第二話 不穏な学院
現在。
荘厳な石造りの古城、イル・アンヴァン学院の大教室。白髪の教師セイジ・バルフォアが黒板に文字を書いている。17歳になったエリカは後方の席で頬杖をつき、授業を聞いていた。長い黒髪をそのまま流すその姿はとても美しく人目を引く。板書を終えたバルフォアが振り返り、ぼそぼそと教科書を読み上げる。
「我がイル・アンヴァン学院は本年度100周年を迎える。それはすなわち吸血鬼と人間が共存にむかって歩き出してから100年を経たということになるが。この時結ばれた和平協定、一般にはアンヴァン協定……」
人のほかに吸血鬼の存在する世界。吸血鬼は牙と身体能力で人間を襲い、人間は吸血鬼に対抗するため呪術を編み出した。長く敵対してきた両者だが、双方の未来のため吸血鬼と人間との間に和平協定が結ばれ、両種族の恒久の友情を誓い、両種族が共に学ぶイル・アンヴァン学院が建立された。そんな能書きをよそにエリカはあくびをする。
授業を終えたエリカは、白のレンガ造りの建物、女子寮へ戻ってきていた。エリカの部屋には物がほとんどない。簡素な部屋だった。エリカは窓の前に椅子を置いて座り、空を眺めている。授業後の静寂のひと時を破ったのは、教師に変身したシイナ・ユーステスだった。シイナは勢いよく扉を開けた。
「エリカ!」
そんなシイナを一瞥し、エリカはため息をつく。
「新作なんだけど! どう!」
「いつも言ってるけど、技術は完璧でも表情がシイナだって」
「まあね」
「褒めてない」
シイナは指を鳴らし、変身を解く。
「技術が完璧ならいいのよ。エリカも変えてあげようか?」
「いらない。まあでも流石にユーステス家の秘術って感じよ?」
「私には使い道なんかないけどね」
ユーステス家の秘術、変身術。様々な術のあるこの世界でもその変身術は貴重であり、知る者も少ない。それを惜しげもなく親友に見せてしまうのは、シイナのおおらかさ、あるいは大雑把さゆえだった。
そんな時窓の外で爆発音がする。驚いて窓を見る二人。しかしすぐに落ち着いた表情に戻る。それほどに日常の光景だった。あきれたようにエリカが口を開く。
「よくやるわね……吸血鬼撲滅過激派か、人間隔離過激派か」
吸血鬼と人間の間に和平協定が結ばれて100年がたった。それでもなお両者には互いを滅ぼすべきであるという過激派が多く存在し、日夜破壊活動を行っていた。椅子から立ち上がり、エリカは窓から離れる。シイナは変わるように窓に近づき言う。
「最近多くない?節目の年だからって元気よね」
「知らないわ」
振り返ったシイナはエリカをみてふっと笑いすべてを嘲るように言葉を紡いだ。
「たった100年で何か変わったかしら」
告げられたエリカはシイナではなく遠くを見ている。
「……変わらないわよ。今も吸血鬼は人間を蔑んだまま」
「人間は吸血鬼を憎んだまま?」
「……」
「ふふ。怖い顔」
シイナはそっと窓から離れた。エリカは部屋を出ていこうとする。
「どこ行くの?」
「バルフォア先生に呼ばれてるの。資料運び手伝ってほしいんだって」
同刻、学院応接室。
モノトーンで統一されたシックな部屋の電気はつけられておらず、窓からの陽光だけが差し込んでいた。テーブルの上にポットと二つのティーカップが置かれている。実業家風の中年男性、トール・クロスビーと小柄で気弱そうな男性、学院教師ジュロウ・フォーサイスが向かい合って座っていた。フォーサイスが口を開く。
「今度戻ってくる、キイチ・ブラッド……吸血鬼の弱点のほとんどを後天的に克服した存在……」
「ええ」
「恐ろしいことです……今度こそ人間が滅ぼされてしまうかも……」
フォーサイスはそわそわと何度も手を組み替える。彼は吸血鬼を恐れていた。吸血鬼を恐れるあまりに、利用されてしまった。とある大きな吸血鬼撲滅過激派組織のトップ、トール・クロスビーに。クロスビーは薄く笑い、ティーカップを口に運ぶ。
「人間は……吸血鬼が進化するたび、対応するように進化してきた」
ティーカップを机に置くと、クロスビーは静かにつぶやく。
「進化の時だ」
フォーサイスはうつむいた。
「永遠にいたちごっこを続けるんですね…」
「いや? 絶滅させよう、今度こそ」
フォーサイスは首をかしげる。クロスビーは口角を吊り上げると立ち上がり、窓から外を眺めた。
「キイチ・ブラッド、彼がいかに強いとて、何者にも弱点はあるもの……」
その目線の先には、中庭を歩くエリカが映っていた。クロスビーはますます笑みを深くする。企みの笑みだった。
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