家に襲われる日
家に襲われる日――1話
ある雨上がりの昼、キビキが夕飯を釣ろうとにごり酒の森に行くと見知らぬ男が流されて来た。袴に鎧、腰には刀が二本。
アズマ国の剣士だろうか、とキビキは思う。
そのまま流しておくわけにもいかないので川の中へバシャバシャと助けに入ると、男は気を失っているだけだと分かる。
傷だらけで青い顔をしている男は確かに精悍な顔立ちをしているのに、不思議と色気や頼りなさを感じさせた。
仕方がないので、キビキはその男を抱えて家に戻る。
家に向かう間、男は目を覚まさなかった。けれど息がある事は確かなので、キビキは鬼の姿で急いで走った。
「ゲン爺。にごり酒の川で剣士を拾ったぞ」
キビキは男を火の側に寝かせながら言った。
「剣士だと?」
ゲンは駆け寄り、それから「鎧を脱がせろ」とキビキに指示をする。
キビキは酒で全身ずぶ濡れな男の鎧に手をかけ、慣れない手つきで脱がせていく。
するとそこに胸が現れた。たわわな胸だ。決して胸板などではない。
訳が分からなくて脱がせたばかりの鎧を着せると、たわわな胸は消えた。鎧に押さえつけられているなどという事ではない。収まるわけがない所に収まっている状態だ。
さらに手や肩、顔や首の骨格までもが変わってしまうのだ。鎧を着ている時は男に、鎧を脱げば女になる。
「こりゃあ、俺の作った魔術鎧だな」
ゲンが言った。
「魔術鎧? でもゲン爺の作った物って事はかなり高いだろう? 金持ちの女か? なんでわざわざ男になってまで戦うんだ? 傭兵くらい雇えるだろう」
キビキは首を捻る。
「訳ありなんだろう。それに、こいつぁ俺がまだ森の外で暮らしていた時に作ったもんだ。年代物だし、買い手がつかなかったからエルフに安く売ったんだ。エルフががめつい商売してなけりゃ結構安く買えたはずだぞ」
ゲンはそう言って笑った。
エルフは集団で旅暮らしをしていて、各地で品物を仕入れては別の土地でそれを売って商売にしている商人の種族だ。
ドワーフが魔素を操れるように、エルフにも特殊な力がある。それが獣を魅了する事だ。そのためにエルフたちが移動で苦労する事はない。
「ゲン爺の魔術鎧でも買い手がつかないなんて事あるんだな」
キビキは湯を沸かしながら感心した声を漏らす。
「お前もさっき言っただろう。わざわざ男になってまで戦いたい女なんかいやしない」
「じゃあ何で作ったんだよ?」
「賊に狙われるのは女が多いからな、護身用だ。それにしちゃ値が張るもんで買い手がつかなかったがな」
「へぇ、いくらで売ったんだ?」
「物取りに物を取らせた方が安いくらいの値だ」
それを聞いてキビキは腹を抱えて笑った。
そして二人で酒臭い女剣士を拭き、着替えさせてからようやく布団に寝かせた。女はどうやら流された時に酒を飲んでしまったらしく、そこまでしても起きる様子はない。
「こいつの事、サツマに知らせた方がいいかな?」
アズマ国の出身だろうからとキビキが言うと、ゲンは首を横に振った。
「訳ありなら本人が起きるまで待った方がいい。どうせここに居りゃ気付かれないんだ」
それよりも、とゲンは言う。
「果物と薬草を採ってこい。見つかれば薬草酒もだ」
「薬草酒? どこにあるんだよ?」
「内山のどこからしいが、どこかは分からん。あるかも分からん。今日みたいな雨上がりに水溜りが薬草酒になる事があるってだけだ。無ければ諦めて帰ってこい」
「あぁ、分かった」
キビキは見知らぬ女剣士の為に内山を駆けずり回る。
姫林檎の実、ナナカマドの実、木苺にミカン。この森の果物や花たちに季節は関係ない。ただ咲きたい時に咲き、散りたい時に散るだけ。
枇杷の実は体に良いけれど、無闇に手を伸ばすと木が悲鳴をあげて実を腐らせてしまう。
桑の実なんかはうっかり「美味しそうだ」などと呟くと、照れて枝の中に引っ込んでしまう。
そんな大変な思いをしても女剣士に果物をと思うのは、キビキが心底からは人間が嫌いになれないからだ。
子供の頃は、森に住みつく飲んだくれ達に育てられたようなものだ。自分を捨てたのも人間だけど、とキビキは思う。
それでもキビキは知っている。森を焼こうとするのも、それを止めるのも人間。強さを求めてわざと獣を怒らせるのも、戦争がやめられないのも人間だと。
いい奴がいれば悪い奴もいるとは、百五十年も生きたのだから分かる。けれど、だからこそ人間の弱さもキビキには分かってしまうのだ。
鬼のように変わってしまった自分の姿を見れば、いい奴だって武器を向けるという事も。
「こんなもんか……」
キビキは摘んだ薬草を見ながら言った。
ひと通り内山を歩いて回ったが薬草酒はどこにも見当たらないので、仕方なく帰ろうとキビキは谷川の方へ下りる。
そこで摘んだばかりの薬草や果物を洗っていると、バッシャン! という大きな水飛沫の音が響いた。
音のした理由に覚えのあるキビキは慌てて果物も薬草も籠に詰め込むと、木の陰に隠すように置いた。そうしてから自分は川の真ん中に立つ。
「また来たな、ムギ。今日こそは俺の家を取り返すぞ」
キビキが構えて待っていると、上流から川幅いっぱいの大木が流れて来た。
根元に大きな洞があり、幹からはお香のような香りがしていて虫のよりつかない古木。もう葉の一枚さえ生えないが、魔物となってからは枝や根を振り回して生き生きとしているキビキのかつての家だ。
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