持ちで、ボクの返事を待っていた。ボクはニコリと微笑み、三人へ返事を返す。


「おはよう御座います。皆は今日も元気みたいだね」


 彼女達はほっとした様子で、表情に笑みが浮かぶ。その反応にボクは内心で反省を行う。


 彼女達とは出会ってもうすぐ一月になる。しかし、彼女達の間には、ボクとの距離がまだまだあるらしい。


 これは彼女達に対して、時間を確保出来ないボクの落ち度だ。天竜祭が終わった後には、もう少しコミュニケーションの為の時間を取らないとな……。


 とはいえ、今のボクに時間が無いのは事実。ボクは気を引き締めてリアに視線を送る。


「リア、現在の状況はどうです? スケジュール通りに進んでますか?」


「はい、先生。各自、初級体力ポーション千個、状態回復薬千個、初級精神回復ポーション千個を作成済みです。作成中の中級体力ポーションも、天竜祭までに千個が完成予定です」


 リアは胸を張って答える。そして、ボクに対してチラチラと意味有り気な視線を送っていた。そんな彼女の内心を理解し、ボクは苦笑を押し殺して口を開く。


「大変結構です。皆さん、非常に優秀で助かります」


「「「……っ!?」」」


 三人はボクの言葉に息を飲む。そして、その顔を見れば、歓喜の感情が伝わって来た。いつも難しい顔をしているリアでさえ、今は口元が緩み切っている位だ。


 それというのも、彼女達は一月近く工房に引きこもっていたからだろう。初めにボクからレシピと道具を渡され、ずっと三人だけでポーションを作り続ける毎日だった。


 その成果を、誰かに見られたり、褒められたりする事も無く……。


 今の様な状況でなければ、もっと一緒に教える事が出来ただろう。そして、彼らの成長をもっと祝えたはずだ。彼らに対する後ろめたさから、ボクは更に言葉を続けた。


「リア、いつも皆をまとめてくれて助かっています。貴女のお陰で、ボクは安心して工房を離れる事が出来ています」


「も、勿体ないお言葉です……!」


 リアは急に跪いて頭を下げる。そして、その状態で固まってしまう。あまりに仰々しい気がしたが、肩の震えを見て、今はそっとしておく事にした。


 そして、次に妹のシアに対して視線を送る。彼女はフワフワのブラウンヘアーと、おっとりした目元が特徴だ。そして、その見た目通りにのんびりとした性格をしている。


「シア、貴女の優しさが皆を支えています。ボクは貴方と言う存在のお陰で、三人は喧嘩の一つも無く過ごせていると考えています」


「わあ、とっても嬉しいです……」


 シアは姉と対照的に、感情がすぐ顔に出る。今はニコニコと嬉しそうに微笑んでいる。この笑顔を前にしては、どんな人でも釣られて笑みになる事だろう。


 そして、最後にカイルに視線を送る。彼の特徴は、紺色の後ろで縛られた髪だろう。普段はだらしない性格らしいが、仕事の時は邪魔にならない様に束ねているのだ。


「カイル、貴方は誰よりも努力家です。真摯に薬学に取り組み、道具の手入れにも手を抜きません。ボクはあなたこそ、薬師の鏡だと考えています」


「せ、先生のお陰っす……! こんなに経験積ませて貰って、オレはすげぇ感謝してるんすから!」


 カイルは興奮し、手を強く握りしめていた。そして、嬉しそうにボクへと話しを続け様とする。しかし、それはシアによって遮られてしまう。


「先生はこの後も予定が詰まっています。お時間を取らせる訳には参りません」


 シアの目がボクをジッと見つめていた。その目は感情を押し殺した目だ。恐らくは彼女自身も本当は、もっとボクと話しをしたいのだろう。


 しかし、今は情に流されて、話を続けるべきではない。それは、彼女の尊厳を汚す事になってしまう。だからボクは、彼女の言葉に甘える事にした。


「……皆には悪いと思ってます。天竜祭が終わったら、ゆっくり話せる時間を作るつもりですので」


「はい、我々一同、その時を楽しみにお待ちしています」


 シアは微かな笑みで答える。そんな様子に、リアとカイルも仕方無さそうに微笑んだ。


「わたしもとっても楽しみしてますね~」


「まあ、しゃあないっすわ。オレもお世話になってる身っすからね」


 三人の気遣いにボクは感謝する。そして、そんな彼女達の対応に、ボクは認識を改める事にした。


 彼女達はボクと距離があると感じていた。余所余所しい態度が時々見られたからだ。


 しかし、その態度は距離感や余所余所しさではない。感謝と敬意の念が有るからこそ、ボクへの接し方に気を使ってくれているのだ。


 だからこそ、ボクが彼女達に与えるべきは、親しみやすさでは無い。少なくとも優先順位としては高い物では無いはずだ。


 ボクが彼女達に与えるべきは、師としての尊厳と、彼女等の成長に必要な環境である。それが彼女等を弟子として受け入れた、ボクの義務であり務めなのだ。


 彼女達はギリーやアンナ達と同じではない。彼女達はボクと対等な、横の繋がりでは無いのだ。明確な上下関係が有る、縦の繋がりなのである。


 その事を胸に秘め、ボクは彼女達に別れを告げた。


「それじゃあ、ボクはそろそろ行くよ。後の事は任せたから」


「はい、先生。行ってらっしゃいませ」


「「行ってらっしゃいませ!」」


 彼女達の言葉に満足し、ボクは工房の外へと移動する。部屋の扉を閉めるまで、三人の視線を背中に感じながら。


 ……そして、部屋を出た先には、メイドのメアリーが待ち構えていた。彼女はニコニコと微笑みながら、ボクの事をじっと見つめていた。


「アレク様、素晴らしい対応で御座いました」


「……やれやれ、今度は主人に相応しい態度が試されるのかな?」


 ボクの皮肉に、何故かメアリーは嬉しそうな反応を示す。そして、眉をしかめるボクに対し、メアリーは無邪気な笑みで答えた。


「アレク様はいつだって、私の最高のご主人様ですよ!」


「……っ!?」


 それは想定外の不意打ちだった。そのあどけない笑みに、ボクの心が僅かに揺らいでいた。


 そもそも、メアリーはいつだって感情を見せず、メイドの鏡であろうと振舞い続けて来た。いつもの彼女であれば、ボクの皮肉もさらりと流してしまうはずだった。


 しかし、今のメアリーは素の感情を晒している。恐らく彼女が感情を隠すのは、人目のある場所だけなのだろう。


 その想定外の反応により、ボクは無様にも動揺を隠す事が出来なかった……。


「ま、まあ、期待に応えられる様に頑張るよ……」


 ありきたりな回答が恥ずかしくなり、ボクは慌てて廊下を進む。そして、行動に移してから、自らの失態を悟る。


 だが、それも仕方が無いという物だ。なにせ、あの無邪気な笑みは、ボクの彼女であったミーアを思い出させる物だったのだから……。


 ボクは苦々しい重いと共に空気を吐き出す。そして、クスクス笑う声を背に、商人ギルドに向かって歩き出した。

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