ヒエイ語り
ヒエイ語り――1話
それは青い空に花の香りのする風が吹き抜ける処刑の朝。彼女は逃げ出した。
ヒエイは十二歳の時に怪鳥を討ち取る魔剣士たちを見て、それに憧れた。
その日は珍しくヒエイの父が営む古物商を休みにし、父と母と弟と四人で出かける事になっていた。いつもより上等な服を着せられ、牛車に乗り港町まで行くのだ。
ヒエイの家は戦乱区とも呼ばれる酔いどれ森周辺からは、馬で七日ほども離れた場所にあった。
縦長に続いているアズマ国の領地は、その国境のあちこちで緊張状態が続いている。とはいえ酔いどれ森から遠く、代わりに港町に近い地域なので他よりは平和だ。
「お父様! 船がいっぱいですよ! 乗せてもらえるかしら?」
「あぁ。私は仕事で来ているのだから勝手に好きにしていろ。だが、はしたない真似はするなよ。出会う全ての人間が客になる可能性があるのだからな。今日の休みを店の為に有意義に使うのだ。それから服を汚すなよ。母さんは私と仕事に行くからな」
そう言って、父親はヒエイと弟にお金を渡す。
しかしそれを握りしめて牛車から降りようとした時、ピギャァア! という奇声と共にヒエイたちの乗る牛車が横転した。
何事かと思った時にはヒエイは丸裸になった空を見上げ、怪鳥が牛を丸飲みにするのを目撃していた。
人々の悲鳴の中、自分はあまりの事に恐怖を自覚するのが遅れた。
すると、一人の剣士が空に飛びあがる。その剣士は風魔法を纏った剣風を発射に使い、空の中で怪鳥に斬りかかった。魔剣士だ。
魔素を発射に使ってしまってもう大した魔法は使えないはずなのに、その魔剣士は自分の剣技だけで怪鳥を打ち落したのだ。
ヒエイは恐怖なんて感じる間もなく、魔剣士への憧れを抱いた。
「お父様……私、魔剣士になりたいです」
「なに? 魔剣士? ふむ。それなら今日わざわざ……」
ブツブツと考え事をし始めた父の様子に、ヒエイはダメだと言われる事を覚悟した。
しかし、父の答えは意外なものだった。
「いいだろう。私は男女で差別はしない。店の方は弟が継ぐのだから、お前は好きに生きたらいい」
その父の言葉が嬉しくて、ヒエイは大剣を振るうあの魔剣士の姿と共に、その言葉を胸に焼き付けた。
そしてバタバタと慌ただしくなる港町。ヒエイは、その中で聞いたサツマという名を頼りにコガネ城に入城するための訓練を始める。
しかし、翌月から始まった訓練はヒエイが思っていたようなものではなかった。
魔素をより多く体に取り込む訓練には骨が軋むような痛みが伴ったし、ごく普通の古物商の娘が魔剣士に必要なだけの体力をつけるには尋常ならざる努力が必要だった。
父はヒエイに二人の教師を付け、自宅の向かいの空き地を借り切って練習をさせた。教師は引退した老年の魔剣士と、魔素について学ぶためにドワーフの女性が一人。
二人はヒエイを心配してくれたが、父は妥協を許さなかった。
「お前の夢を叶えるため」「男女差別はしない」「差は努力でしか埋まらない」
そんな事を言いながら、父は度々ヒエイの訓練を見に来た。隅の椅子に腰かけ、じっと射るような視線を投げかける。
入城試験を受けられる十五歳を目前にした十四歳のある日、練習中に体力が尽きてヒエイが倒れてしまった。
意識はあるのに指の一本さえ動かせない。
実際、ヒエイは頭打ちの気配を感じていた。どれだけ努力しても、男たちに比べると圧倒的に体力も筋力も足りないのだ。体の限界かもしれないと、ヒエイは思う。
そんなヒエイの前に父が立ち、こう言う。
「立て。敵の前でもそうして倒れているつもりか」
「しかし旦那様、ヒエイさんは女の子ですからね。体のつくりが違うのですよ」
女ドワーフの先生がそう言うと、父はギロリとそれを睨み付ける。
「なんだと? 男だから女だからとくだらん! これはヒエイが選んだ道だ! 女だからと練習量に差を付けられては敵わん。お前は首だ!」
その日から、本当にそのドワーフの女性は教師をクビになってしまった。
入城試験まであと半年。そこから更に三年、城で魔剣士の技術や城のやり方を学ぶ事になる。
多少の気持ちの揺らぎはあったものの、それでもヒエイはあの日のサツマの姿を夢に見て厳しい訓練に耐える。
迎えた試験の当日、ヒエイは父と師と共に酔いどれ森にほど近いコガネ城まで来ていた。
ヒエイとしては、仕事が一番な父が店を母と弟に任せて自分に付いて来てくれたことが嬉しかった。
厳しい訓練に耐えきったという自負もあり、落ちるなどとは思ってもいなかったのだ。
「あぁ、試験は受けられませんねぇ」
城の前に立つ役人らしき男はそう言った。
ヒエイは血の気が引くのを感じた。
「なんだと? 何かしっかりとした理由があるのだろうな?」
父は役人を脅すように聞く。
「理由も何も、女性はちょっとね。うちの殿は無駄を嫌うのですよ」
役人の言葉に父が激高する。師も話が違うと抗議していたが、役人の「殿の御心のままに」という言葉で黙ってしまった。
その後の父が自分を見下す目を、ヒエイは何年たっても忘れられずにいる。
「試験が受けられなかったからと言って、今さら娘には戻れんぞ。いいか? これはお前が決めた道なんだ。恨むなら己を恨め」
それから師は自分の国へ戻り、父だけが家に帰って行った。
勘当されたのだとヒエイが気付いたのは次の日だった。
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