第十二話 手のひらに愛を

 下水道。暗い空間に音が反響している。その一画。

 座ったまま顔にナイフを突き立てられたバルフォアの死体があった。キイチとツルギはそれを苦々しく見つめる。


「……」

「お前が解呪の確認に学院を離れてすぐ、逃走した」

「気づかなかったのか」


 キイチは責めるようにツルギを見た。ツルギはバツの悪そうな表情でつぶやく。


「悪かったよ。完全に油断してた」


 キイチの舌打ちの音がこだまする。


「らしくねえな」

「いや……トール・クロスビー、かなり手際がいい」

「ああ?」

「何度か小規模の爆発があった。その対応に追われる隙を付かれてこれだ」

「! 舞台側から上がった悲鳴はそれか」

「ああ」


 ツルギは己が失態を皮肉るように笑む。キイチはもう一度舌打ちし、死体に自分の上着をかけた。


「さすが紳士でいらっしゃる」

「うるせえ」


 きびすを返すキイチにツルギは何も言わず続いた。




 ブラッド邸、客間。

 眠っていたエリカはゆっくりと目を覚ました。ベッド横に置物のように佇んでいるアトウッド。


「アトウッドおじ様……?」

「ああ、エリカ……気分はどうだ?」

「私いつ寝たのか……ここは?」

「ブラッド某の館だよ……」


 エリカは思いもよらぬその言葉に跳ね起きた。


「はあ?!」


 アトウッドはエリカをベッドに寝かせようとする。が、そんなアトウッドの手をエリカはバッと払いのけた。


「どういうことです?!」

「色々……あって……」


 数歩後ずさりすると、そそくさと部屋から出ていく。


「ちょっとおじ様?!おじ様!」


 入れ替わりに水差しを持ったキイチが入室する。


「元気そうだな」

「キイチくん!」


 ベッドわきの椅子に掛ける。


「まあ落ち着けって」


 言いながらキイチはコップに水を注いだ。


「とりあえず飲めよ」


 エリカは乱暴にコップを受け取ると、一気に飲み干す。


「どうもありがとう! なにごとなの?!」

「元気だねえ」


 にやっと笑う。


「そんなに元気ならちょっと出ようぜ。説明してやるよ」


 キョトンとするエリカ。




 廊下。

 キイチ、エリカの数歩前を歩いている。


「刺されたのはなんとなく覚えてるけど……三日も寝てたなんて」

「アトウッド卿なりシイナ嬢なりに確認すればいい」


 エリカは押し黙った。思えば自分はこの男に思い切りビンタをかましたのである。いや、そのことについて詫びるつもりはないが。しかし、この男が倒れた自分のために奔走したであろうことは、いくら鈍感なエリカであっても察するにあまりある。気まずい。俯き、少しの沈黙の後、パッと顔を上げる。


「め、迷惑かけて……その」


 立ち止まり、振り返るキイチ、二ッと笑う。エリカは驚きに口をつぐんだ。




 屋根の上。細い淵。

 エリカの手を引いてキイチはどんどん進んでいく。


「まって、ちょっと。高い……」

「大丈夫だって」


 エリカはつないだキイチの手を見た。


「怪我したの?」


 キイチは振り向かない。


「……転んだ」

「……そう」


 この男がこの怪我を転んだというのなら、エリカはそれを受け入れようと思った。


「なんだよ。急に黙って」


 キイチはつないだ手を揺らす。


「やめて高い! やめ、馬鹿!」


 笑いながらキイチはどんどん進んでいく。


「エリカ、顔を上げて」


 俯いていたエリカはゆっくりと顔を上げた。


「すごい……」


 満点の星空と地上とが見渡せる。エリカは嬉しそうな顔で反射的にキイチを見た。エリカをみつめ、キイチは小さく笑む。エリカの頬はカッと赤くなり、それを隠すように俯いた。


「エリカ……ごめんな」

「な、なにが?」


 キイチはポケットから箱を取り出した。


「7年前のこと……忘れたことなんかない。ただ思い出したくなくて、忘れたふりをした。あの時本当に渡したかったのは本当はこっちなんだ」

「本当二回言わなかった?」

「……言ったな」


 けたけたと笑う。


「茶化すなよ。緊張してるんだ」

「貴方が?まさか」


 キイチ、薄く笑う。


「本当だよ」


 キイチは箱を開けた。小さな、けれど美しい指輪が入っている。


「きれい……」


 箱に手を伸ばすエリカ。その瞬間キイチはぱっと箱を遠ざけた。


「?」

「君に撤回してほしい。……俺に大嫌いって言ったこと」

「はああ?!」


 キイチは微笑んだ。しかし目は少しも笑っていない。


「7年も前のこと根に持たないでよ!」

「君が言うか。ていうか割と直近でも聞いたな。3日前かなー」


 言葉を詰まらせる。


「だ、だってあれは貴方がカエルを渡したりするから!」

「それを今謝ったろ?」


 エリカはうめく。


「ちなみに撤回しない場合は俺は君を置いて戻ります。そのためにここまで来ました」

「嘘でしょ?!そんな、嘘でしょ?!」

「ははっ」


 強く唇をかみ、俯く。


「助けてくれて、ありがとう」

「それで?」


 ぐっと唇を引き結んだあと、エリカはゆっくりと口を開く。


「嫌いじゃないわ。あなたのこと」

「……煮え切らねえな」


 ぶつぶつと文句を言うエリカ。そんな様子に笑顔になったキイチは、喉の奥で笑った。


「昔のことは終わりだ。仲良くしようぜ。エリカ」


 そっと手を差し出す。


「……」


 エリカは一瞬迷った。しかし、次の瞬間にはキイチの手を握っていた。きっと仲良くなれる、種族の違いを乗り越えていける。そんな願いにも似た思いをのせて、エリカはキイチにほほ笑むのだった。




 ユーステス邸、旧書庫。

 蜘蛛の巣が張り、ほこりまみれの古い部屋。一か所だけ新しい電話機が取り付けられている。術によって傍受を遮断したその電話機の前で、シイナは話していた。


「はい。大丈夫です。問題ありません」


 窓から陽光が差し込み始める。シイナは鬱陶しそうに目を細めた。


「ええ。万事……抜かりなく。それでは」


 シイナは虚無にとらわれる。結局自分は道具なのだと。




 イル・アンヴァン学院、旧資料室。

 閑散とした何もない部屋。電話機だけが取り付けられている。同じく傍受を遮断した電話機の前で話しているのはツルギだった。


「……ああ、引き続き頼む。じゃあまた」


 電話を切ったツルギは、口角を上げる。


「万事抜かりなく……な」


 ツルギはきびすをかえし、部屋を出ていく。それぞれの思惑をよそに、朝日は昇り始めた。新たな闇を予感させながら。

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