第九話 式典

 ブラッド邸、客間。

 夜の静寂の中、キイチは一人椅子に座っていた。頭の中で情報を整理する。


「呪術の解法は二通り。」


 手を組み、その上に顎をのせる。


「術者に解かせるか、術者を殺すか」


 そっと目を伏せる。


「吸血鬼は呪術師と対する場合、背中を狙う。……今考えるとそれは理にかなってる。呪術師の核である、掌の届かない場所だから」


 キイチは目を開けるとベッドに近づき、横たえられたエリカを見つめる。


「……もうすぐだからな」


 柔らかく笑むと、キイチは部屋を出た。




 式典当日。

 イル・アンヴァン学院、講堂裏の一室。

 狭く、椅子以外何もない部屋。正装に身を包んだキイチは、手首のボタンをはめていた。ノックの音が響く。


「どうぞ」


 ツルギは入室すると、苦々しい表情で言った。


「……噂になってるぜ」

「『エリカが呪術に倒れたらしい』だろ?」

「ああ。誰かが流してる」


 キイチは舌打ちした。


「舐めた真似を」

「それと」


 ツルギはキイチに近づくと、そっと耳打ちした。キイチの口角が上がる。


「やっぱりか」

「ああ」


 手に入れた、最後の情報を。ちょうどその時ノックが響く。開いた扉の向こうに立っている人物を見て、キイチはさらに笑みを深くした。




 十数分後。

 講堂の中。式典の前説が始まっていた。

 キイチは一番前の席に座っているが隣の席は空席になっていた。やや前方隅の席にバルフォア、最後列中央にはクロスビーが座っている。中年の司会者の話は長く、聴衆に退屈が蔓延し始めていた。そんな時、勢いよく後方の扉が開く。その音に後ろを振り向いたバルフォアは、驚きに目を見開いた。そこには立っていた。羽のように軽やかにキイチのところまで駆けていく。


「遅れてごめんなさい」

「いや。体調はもういいのか?」

「ええ」


 バルフォアはエリカを凝視するしかない。確かに呪ったはずなのに、なぜ……。混乱するバルフォアをよそに司会者は言った。


「ああ。エリカ様がご到着されましたか」


 エリカは客席に向き直り、一礼する。客席にはどよめきが起こる。


 司会者「ブラッド一等吸血鬼殿にお言葉を頂きます。エリカ様も舞台へ」


 キイチは立ち上がるとエリカの手を取った。二人で舞台へと上がる。エリカはキイチの一歩後ろで少しだけ顔を伏せた。キイチ、聴衆をぐるりと見渡す。


「ご紹介に与りましたブラッドです。人類方、吸血鬼方とも今日、同じ時間を共有できたことをうれしく思います。……予定も詰まっておりますので一言だけ」


 エリカの方に振り向き、手を取る。


「……彼女を取り巻く環境はめまぐるしく変わる。頭のおかしい輩に目を付けられることもあるでしょう。しかし乗り越えます。俺と彼女の二人で。」


 二人で一礼する。顔を上げる前、たがいにしか聞こえない小さな声でエリカは、エリカに変身したシイナは言った。


「うそつき」

「嘘はいってない」


 声を出さず笑う。顔を上げると手を離し、シイナは一歩下がる。


「ああ、それと」


 キイチはすべてを侮蔑したような薄ら笑いを浮かべた。


「諸兄におかれては、根も葉もない噂を信じることの無いようお願いします。聡明な諸兄のこと、問題ないとは思いますが。卑怯者に与するようなことは己が品格を落とします」


 一礼し、シイナも続くように一礼する。


「それでは」


 キイチはシイナの手を取ると、さっさと舞台を降りて行った。わなわなと震えているのはバルフォアである。己がプライドのすべてが、泥まみれの足で踏みつけられたように傷つけられていた。クロスビーは腕を組んだ無表情のまま、キイチを見つめている……。




 舞台裏。

 キイチとツルギがつかつかと歩いている。ツルギは意地悪く笑い言った。


「歴史に残る名演説では?」


 キイチ、上着のボタンを開ける。


「もっと煽っても良かったか?」

「性格悪いねえ」


 二人は突き当りの部屋の前で止まった。


「あとを頼む」

「万事抜かりなく」


 キイチは二ッと笑った。

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