第三話 帰ってきたキイチ

 中庭を横切った場所に歴史資料室はあった。エリカとバルフォアが並んで立っている。バルフォアは持っていた大きな段ボール箱を置き、エリカにも置くよう促した。


 「悪かったね。一人で持つにはちょっと授業道具が多くて」

 「いえ」

 「手伝ってもらって助かったよ。ありがとう」


 バルフォアが、流れるような動作でエリカの肩にポンと手を置いた。ごく自然だった。その瞬間、エリカはなにか全身から力が抜けるような感覚がして、少しよろめいた。


 「大丈夫かい?」

 「え、ええ。ただの立ち眩みです……」

 「そうか……。じゃあまた授業で。お大事にね」


 エリカは一礼するときびすをかえす。バルフォアはエリカの背中を見つめ、冷たく微笑した。




 一仕事終えたエリカは寮へ戻ろうと1人歩いていた。そこにまた先ほどの感覚があり、ふらりとよろける。


 「疲れてるのかしら……」


 エリカは近くのベンチまで行き、腰かけた。ぼんやりと中庭の花を見つめる。静かに休んでいたいのに、往来はにわかに激しくなり始めた。何かを囲むように人だかりができているらしかった。


 「うるさいわ」


 エリカの足にエリカとは違う制服の女生徒がぶつかる。吸血鬼だ。学院では人間と吸血鬼で別々のカリキュラムを別々の場所で受けさせられる。制服もまた別だった。吸血鬼の女生徒は吐き捨てるように言った。


 「邪魔!」

 「はあ!?」


 女生徒はエリカを歯牙にもかけず往来へ消えていく。エリカは舌打ちをした。


 「吸血鬼って最悪……!」


 エリカはそっと目を伏せる。体調の悪さも相まってか、エリカは気づかなかった。人だかりの中心人物である、その存在の接近に。その存在……18歳になったキイチ・ブラッドは、王者のようにゆっくりと歩を進め、エリカの目の前で止まった。


 「エリカ」


 エリカは驚いて目を開け、ゆっくりとキイチへ顔を向ける。


 「キイチくん……」

 「少し雰囲気が変わったか?一瞬分からなかったよ」


 キイチは笑う。もうすぐ帰ってくると聞いてはいた。心の準備をしたつもりでいた。しかし実際会うのはわけが違う。憧憬、怒り、恋慕、様々な感情がないまぜになって吐きそうだった。それなのにこの男はこんなにも屈託なく笑っている。エリカはどうしようもなく悔しくなった。パッと立ち上がりその場を離れようとする。キイチは当たり前のようにエリカの手をつかむ。エリカはこれを瞬時にはねのけた。


 「これはすまない」


 不躾に手をつかんだことへの詫びだったが、声音にはすこしの反省もなさそうだった。


 「失礼します」

 「待てよ」


 キイチは再びエリカの手をつかむ。


 「触らないで!」


 エリカは眉を吊り上げた。


 「君はかわらないな」

 「さっき変わったって言ったわよ」

 「そうか? 忘れた」

 「貴方は少しも変わってない」


 エリカは吐き捨てるように言うと歩き出す。一刻も早くこの男から離れたかった。


 「待てって。ほんとに話聞かねえな」


 みたびキイチはエリカの手をつかんだ。乱暴に手を退けるエリカ。ヒステリックに叫ぶ。


 「触らないでって言ってるでしょ!」

 「今夜には父も着く。君にもパーティーに出てもらう」

 「行かない!」

 「行くんだよ。決まってるからな」


 キイチの声色には嘲笑するような色がにじんでいた。反論しようと振り向いた瞬間、エリカは殴られたように倒れ込んだ。エリカの体が床につく前にキイチが支えに入る。


 「おい!? エリカ? エリカ!」


 エリカはぼんやりと目を開けた。


 「え?」

 「大丈夫か?」


 ハッとして真っ赤になるエリカ。


 「大丈夫よ!!」


 キイチの体を押しのけて歩き出す。


 「お礼位あっても?」


 キイチはエリカの背後から話しかけた。


 「支えていただいてどうもありがとう!」


 エリカは振り向いて吐き捨てた。


 「どういたしまして」

 「さようなら!」


 つかつかと歩いていく。


 「夜迎えに行く。特に用意はいらないから安心してくれ」

 「行かないわよ!」


 キイチはくすくすと笑った。

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