第十話 爛れる手のひら

 講堂裏、とある一室の前。

 バルフォアが室内をのぞき込んでいる。目線の先にはエリカに変身したシイナが座っていた。バルフォアはあやしく微笑し、ゆっくりと右手をかざす。


「バルフォア教授」


 ばっと勢いよく振り返ったそこには両手をポケットに突っ込んだキイチが立っていた。落ち着いた口調でキイチは問う。


「いかがなさいました?」


 バルフォアはすぐに平静を取り戻し、答えた。


「……エリカ嬢にご挨拶をと思ってね。ああ、君の挨拶、素晴らしかったよ」

「光栄です」


 キイチも笑顔で答える。数秒の沈黙の後、キイチは質問を重ねた。


「……不躾なようですが、教授もストレンジャーだとか?」


 一瞬目を見開いた後、しかしすぐにバルフォアは笑顔になる。


「ああ、そうだよ。まあ色々と不都合があって隠しているが……なぜ?」

「いえ。エリカのことをエリカ・ブラッドと呼ぶ方にお会いしまして。同じストレンジャーたるお方なら、気持ちもわかるかと」

「さあ……私にはわかりかねるよ」


 キイチは気づかれないようゆっくりとバルフォアとの距離を詰める。さながら蛇のように。


「……エリカ嬢、体調がすぐれなかったそうだが。大丈夫なのかね?火のない所に煙は立たないというが」

「……大丈夫ですよ」


 いきなりバルフォアの右手をつかむキイチ。


「!」


 バルフォアは一瞬でそれを振りほどき、距離をとる。が、もう遅かった。


「……エリカをブラッドと呼んだのは……ストレンジャーに同族意識があり、裏切り者をそう呼びたくないから、ですかね?」


 掌を確認したキイチは口角を上げる。キイチの掌は紋の形に赤黒く爛れ、血が流れていた。


「ある方に教わったんです。術師の見分け方」

「貴様……」

「術師は術を使うと掌に紋が出る。それは普通は見えないが……触れればわかる」


 ひらひらと手を掲げる。


「大分痛いですが。でも間違いない。エリカの傷口とおそろいだ。」


 バルフォアは苦々しそうに舌打ちした。キイチはじりじりとバルフォアに近づく。その時、舞台側で悲鳴が上がった。反射的にそちらに振り向くキイチ。バルフォアはその声を合図にして脱兎のごとく走り出した。


「待て!」


 キイチはバルフォアを追おうとして、手のひらの焼けるような痛みによろけた。吸血鬼の皮膚感覚は人間よりもずっと鋭い。顔や体から大量の汗が噴き出た。手を押さえ、うめく。


「くそ……」


 ポケットから取り出した包帯で乱暴に手をぐるぐる巻きにする。


「エリカ……」


 ただ、彼女のために、キイチは走り出した。

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