家に襲われる日――4話

 ゲンの家を出て、キビキはズンズンと目の前の清酒川を上っていく。

 内山の麓にあって囲い川から遠すぎない場所にあるのにこの辺りに人が滅多に入って来られないのは、間にコドラの住む岩山がそびえているからだ。そして滝。

 キビキは薫り高いウイスキーの滝壺に着くと、轟轟と流れ落ちる水の裏側に入って行く。


「あの……どこに行くの?」

 ヒエイが不安そうな声で聞いた。

「地下だ。俺一人なら滝壺に潜って行くんだけどな、お前には無理だろうから面倒でも階段で行くんだよ」

「階段で? 地下に何があるの?」

 待っていた質問が飛んできたので、キビキはにやりとして振り返る。

「俺の飯だよ」


 どんな想像をしたのか、ヒエイはヒィっと短く悲鳴をあげる。

 可哀想だとは思うけれど、キビキは「人の食いもんじゃ腹が満たされないからな」とさらにヒエイを脅す。

 怯えて出て行ってくれたらいい、あるいは岩場の人間たちの所へでも行ってくれたならとキビキは願う。やはり人のそばは恐ろしいのだ。


 滝の裏に回ると、そこには石を積んで作った階段がある。これを作ったのが誰なのかは分からないけれど、ゲンが酔いどれ森に来た時にはすでにあったと言っていた。

 苔生した階段は、右側の壁づたいにらせん状に続いている。中央には巨大な砂時計のような形の岩たちが見えている。この巨大な砂時計は滝壺だ。

 キビキはいつも真ん中の狭い場所にある水の抜け道に体をねじ込み、砂時計の下半分をくるくると回りながら滑り降りて地下の川に交じる。

 螺旋階段には手すりがあるとはいえ、それは簡単に縄を張っただけのもの。

 ヒエイはキビキの後ろから、ガクガクと足を震わせながらようやっと付いて来ている。


「も、もうちょっとゆっくり歩いてよ。怖いじゃない。置いて行かないでよぉ」

「あのなぁ」

 キビキは我慢ができず、溜め息を吐きながら振り返った。

「男の姿で女口調はやめてくれ」

「なんでよ? どうせバレちゃったんだからいいでしょ」

「違和感がひどいんだよ。頼むからやめてくれ。もしくは脱いでくれ」

「いやよ。これから一緒に暮らすのに、そんな気の使い方してたら疲れるじゃない」

 ヒエイは男の姿でそう言い、壁にしがみ付いて震える。

「そうかよ……」


 キビキは諦めてまた螺旋階段を下り始める。その後ろでヒエイは「待って、待って!」と叫んでいる。

 それでもどうにか下まで着いた。そこには光酒が流れていて明るいのだが、それでも地下だ。薄暗い事に変わりは無いし、魔物石も蠢いている。人間たちにとっては気味の悪い場所だろう。


「ありがとう」

 急にヒエイが言った。

「え? なに?」

「ここに連れて来てくれてさ。すっごく綺麗ね。特別な場所なんでしょ? 空気が違うものね。だからありがとう」

「いや、別に」


 思惑が外れて戸惑いながらも、キビキは諦めずに次の行動に出る。

 そして辺りを適当に歩きながら、赤色の丁度いい石を見つけた。それを手に取り、ヒエイに見えるように差し出す。

「え? くれるの?」

「これは石だ」

「ん? えぇ、そうね。確かに素敵な宝石の原石だわ」

 その言葉を聞くなり、キビキはヒエイの目の前でその石をボリボリと食べて見せた。


 さぞ恐ろしいだろう、一緒に暮らすなんて考えられないだろう、逃げ出したいだろうと思いながら最後のひと欠片まで食らいつくす。

 案の定、ヒエイは愕然とした顔で震えている。

 これでいい。これでいいんだ。キビキは自分にそう言い聞かせた。


「何やってんのよ! いくらすると思ってるの⁉」

 おもむろにヒエイは叫んだ。今度はキビキが愕然とする番だ。そして、そういえば先日も同じことを言われたな、と思い出す。

「これが俺の飯なんだ。ただの石よりキレイな石の方が美味いんだよ」

「好みの問題なら我慢して! エルフの前でそれやったら、あの人たち商売人だから卒倒するわよ」

「これ、そんなに高いのか?」

「もちろんよ。分かるでしょ?」

「分かるかよ。俺は六歳の時にこの森に入って百五十年、ずっとここに居るんだ。外の価値観なんて知ったこっちゃねぇな」


 そうキビキが言うと、ヒエイは小さな声で「ごめんなさい」と言う。

「別に謝らせたいわけじゃねぇよ。だから俺は食うって言ってるだけだ」

「それはダメ」

 そんな風に話ながら、キビキは悩んでいた。ヒエイを追い出せないかもしれないと諦めかけているのだ。それどころか、一緒にいてもいい気さえしてきている。

 キビキは考え事をしながら立ち止まる。すると、パタパタとヒエイが走り出したのだ。


「あ、待て! そこは危ないから入るなって言われてんだ」

 分かれた川の支流、広く浅いその流れの先には危険な魔物が眠っているから絶対に近づくなとコドラが言っていた。

「危ないって? でもこれ、鳥居よね?」

 ヒエイは水晶でできた石の柱に触れながら言った。

「鳥居ってなんだ?」

「これの事よ。しかも水晶の鳥居って、この先にあるのは神域のはずだけど」


 どういう事だ? とキビキは混乱する。コドラが嘘を吐いたのか? と考え、すぐさまそれを否定する。そんな訳がない。これでも長い付き合いなのだ。

 ならばヒエイが嘘を吐いているのか? しかしキビキは、それも違うような気がした。


「神域に魔物っていると思うか?」

「いるわけないわよ。神域は浄化するための場所だもの」

 世界中にこびり付く影を、淀みを浄化する為に用意されるのが神域だとヒエイは言う。

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