ヨネジの事情

ヨネジの事情――1話

 ほんの少し肌寒い朝、背もたれのない簡素な作りの長椅子に麻の布を敷いただけの寝床でキビキは目を覚ます。

 今までキビキが使っていた木枠に畳敷きの寝床は、ヒエイとモロコが二人で使っている。

 まだ寝起きのキビキの耳にはパチパチと火の爆ぜる音が聞こえており、ゲンがすでに起きている事が分かる。ゲンはいつも早起きなのだ。

 キビキが体を起こすと、案の定ゲンは朝日の差し込む台所で魚をさばいていた。


「おはよう。朝から魚釣りに行ってたのか?」

 キビキが聞くと、ゲンは「いいのが釣れた」と満足そうに答える。

 二人はまだ眠っていた。

 ゲンは寝息を立てる二人の方を見ながら「賑やかになったもんだな」と笑う。


「さすがに四人じゃ狭いけどな」

「モロコはすぐに自分の店を建ててやると言っていたぞ。そうなればヒエイも、おそらく一緒にそっちで住むだろう」

「ふぅん。まぁ、出てってほしい訳じゃないけどな」

 キビキがそう言うと、返事の代わりにゲンが笑う。


「なぁ、キビキ。お前、最近コドラの所に行ってるか?」

「そういや行ってねぇな。死ぬのを先送りにしたからな、朝から通わなくなったんだよ。でも分体には会ってるぞ。コドラがどうかしたか?」

「岩山の上に本体がいない」

「またフラフラと放浪してんのか? なんでいつも本体で放浪するんだろうな?」

 キビキは首を傾げる。


 そんな、いつもとあまり変わらない会話をしながら焼き魚の朝食を食べている時だった。

 玄関の戸がノックされた。

「誰だ?」

 ゲンが聞くと「ヨネジじゃ」と外から返事が返ってくる。

 ゲンが戸を開けに行くと、キビキはいつもの癖でフードを探してしまう。そして、そう言えばいらなくなったのだったな、と思い出した。

 酔いどれ森の鬼は自分であるとキビキが明かしたのが昨日の事だ。


「ここまで来るなんて初めてだな」

 冷静な物言いの中にも、ゲンの驚きが滲んでいる。

「あぁ。こんな深くに住んでいるとは思いもせんかったでな。食事中かの? それならまた後で来よう」

 ヨネジはキビキの方をチラリと見ると、そのまま帰って行こうとする。


「一緒に食べていけばいいじゃねぇか。なぁ?」

 キビキが桶の中で泳ぐ魚の数を数えながら言う。そしてヨネジはゲンにも促されて中に入って来たのだが、口数は少なく表情が硬い。

 そしてキビキが驚いたのは、ヨネジが全く酒臭くない事だ。

「もしかしてヨネジ、シラフじゃねぇか?」

「ん? あぁ。まぁ、そうじゃな」

 ヨネジが答えると、ゲンは「そりゃあいい」と言ってヨネジに焼き魚を用意する。


「酒なんか夢現に全てを誤魔化しちまう。ロクなもんじゃないからな。今日は武器の注文かなんかか?」

 ゲンが聞くと、ヨネジは「いいや」と首を横に振る。

 それから言葉に詰まり、じっと考え込んでしまった。

「なんかあったのか?」

 キビキが聞くと、ヨネジはハッと顔を上げる。


「いいや。大した事じゃないんじゃが、少しキビキに聞きたい事があってな」

「俺に? なんだよ?」

 キビキは何か悪い話ではないのかと、内心ひやひやする。

 しかし今だって鬼の姿のままの自分と一緒に食卓についているのだし、大丈夫だよなと自分に言い聞かせた。


「キビキ……お前さん、何年くらい生きとるんかの?」

「百五十年くらいだけど、聞きたい事ってそれだけか?」

「あぁ。変な事を聞いて悪かったのぉ」

「いや、別にいいけどよ」


 その後はパッといつものヨネジに戻り、明るく笑い、一緒に朝食を食べた。

 ヒエイとモロコはよほど疲れていたのか、キビキたちが食べ終えても起きて来ない。

 そこへコドラがやって来た。

 いつもと同じ、どこからともなくスルリと入って来たのは小さな分体のコドラだ。

「おはよう、コドラ。お前、また放浪してるんだってな?」

 キビキがからかうと、コドラは「そんな事より外を見ろ」と言う。


 言われて窓から外を覗くと、つい先ほどまでそこにあったはずの太陽が見当たらない。代わりに、ほんのりと光を帯びた霧が辺り一面を覆っていた。

「すっげぇ霧だな」

 キビキが感心したように言うと、ゲンが「魔物だ」と呟く。


「え? この霧が魔物の仕業なのか?」

「あぁ。霧が魔素を帯びて光っているだろう」

 キビキに答えながらゲンは壁にかけてある斧を手に取る。これはゲンの愛用の武器だ。とは言っても、普段は木を切ったり巨大な肉を捌く時にしか使わないが。

 なので、キビキは驚いて聞く。

「ゲンも退治に出るのか?」

「あぁ。この霧では、もう理性は望めんのだろう。それで呼びに来たのだな?」

 ゲンは視線をコドラに移して聞く。


「おそらくは、だがな。頼んだぞ」

 コドラがそう答えた頃には、ヨネジもいつものゴツイ杖を構えていた。そして目を輝かせてゲンを見る。

「伝説の鍛冶師の戦いが見られるとはのぉ。長生きはしてみるもんじゃな」

「この霧だ。見えるとは思えん」

 つんとゲンはそう言った。照れているのか何とも思っていないのか、ゲンは本当によく分からないなとキビキは思う。

 そうして外に出た時、もうコドラはいなくなっていた。


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