第六話 ストレンジャーという名
客間を後にしたキイチとツルギはブラッド邸の冷たい廊下を歩いていく。キイチの胸中は愛する人が襲われた怒りで満ちていたが、脳内は廊下の冷たい空気よりさらに冴え、いくつもの疑問を浮かべていた。歩きながらキイチはネクタイを外し、首元を緩め、袖口のボタンをはずした。なぜエリカを狙ったのか、なぜエリカ・ストレンジャーではなくエリカ・ブラッドと書いたのか、なぜ……。浮かんだ根本的な疑問に足を止めた。キイチをみてツルギも足を止める。
「そもそも相手の目的はなんだ」
「……吸血鬼の絶滅?」
「……呪術は本来対吸血鬼用の攻撃手段だろう」
ツルギはうなずく。
「そうだな。俺ならそのままお前を呪う」
「なんで俺を呪うんだよ!」
「言葉のあやだよ。つまり今回、相手の目的は直接的に吸血鬼に危害を加えることではなく、吸血鬼に友好的な人間への
そういって笑うツルギにキイチは舌打ちを返し、歩き出す。ツルギは後を追いながらさらに言葉を紡ぐ。
「人間には呪術を行使するための呪術回路が存在し、当たり前だが俺たち吸血鬼には存在しない。逆に言えば呪術回路のある人間には呪術は通じないと考えられてきた」
「だがエリカは呪術に倒れた」
薄く笑いツルギはうなずく。
「考えられることは?」
「エリカには呪術回路がない」
「可能性は?」
「ほぼない。呪術を使えるエリカに呪術回路がないとは考えにくい」
「他には?」
キイチの自室の前、重そうな扉の前でキイチは立ち止まり、ゆっくりとツルギの問いに答える。
「……呪術回路を持つものにも届く呪いが生まれた」
「それだなあ」
「だろうな。厄介なことを……」
キイチは俯きつつ扉を開けた。ツルギが更に問う。
「一朝一夕でできるものか?」
「わからん」
二人は部屋に入っていく。黒が基調の部屋は研ぎ澄まされた空気が流れていた。キイチは言う。
「死活問題だぞ。早急に手を打たないと……」
「人間の間にパニックが起きかねない」
淡々とツルギは答える。キイチは自分を落ち着かせるように舌打ちをした。
「今日は内々のパーティーだが、三後日には公の式典だぞ。両種族の友好アピールのために壇上に上がるのが……」
「お前とエリカ嬢」
「クソ!」
内心の焦りのままキイチは乱暴に椅子に掛けた。
「え……めっちゃヤバイじゃん……!」
「そうだよ! なんでちょっと嬉しそうなんだよ!!」
ツルギはケタケタと笑う。
「笑っちゃいけないときほど笑っちゃうよね」
「この野郎……!」
手で顔を覆って俯くキイチ。沈黙。ゆっくりと顔を上げる。
「専門家の意見が聞きたい」
ツルギはキイチの向かいの椅子に掛けた。
「呪術の専門家はつまり吸血鬼狩りを生業にしてたものたちだぜ。俺達吸血鬼に協力するか?」
「和平協定が結ばれて100年だぞ。前時代的考えに縛られるものもいるだろうが、それだけじゃないはずだ」
「……どうかな」
ツルギは窓を見た。キイチも窓を見る。空には暗雲が立ち込めていた。
翌日夕刻。イル・アンヴァン学院の中庭。
曇天の中、キイチとツルギはベンチに座っていた。キイチはぐったりと頭上を見上げ、言葉を吐き出す。
「甘かった」
「そうだな」
「一日歩き回っても何一つ得られない……人間と吸血鬼の溝が深いのは理解していたが、まさかここまでとは……。」
「呪術師は特にそうなんだろうな」
「もう一つ驚いたのは人間の中のストレンジャー差別だ。俺を吸血鬼だから忌避するのでなく、ストレンジャーの関係者だからと忌避する者たちが大勢いた」
「まあそうだろ。両種族間の婚姻が可能になったことに際して、わざわざストレンジャーであるエリカ嬢が選ばれたのはなぜか?」
ツルギは煙草に火をつけた。キイチは力なく答える。
「ストレンジャーの地位向上も兼ねてる……ってことか」
キイチは空から目の前の花へと目線を移す。
「重いんだな。ストレンジャーの名は」
「どうでもいいことにこだわるんだよ。人間は」
ツルギ、煙を吐き出す。キイチは背もたれから体を起こし、なんとか新たな可能性を探ろうと言葉を紡ぐ。
「吸血鬼の中で呪術に詳しいのは?」
「たかが知れてる」
「無いよりましだ」
「ブラッドの一族だろ」
「……」
キイチは絶望に手で顔を覆う。
「おや、そういえばブラッドの関係者が近くにいたような」
「俺だよ!たかが!知れてるわ!!クソが!!」
頭を抱える。
「もはや笑いも出ないな」
苦笑いする。
「くそ……八方ふさがりだ……エリカ……」
重たい沈黙があたりを包む。突然キイチがばっと顔を上げた。
「いい! ないよりましだ!」
「めげないねえ」
「当然だ!」
人間のパニックを阻止するため、なにより愛する人のためにもあきらめるわけにはいかない。キイチはベンチから立ち上がる。曇天から晴れ間がのぞき始め、日に当たることができない(日に当たることができるキイチが特別なのだけれど)ツルギは慌てて校舎の影へと避難した。
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