第75話 アレク、増産計画を練る
今はリビングでお茶を飲み、資料に目を通している所だ。資料の内容はポーションの流通について。
今日は休息日なので、ハンスさんとビジネスの話をする事になっている。
「ポーションの販売額が高く無いですか? こんな値段でよく売れますね……」
「うん、凄く高いよね。でも、他の街から仕入れるよりは少し安いんだ。この街で売れるギリギリのラインまで、値段を釣り上げてる感じだね」
以前に話を聞いて気になっていた。なので、ハンスさんには市場調査を行って貰ったのだ。
手にした資料には、ゲームでのNPC販売額の倍近い値段が並んでいる。正直、ボッタクリも良い所だ。
「あら? それって、この街にとって、とても良くない事ではなくって?」
「ええ、その通りだと思います……」
ボクとハンスさんの話しに割って入るアンリエッタ。
何故か、クラン『銀の翼竜』のリーダーが、ボクのクランハウスでお茶を飲んでくつろいでいた……。
「ならば、お父様に報告した方が宜しいわね」
「いえ、恐らく領主様も知った上で、泳がせているのではないかと……」
ハンスさんは慌ててフォローを行う。アンリエッタのお父様とは、ここ商業都市ヴォルクスの領主である。
下手に領主が動き出せば、市場は小さくない影響を受けるだろう。ハンスさんはその事を懸念して、アンリエッタを思い留まらせたいらしい。
しかし、アンリエッタは少し考え、背後の人物へと質問する。
「セス、お父様はご存知だと思いますか?」
「ええ、旦那様はご存知でしょう。その上で問題無いと判断されているか、何かしらの対策を講じられていると思われます」
アンリエッタの背後には、タキシードに身を包んだ執事が控えている。
彼の名前はセス。彼女専属の執事であり、モンクという上級の武道家でもある。
アンリエッタはセスの言葉に頷く。そして、満足そうに笑みを浮かべた。
「やはりそうですか。お父様ならば、その程度の事を知らないはずがありませんわね」
「ええ、お嬢様のおっしゃられる通りです」
セスはニッコリとアンリエッタへ微笑む。そしてアンリエッタは話は終わったとばかりに、静かにお茶を楽しみだした。
ハンスさんはそのやり取りに、オロオロと困った様子だった。ボクは苦笑を浮かべて話を続けた。
「それで、ボクの卸した中級ポーションはどうでした? 市場では受け入れられそうですか?」
「うん、反響は良かったよ。いや、良すぎたと言うべきかな……」
「良すぎた……?」
ハンスさんの返事に疑問を投げ返す。何故かハンスさんの反応は、厄介事が起こった様な態度に見える。
そして、その予想は正しかった。ハンスさんは意を決した様に口を開いた。
「アレク君は、五十個の中級ポーションを用意したよね? そのポーションは即日完売。さらには、予約が殺到して、今では二千個の予約待ちが発生している状況なんだ……」
「に、二千個って……」
素材の問題もある。しかし、それ以上にそれだけの数を作る為の時間が取れない。それはもう、ちょっとした副業ではなく、本業として薬師の仕事をやらないといけないレベルと言える。
今のボクが真に行いたいのは、お金を稼ぐ事では無い。クラン『白の叡知』を成長させ、どんな状況にも対応出来る基盤を作るのが目的だ。お金を稼ぐ為に時間を注ぎ込んでは、メンバー育成すら滞ってしまう。
「流石にそれだけの数は難しいな……」
「それはそうだろうね。それに、問題はそれだけじゃ無いんだよ……」
「え、まだ何かあるの……?」
ハンスさんの言葉に、ボクは目を丸くする。ハンスさんは更に眉間に皺を寄せて説明を続ける。
「薬師ギルドから苦情が入ったんだ。追加のポーション販売は約束と違うって。次に同じ事をしたら、ポーションの納品を差し止めるって脅し付きでね……」
「ああ、懸念はしてたけど、やっぱり来たんだね……」
元々、増産の話しをハンスさんにした際に、ハンスさんからの忠告はあったのだ。ただ、それを気にしていては何も始められない。なので、少量だけ販売して、薬師ギルドの反応を伺おうって結論になった。
そして、薬師ギルドは想定通りの反応を示して来た。そうなると、ポーション増量を諦めるか、商人ギルドを巻き込んで徹底抗戦を行うかの二択となる。
流石に影響が大きすぎるし、徹底抗戦は難しいだろうな。二千個のポーション追加も、今のボクには行う余裕が無い訳だし……。
「じゃあ、ポーション増産は諦める方向で良いかな?」
「ええ、それしか無いでしょう……」
「街の皆さんからの需要があるのでしょう? ならば、増産すれば良いではないですか?」
「「え……?」」
唐突なアンリエッタの言葉に、ボクとハンスさんが揃って驚く。しかし、アンリエッタは不思議そうに首を傾げていた。
「市場に需要があるのでしょう? ならば、アレクが有利な状況と言えますわね。街の住民や冒険者の方々も喜びますし、私としてはアレクを応援すべきと考えているのですが?」
「いや、そうかもしれないけど……。街の需要を満たすだけのポーションを、今のボクには作れる訳じゃないし……」
「……? 何故、アレクが作る必要があるのです?」
「「は……?」」
訝し気に尋ねるアンリエッタ。ボクとハンスさんは、再び揃って間抜けな声を出してしまう。
その状況に、セスが微かに微笑んで助け舟を出してくれた。
「お嬢様は人を雇えば良いとお考えなのです。アレク様が監督を行い、雇った人々にポーションを作らせる。それならば、街の需要を満たすだけのポーションも、用意する事が可能ではないでしょうか?」
「えっと、雇おうにも、街の薬師は薬師ギルドに管理されてますし……」
そう、薬師ギルドが狡猾なのは、街でシステムを構築している所なのだ。
薬師が生きる為には、薬師ギルドへ登録しないといけない。薬師ギルドへ登録していない者は、この街でポーションを売る事が出来ないのだ。
しかし、ボクの反論にアンリエッタが小さく笑う。そして、悪戯っぽい視線をボクに向ける。
「ならば、アレクが育てれば宜しいのでは? 人を育てるのは得意なのでしょう?」
「人を……育てる……」
正直、その発想は無かった。クランの資金を稼ぐ為に、専用の人材を育て、市場を開拓する。それが出来れば、確かに資金面ではかなり潤う事になるだろう。
幸いにして、薬師の技能を人に教える事は可能だ。ボクには爺ちゃんから譲り受けた手帳がある。爺ちゃんが書き残した、薬師の極意とも言える秘伝書だ。
「やってみるか……」
「あ、人材には心当たりがあるから、ボクに任せてくれないかな!」
ボクの呟きに、ハンスさんが素早く挙手する。その反応の速さに、ボクはポカンと口を開く。
……この反応、恐らくハンスさんは、この構想を既に思い描いていたのだろう。
しかし、ボクの負担になる事を懸念して、言い出せずにいた。だからこそ、こんなにも早く、話しに乗っかって来たんだと思う。
「……では、人員はハンスさんに任せましょう。ボクの弟子になるので、しっかりと選考をお願いしますよ?」
「任せてよ! アレク君の性格は良く知ってるから、真面目で根性の有る人を選ぶからさ!」
気合を入れて答えるハンスさん。まあ、ハンスさんは人を見る目がある。彼に任せておけば、弟子の人選は問題無いだろう。
……ただ、気になる事が一つだけある。それは、先程のアンリエッタの一言だ。
「あら……?」
ボクの視線に気付き、アンリエッタが不思議そうに見つめ返す。そして、何故か急に顔を真っ赤にして目を逸らしてしまう。
ボクは苦笑を浮かべ、背後のセスへと視線を移す。そこには、穏やかな笑みを浮かべ、こちらを見返す初老の人物が佇んでいた。
「どこまで知っているんでしょうかね……?」
ボクの呟きに、セスは小さく微笑むだけ。やはり、情報を漏らす気はないらしい。
ちなみに、ボクが気になったのは彼女の言ったこの一言。
『人を育てるのは得意なのでしょう?』
この言葉が意味する所は、クランメンバーの成長速度を知っていると言う事だ。
ハティ、ルージュ、ロレーヌの情報は隠蔽していないので、ある程度は知っていると思っていた。問題なのは、どこまで調べられているかという事だ。
そして、アンナとギリーについても、調査の手が伸びている事だろう。その情報を元に、ボク達とって不利益になる行動を取らなければ良いのだが……。
ボクは肩を竦め、ハンスさんと計画について話す事にした。考えても仕方が無い事は考えない。今は出来る事だけをやって行くだけだ。
……そして、ポーション増産計画には、何故か当然の様に、アンリエッタも加わる事になっていた。
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