第五話 キイチの想い

 パーティーの喧騒とは別世界のバルコニーで、キイチは煙草を吸っていた。

 とある青年がバルコニーへ入ってくる。キイチの悪友であるツルギ・フォースターである。タキシードを着崩したツルギは真っ直ぐキイチの方へ歩いてきた。


「一人か?」

「ああ」


 ツルギは首をかしげる。


「なんだよ」

「いとしのエリカ嬢は?」


 キイチは振り返り、恨めし気にツルギを睨んだ。その頬にはきれいな紅葉が浮かんでいる。


「ああ?」

「わかったよ。察した」


 ツルギはへらりとする。キイチは舌打ちをする。ツルギは懐から煙草を取り出して一本銜えた。キイチがツルギにライターを投げてよこすと、それを受け取ったツルギは表情だけで感謝を示し、煙草に火をつけ、一服した。流れるような一連の動作からは二人の間に流れる長い月日をかけた信頼が見えるようだった。


「あ、そうだ」

「あ?」

「突然だけどさ、名前変えないのか?彼女」

「……」

「ずっと気になってたんだよ。ストレンジャーってほとんど蔑称なんだろ?」

「ああ……出自不明な異邦人、故郷亡きストレンジャー」

「まあ俺たち吸血鬼には関係ないっちゃないけどな。なんでわざわざそんな名前名乗

 ってんの?」


 キイチは空へと流れていく煙を見つめた。


「さあな」

「いや知らないのかよ」

「知らねえよ」


 目線を煙から床へ落とす。


「それが彼女の矜持なんだろ」

「ほう?」


 キイチはツルギに顔を向け、緩く微笑した。


「知らねえけど」


 ツルギも微笑を返す。煙を吐くだけの沈黙。キイチは俯き、懺悔のようにつぶやいた。


「……初めて会ったとき、まだ彼女は……言葉が通じなくて」

「……」

「俺はそれに救われた」

「へえ」


 ツルギはにやっとする。


「他の誰にも言えなかったことが言えた。愚痴とか弱音とか」

「通じてないからな」

「ああ」


 床に落ちた灰を見つめる。


「でも、だから。言葉が通じるようになってからも彼女にだけは弱音が吐けた」

「ほう」


 キイチは深くため息をつく。


「時は流れていつの間に。いつの間にやらあなたの虜。ああいとおしや口惜しや。つれなくされては口惜しや」


 じろりとツルギを睨む。


「……だろ?」


 キイチは何度目かの舌打ちをする。


「そうだよ」

「なるほどねえ」

「……変か?」

「いや、いいんじゃないか?」


 キイチは空を見上げる。ツルギはにやっと笑った。


「知らねえけど」


 ツルギの方に顔を向け、キイチは口角を上げる。その時、キイチの従者である若い男性がバルコニーに走り込んできた。


「キイチ様!!」

「どうした」


 キイチはぼんやりと煙草を口から離す。


「至急お戻りください!エリカ様が!!」

「あ?」


 ばっと従者の方をむいた。なにか嫌な予感が駆け巡っていた。




 客間は広間と比べて簡素なつくりになっていた。息を切らせたキイチが勢いよく扉を開ける。ベッドに横たわっているエリカには、肩口に刺青のような紋が浮き出ていた。


「エリカ……!」


 ゆっくりとベッドに近づく。ツルギと従者の男も遅れて入室した。


「先ほど庭で倒れられているのを見つけて……」


 ツルギがキイチの横に歩み寄る。それを受けてキイチはツルギに問いかける。


「これは……呪術か?」

「だろうな」

「じゅ、呪術ですか?」


 ツルギはエリカの肩のあたりでしゃがんだ。


「しかし呪術は、人の術でしょう」


 おどおどする従者にツルギは振り向かないまま答えた。


「ええ。呪術とは人が吸血鬼を呪うための術……」


 その通りだった。吸血鬼の牙と身体能力に対抗するために人間が編み出した術、それが呪術だった。従者は信じられないといったように言う。


「そうですよ、人が人を呪うなど」

「時代でしょうかねえ。お?」


 エリカの手に紙が握られているのを見つけたツルギは、ゆっくりとエリカの手から紙を取り出す。


「……ほれ」


 ツルギは紙をキイチに渡す。手紙には今にも滴りそうな血文字が書かれていた。『吸血鬼に与する裏切り者。エリカ・ブラッドを罰する。永遠に眠り続けよ』書いたものの悪意をそのまま紙に込めたようなまがまがしさだった。


「なめやがって」


 キイチは手紙を握りつぶした。強く握られた拳には血がにじんでいた。

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