人間――2話

「変わんねぇのか」

 じっと成り行きを見守っていたキビキが疲れたような声で言う。

「お前らのせいであいつは……。アズマ国の為に死ねと言われた巫女は、千年も祈り続けてきたんだぞ。この大災害はお前たちのせいだ!」

 ボコボコと沸き立つ怒りを抑えながらキビキは言った。


「この大災害が我々のせいだと言うのか? さすがは魔物の考えだな。見ての通り人間は被害者だ。国は魔物たちに蹂躙され、民は逃げ惑う。この惨状を見て人間が悪いなどと、よく言えたものだな」


 隊長はキビキを嘲る。そして「檻に入れておけ」と他の兵に命令した。

 するとキビキの怒りは我慢が利かないところまで膨れ上がり、熱湯に浸かるような感覚がした。あるいは全身が凍るようでもある。

 あれやこれやと考える事がだんだん億劫になり、このまま感情の激流に身を任せてしまいたくなる。ただ、巫女の言葉を思い出す。


『こんなに汚い命は見た事がない』


 そしてどうしようもなく虚しさが込み上げ、今まで生きてきて初めての咆哮をする。

 キビキの視界には、武器を構えたり魔法を放つ人間たちしか映らなくなっていた。


「止まれ、キビキ!」


 急に響いた聞き慣れた声が、暴れ出す寸前のキビキを止めた。それは、いつもの手の平ほどのコドラだった。コドラは怒りに我を忘れそうになっているキビキの顔面に張り付き、止まれと訴える。


「コドラ……」

「おぉ、戻ったか。よしよし。それにしてもキビキ、お前なぜ……」

「悪いな。力が欲しくてさ、魔物石の花を食ったんだ」

「バカな事を」


 そんな風にキビキが落ち着くのを待っている間に、人間たちはキビキを檻に送るための魔法を完成させたようだった。

「大丈夫だ、キビキ。すぐに迎えに行くから、ここは一旦こいつらに捕まるのだ」

「分かった」

 そうして琥珀色の魔法を受け、キビキとコドラは暗く冷たい場所に転送される。

 そこは魔物たちを閉じ込めておくための、頑丈な檻だった。


「では皆にこの場所を知らせに行くからな。待っていてくれよ」

「あぁ……。頼む」

 俯くキビキを気にしながら、元が雲であるコドラはシュルシュルと外に出て行く。


 魔法で組まれた石の檻。一方は格子になっているが、光は入らない。その向こうに小さく松明の灯りが揺れているだけだ。

 外に続く窓は天井すれすれにある細長い隙間だけ。そこから魔物たちの咆哮や人の叫び声、雷鳴や地面を抉るような雨音が聞こえる。

 ここにはキビキのいる檻の他にいくつもの檻が並んでいるようで、苦し気に呻く声が聞こえている。


 叫ぶ力も奪われたのだろうかとキビキは考え、それから自分の手を見た。

 ゴツゴツとした宝石ばかりが目立つ手だ。爪は刃物のように鋭く、指が異様に長い。そんな鬼の手だ。この手だからこそ守れるものもあるだろうけれど、それでも先ほどの自分の咆哮がキビキの耳から離れない。


「後悔じゃないんだよ」

 キビキは一人、呟いた。大切な仲間たちを守る力が欲しくて選んだ姿だ。

 人間たちのどんな醜い面を見ても、それでも愛されたくて伸ばした手。その手を取ってくれた仲間たち。守れるのならどんな姿にだってなってやるという決意は、キビキに中にある。


 けれどもし、あの声に負けたなら?

 自分が魔物になってしまったなら?

 そうしたら今度こそコドラに殺してもらおうか、とキビキは自嘲する。


 細い窓から飛び込んだ稲光が、情けない鬼の影を見せた。

 仕方がない事もあるのはキビキも分かっている。けれど、人間の心の汚さが事態を悪化させ続ける。責任は自分以外の誰かにしかない。

「ゲンたちが酔いどれ森に籠る気持ちも分かるよな」

 キビキはそう言葉を漏らすと凍えるほど冷たい床に体を横たえ、目を閉じる。


 いくら考えを巡らせても、どんな想像をしても、その全てに人の心の弱さがついて回る。

 その弱さが汚さの根源だと分かっていても、それでもどうにもならない。どうにかしようとするのは、例えば小石で川の流れを変えようとするみたいでどうにもならない。

 いつだって飲まれるだけなのだ。

 そんな事を考えながらキビキは涙が止まらなくなる。


「何やってんだろうなぁ」

「生きようとしてるだけですよ」

 独り言に返事が返ってきた事に驚き、キビキは体を起こす。どれだけ考え事をしていたのか、そこにはアワタが立っていた。

 気付かないうちに長い時間、考え込んでいたらしい。


「ありがとうな。ずいぶん早かったな」

「えぇ。息が詰まるほどの魔素が溢れていますからね。転移魔法で来ましたよ。怪我はありませんか?」

「あぁ」


 アワタは鍵で檻の戸を開けながら言う。

「行きましょう。兵たちは一緒に来たサツマさんが怒鳴りつけて連れて行きましたから。鍵もサツマさんが取り上げてくれたんですよ」

「そうだったのか……」

 けれどキビキは、伸ばされたアワタの手があまりにも小さく見えて掴めずにいる。


「なぁ、アワタ。俺は……どう見える?」

「キビキさんですよ。ちょっと体が大きくなった気はしますけど、いつもと同じキビキさんです。こんな時代に、見た目なんかは何の指標にもなりませんよ」

 アワタはキビキの手を掴み、そして微笑んだ。

「急ぎますよ。青炎龍を止める手段を考えなくていけませんからね」

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