第三章

第二十二話 毒物同好会の危機

 イル・アンヴァン学院、吸血鬼用訓練場。

 授業棟、寮等様々な建物が連なる学院の片隅にその簡素な建物はあった。時刻は午前6時。まだ学院は眠っている時間である。そんな中、訓練場をのぞくものがあった。キイチである。中では訓練着の青年が一人、体術の稽古をしている。濃灰の髪に黒い瞳の体躯の良い青年だった。キイチは静かに中に入る。青年、セイヤ・シドウは動きを止めるとキイチに挨拶した。


「……おはようございます」


 キイチはにっこりとほほ笑み、挨拶を返す。


「おはよう。早速で悪いんだが、よければ相手になってくれないか?」

「は?」


 セイヤは面食らった。しかしキイチはかまわず続ける。


「セイヤ・シドウ。この学院で三本の指に入る強さだと聞いた。ぜひ一戦交えたい」


 セイヤはキイチの全身を見た。鍛えられている。にわかに興味がわいた。セイヤはぶっきらぼうに言う。


「……一戦だけなら」

「決まりだな」




 訓練着に着替えたキイチとセイヤは向き合い、礼をした。先に動いたのはセイヤだった。鋭い突きがキイチを刺そうとする。それをキイチは寸ででかわす。キイチは脳内で彼の速さに感服していた。さらに動きも的確で無駄がない。うわさは伊達じゃないと思った。組み合うキイチとセイヤ。セイヤの蹴りをキイチは再び寸ででかわす。瞬間、キイチはセイヤの隙を付いた。正拳をセイヤの顔めがけて打ち込み、顔の前で寸止めする。セイヤは息をのんだ。


「ッ……!」


 キイチは拳を下ろした後、頭を下げる。


「ありがとう。素晴らしい腕だ。また頼めるか?」

「……時と場合によります」


 どこか悔しさを感じさせるその物言いにキイチは思わず笑むのだった。




 植物園の一角。

 原色の毒々しいしい花々が見渡せるベンチ。ミチルとエリカの二人が座り、休んでいる。ミチルはにこやかに笑った。


「今日も花たちは元気! 素晴らしいね」


 対するエリカはうつむき、しおれた声を出す。


「ええ……あの、ミチル会長。その、オーシャンローズの件なんですが……」


 ミチルはエリカの方に向き直り、そっと微笑んだ。


「その話なら何度もしたろ? 気にしなくていいって」


 エリカははじかれたようにミチルの方を向く。


「でも!やっと一輪咲いたのに……! 部に昇格する話だって!」


 ミチルは再び顔を伏せたエリカの背を優しくなでた。


「たとえば僕が君の立場だったとしても、同じことをしたさ。命には代えられないよ。花はまた育てればいい」

「ミチル部長……」


 涙ぐみ、エリカはミチルを見る。


「大丈夫。一度できたんだ。絶対にまたできる」

「はい……!」


 エリカはぐいと涙をぬぐった。


「こうしちゃいられませんね! オーシャンローズ2号の復元に取り掛からないと!」

「そう! その意気だよ!」


 二人だけの毒物同好会が決意を新たにしたその瞬間、甲高い笑い声があたりに響き渡る。エリカは嫌いな食べ物のフルコースが出された時のような顔をした。ミチルも苦笑いである。柔らかな栗色のウェーブロングヘアが特徴的な少女が二人の前に現れた。彼女は名をクルミ・ブラウンといい、なにかにつけてはエリカと張り合っていた。


「あらエリカ。ごきげんよう。いつにもましてしけた面してるわね」

「どうも。何か用?」


 エリカはクルミを見もせずに答える。クルミはそんなエリカの様子にもかまわず続けた。


「別に? ただ、貴重なオーシャンローズを吸血鬼なんかのためにむしったって聞いたものだから。冗談よね?」


 エリカは沈黙する。クルミはさらに畳みかけた。


「冗・談・よ・ね?」

「……事実よ」


 苦々しく答えたエリカを前に、クルミは大げさに驚いてみせる。


「まあまあまあ! 信じられない! 馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけどここまで馬鹿だったなんて」

「ばかばかうるさいわよ……」

「そんなお馬鹿なエリカにグッドニュースがあるの。聞きたい?」


 クルミはにっこりと笑う。エリカは吐き出すように答えた。


「別に」

「そう。そんなに聞きたいなら教えてあげる」


 思わずエリカはため息をつく。


「今度の部活報告会。毒物同好会にめぼしい成果がなかった場合、この植物園の一角は我々園芸部に明け渡してもらうことになったわ」


 エリカは目を丸くし、身を乗り出した。


「は、はああ?!聞いてないわよ!どういうこと!!」

「エリカったら不細工が更に不細工になってるわよ」

「どういうことなの!説明しなさい!」


 クルミはフンと鼻を鳴らす。


「どうもこうもなくってよ。景観を損なうって苦情は前々から一定数あるの。オーシャンローズの研究成果があったから同好会の解体を猶予されていただけのこと。その成果を自らふいにしたんですもの。先生方が良い顔しないのは当たり前でしょ?」


 エリカはわなわなと震えた。


「クルミ……あんた先生たちにあることないこと吹き込んだんでしょ!」


 エリカの刺すような言葉と視線をものともせず、クルミは微笑む。


「さあ?どうだかね」

「クルミ!!」


 クルミにつかみかかろうとするエリカを、ミチルが止めた。


「まあまあ」

「ミチル会長!でも!」


 ミチルに止められながら、エリカはクルミを睨む。ミチルはつとめて優しい声音を作った。


「決まっちゃったことは仕方ないよ。これからを考えよう?」

「ミチル会長……」


 エリカはミチルの方へ向き直った。なんて優しくて心の広い方なんだろうと、エリカはいつも思っていた。そんなエリカの思考を遮るように、クルミは鼻で笑う。


「部活報告会まであと一か月。撤去作業をスムーズに行う練習でもしておいたらいかがかしら?」


 エリカの沸点は低く、またクルミにつかみかかろうとした。それを再びミチルが止める。


「クルミ!!」

「まあまあまあ」


 丁度その時、草影からセイヤが顔を出した。ミチルを低い声で呼ぶ。


「ミチル」

「セイヤ。おはよう」


 エリカを止めながら、ミチルはセイヤに微笑む。


「じゃ。私はこれで」


 言うだけ言って、という風にクルミは去っていった。入れ替わりにセイヤが歩いてくる。セイヤはむくれているエリカとまゆを下げて微笑むミチルを交互に見た。


「大丈夫か」


 ミチルは眉をさらに下げる。


「うーん。ちょっとピンチって感じかな?」


 毒物同好会に降ってわいた解散の危機。どう乗り越えるべきか。ミチルは険しい道のりを想像し、一人あいまいに笑むのだった。

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