第十六話 ハイキング

 数日後。イル・アンヴァン学院からほど近い丘の上。

 ブルーのワンピースに身を包んだルリは、敷物の上でウキウキと弁当箱を広げている。その様子を一歩引いたところでぼんやりと見つめるのはエリカとシイナである。シイナがぼそりとつぶやく。


「で、なんで私まで?」

「考えても見なさい。私とキイチ君とお義母様って、一体何の話をするのよ。無理よ無理」


 シイナはため息をついた。音もなく後ろにツルギが立つ。シイナは驚いて振り向き、つられてエリカも振り向いた。


「おっと。失礼」

「あなたは、ツルギさん」


 エリカが口を開く。


「呼び捨てでかまわないぜ」


 ツルギは薄く微笑む。シイナは黙ったままだ。


「ツルギ……君。あなたはどうしているの?」

「ずいぶんだな。今回ルリおば様は君の味方なんだろ?まあさすがにキイチがかわいそうなんでついてきてやったんだよ」

「ふうん」


 どうでもよさそうにエリカは答える。


「と、いうのはまあ建前で」


 ツルギは流れるような動作でシイナの手を取る。


「美しい女性三人と食事ができる機会、逃す手はないだろ?」


 乱暴に手を払うと、シイナはツルギを睨んだ。


「誤解しないでくださる?この間はエリカの命がかかっていたから協力したまで。そうでなければ私……」

「それは残念」


 ツルギはシイナの刺すような視線などものともせずけらけらと笑う。


「行こうエリカ」

「う、うん」


 エリカの手を取ると、シイナはルリの方へズンズンと歩いていった。




 それぞれの思惑をよそに、ルリは一人食事の準備を進めている。


「あらいけない。お茶忘れてきちゃった。ちょっと下で買ってくるわね」

「あ、俺行きますよ」


 いつの間にかルリのそばに来ていたツルギが言った。


「いいのいいの!すぐなんだから。ね、ちょっと待ってて」

「雑用のために女性を一人歩かせるなんて俺の沽券に関わります」


 断ろうとするルリをツルギが制す。エスコートは慣れたものである。二人を見ながらシイナはエリカに耳打ちした。


「ほら、今キイチ君一人よ」

「う、うん」


 エリカはずっと一人離れた場所にいるキイチをちらりと見やる。それを見たシイナはニヤリとした。


「やることないし、私も下行くわね。がんばれー」

「え、ちょ、ちょっと!いてよ!お願い!」


 エリカの懇願をさらりとかわし、シイナはルリのもとへ走る。


「ルリさんー!私も行きますー!」

「ちょっと!!」


 一人になったエリカはもう一度キイチを見る。キイチは一人煙草を吸っている。エリカはぱちんと自分の両頬を叩いた。


「よし、がんばれエリカ!!」


 エリカはキイチの隣へそっと歩いて行く。キイチはそれに気づいてか煙草を消した。


「い、いい天気ね」

「ああ」


 どこかおどおどした声のエリカに、キイチはそっけなく返す。


「とっても気持ちいいわ。お母さまに感謝しないと」

「……」


 キイチと会話すべく、エリカはなんとか言葉を紡ぐ。


「お、お弁当も楽しみね」

「いいのかよ」

「え?」


 首を傾げたエリカを、キイチの瞳が鋭く射る。


「俺とは婚約破棄したんだろ?」

「そ、それは……」

「……」


 エリカは言葉に詰まり、そして段々腹立たしくなってきた。沸点の低いエリカはすぐに爆発する。


「大体あなたが悪いんじゃない!あなたが女の子とイチャイチャするから!」

「それは君もだろ!それとも何か?謝ればいいのか?ああ悪かった悪かった!」

「なによそれ!」

「自分のことは棚に上げて俺ばかり責めるなよ!」

「なん、なんですって!もういい!私帰る!!」


 丘の下へと駆け出すエリカ。躓いて転落しそうになる。


「あっ」

「エリカ!」


 キイチが手をのばすよりも先に、エリカを抱きとめた青年がいた。


「大丈夫?」

「え、ええ。ありがとう」


 柔らかな雰囲気の青年はそっとエリカから手を離す。青年はキイチを見ると少し困ったような顔をした。


「あ、ごめんね。君の恋人だった?」

「……違う」


 キイチは苦々しそうな顔でつぶやくように言う。エリカはこみ上げた涙を誰にも見られまいと走り去った。青年はさっきよりもさらに困った顔でキイチに話しかける。


「え、えっと。ほんとに大丈夫?」

「……」


 うつむき、唇を噛んだ。


「くそ……」




 丘の下の商店街。

 ルリ達三人はのんびりと歩いていた。


「そろそろ仲直りできたかしら?」

「そうですねえ」


 シイナがルリに相槌を打ったその時、走り去っていくエリカとすれ違う。


「あ、あら?」

「……だめみたいですね」

「あのバカ……」


 エリカの様子から二人の亀裂を感じ取った三人は各々つぶやいた。


「こ、こうしちゃいられないわ!次の作戦よ!!」

「ルリさん!こんなところにいらしたんですね!?」


 ルリが拳を胸の前に作り宣言した瞬間、女性の声が響いた。ルリの秘書、ミリア・ロッセリーニである。


「ミリちゃん?ど、どうしてこんなところに……」

「まだお仕事残ってるんですよ!早くお戻りください!!」

「まってー、息子と娘の一大事なのよお!!」

「問答無用!!」


 ずるずるとルリは引きずられていく。その場に残されたシイナは今にも降り出しそうな空を見つめ、ため息をつくのだった。

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