第十五話 嵐のような人

 イル・アンヴァン学院、学院長室。

 カーテンを閉めた薄暗い部屋。備え付けられた立派な机に、学院長ケイ・ベイリーはかけていた。ベイリーの前には机を挟んでキイチとツルギが立っている。重苦しい雰囲気の中、口火を切ったのはキイチだった。


「お呼びでしょうか」

「ああ」


 短く答えるベイリーの表情は硬い。


「スカラ・アルカードの件だ。吸血鬼特殊部隊から支援要請があった」

「ああ、今朝の新聞は持ちきりでしたね。吸血鬼殺しの半吸血鬼、スカラ脱獄」


 ツルギはどこか他人事のように言った。


「お前達二人は学生だが同時に対人、対吸血鬼戦闘のプロでもある。ぬかるなよ」

「御意」

「仰せのままに」


 それぞれ答え、学院長室を後にする。あとには、一抹の不安を心の奥に押し殺したベイリーだけが残っていた。




 中庭。

 キイチとツルギがベンチに座っている。背もたれに体を預け、だらんとしているツルギと対照的に、キイチは組んだ手の上に顎をのせて宙の一か所を凝視していた。ツルギがぼんやりと空を見上げて言う。


「そう言われてもなー……こう平和だとどうにもボケちまう」

「……」

「そういやさっきのエリカ嬢、またなんかやったのか?」

「……」


 キイチは何も答えない。ツルギは責めるように大きな声を出した。


「おい!キイチ!」

「あ?」


 ゆっくりとツルギの方を向く。


「あじゃねーよ。聞いてたか俺の話」

「……悪い」


 ツルギはその様子にため息をついた。そんな二人を校舎から人影が見つめる。その人影は大きな声でキイチを呼んだ。


「キー君!!」

「は?」


 キイチは頓狂な声を出した。というよりも、状況に理解が追い付かず、頓狂な声を出すくらいしかできなかった。




 エリカの部屋。

 エリカはベッドに突っ伏して泣いていた。シイナが優しくエリカの背をなでる。


「馬鹿ね。泣くくらいなら言わなきゃいいのに」

「だって……だって口から出ちゃったんだもん!嫌だよおキイチ君が誰かのものになっちゃうよお」


 エリカはぎゅっとシーツを握りしめた。


「それ本人に言いなさいな。喜ぶわよ絶対」

「それが出来たら苦労しない!!」


 深くため息をつくと、ゆっくりとシイナは語りかけた。


「あのね、エリカは婚約を解消したら二人の間には何も残らないって思ってるみたいだけど、そんなことないと思うの」

「え?」


 一縷の望みにすがるようにエリカは顔を上げる。


「少なくともエリカはキイチ君のことが好きなんだから、二人の間にはいくらでもきっかけがあるわよ」

「シイナ……」


 涙目ながらやんわりと笑んだ。そんなエリカを見てシイナはニカッと笑う。


「まあだから最悪婚約破棄になっても大丈夫でしょ!!」

「うわーん!!」


 言わなくてもいい一言に再びエリカがベッドに突っ伏したその時、勢いよく部屋の扉が開いた。エリカとシイナは驚いて扉の方を見る。モノトーンで統一されたワンピースの女性が立っていた。女性はにっこり笑うとエリカに飛びつく。


「エリちゃーん!久しぶりー!元気だったー?!」

「お、お義母様!?どうして学院に?!」


 エリカは慌てて涙をぬぐった。


「もー!お母さまなんてやめて頂戴!ママもしくはルリちゃんって呼んで!!今日はたまたま近くまで来たから寄ったの!」

「ルリさんお久しぶりです」


 ゆったりとシイナは挨拶をする。


「シイナちゃんも元気そうね!早速だけど、エリちゃんちょっと借りてくわね!!」

「はーい」

「いやはーいじゃなくて!え、ちょっとどこに行くんですか?!」


 ルリはエリカの手を取り、さっさと扉へと歩き出した。


「安心してよ。外出申請取っといてあげる」


 ひらひらと手を振る。


「ほら、シイナちゃんもこう言ってるし!」

「ちょ、ちょっと待ってくださ……」


 あっという間にルリのペースに飲まれ、エリカはぐいぐいと手を引かれるまま歩くしかなかった。




 そこは雰囲気のいいカフェテラスだった。テラス席に向かい合い、エリカとルリが座っている。テーブルには紅茶の入ったカップとチーズケーキの乗った皿がそれぞれの前に置かれていた。エリカは縮こまり、ルリはにこにこしている。おどおどとエリカが口を開く。


「あ、あの……」

「ここのチーズケーキ、おいしいって評判なのよ。楽しみね」

「はい……」


 ルリはさっさとチーズケーキをフォークでつついた。エリカはうつむいた後、決心したようにバッと顔を上げる。


「私その、キイチ君と、喧嘩、していて」


 話しているうちにどんどんうつむいてしまう。


「聞いたわ。どうせキー君が悪いんでしょ?」


 チーズケーキを食べながらルリは肩をすくめた。


「そ、そんなことは……」

「良いのよ。あの子は女心に疎すぎるの。いつかやらかすと思ってたわ」

「やらかす?」

「婚約破棄言い渡されたんでしょ?」


 エリカは絶句した。


「そ、そんなことまで知ってるんですか?!」

「あたり前田のクラッカーよ」

「くら、クラッカー?」


 頭上にはてなを山ほど浮かべる。


「隠したってすぐにわかるわ。キー君昔からエリちゃんと喧嘩すると上の空になるのよ」

「キイチ君が……」


 嬉しくて、ついエリカは頬が緩む。


「そ。情けないと思わない?それで問い詰めたら白状したのよ」


 エリカはぎこちなく笑った。


「あのね、エリちゃん。私はね、あなたが本当に嫌なら、やめてもいいと思ってるの」

「え、いや……あれは、売り言葉に買い言葉っていうか……」


 あせって挙動不審になるエリカにルリは柔らかな微笑みを返す。


「ふふ。そうね。でも忘れないで。私はキー君のママだけど、エリちゃんのママでもあるって思ってるから」

「お義母様……」


 エリカの目に涙が浮かんだ。ルリはポンと手を叩く。


「そうだ!思いついた!ハイキングに行きましょう!」

「は、ハイキング?」

「そう!世はまさに大ハイキング時代よ!」

「???」


 涙は驚きに一瞬で引っ込む。かくしてエリカは、七年ぶりにキイチとハイキングをすることと相成ったのである。

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