獣の還り水――5話

 玄関の前で泣き顔を取り繕ってからキビキは扉を開ける。

 ゲンはいつもと同じように、もうキビキには必要のないご飯を用意して待っていた。

 グツグツと煮え立つ鍋、トントンと軽快な音で刻むネギ、炊き立てのご飯の匂い。


「ただいま」

 ゲンは「あぁ」と答えてからキビキの方を向き、それから「おかえり」と言った。

「今日は早いじゃないか。まだ昼飯だぞ」

 ゲンが嬉しそうに言った。


「天馬たちが渡って来たんだ。長が還って……魔物石は全部ちゃんと壊したし、人間は憎み切れない奴だったんだ。だからやっぱり、嫌いだ」

 中途半端に隠そうとして拙くなる言葉を、ゲンはただ聞く。

「俺はまだ人間なのか? もう魔物なんだよな?」

 キビキが聞いた。ゲンは答えに困った様子もなく答える。


「天馬は魔物か? 魔物石を持たない彼らは、ただの獣だ。ドワーフもエルフも、お前も、ただ人間でしかない。誰しもが強い力を恐れる。弱い自分を恐れる。それだけだ」


「でも、俺はもう還り水を見ても眠らないんだ! 酔いどれ森が俺の事をもう人間じゃないって言ってるんだ!」

「そうか?」

「そうなんだよ」

 キビキが言うと、ゲンはにやりと笑って言った。

「それは酔いどれ森がお前を仲間と認めたんだ。だから俺もお前も、命が還る奇跡を目撃させてもらえるようになったんだ」

 ゲンはフン、と得意気に胸を張る。


「さぁ、飯だ、飯だ。さっさと鍋を運べ」

 キビキは味噌の香り立つ鍋を運びながら、誰よりも命の尊さを知っているゲンの優しさを実感する。

 王や城主さえも求めるほどの鍛冶の腕を持っていながらゲンがこの酔いどれ森に籠るのは、客を選ぶため。

 自分の目でその人の人格を確かめなければ、どんな高額の依頼だって受けない。王たちの依頼さえ断る。そのためにゲンはこの森にいる。


「俺もいつか還るのかな?」

 キビキの問いに、ゲンは「先に自分が還りたい」と答えた。

「ドワーフの寿命なんかとっくに過ぎてんだ。いつまで俺を生かしておくつもりなんだろうな。この森はよぉ」

「長生きする分にはいいだろう? 短いよりさ」

「お前もまだ若いな。それよりキビキ、フードはどうした?」

「あ、湖に忘れてきた」

「失くしたってすぐには作ってやれんぞ」

「ちょっと取ってくる!」


 そんな話をしている二人の家を、フードを咥えたシラハナと天馬たちが訪ねてくる。

 こんな風にまた二人の食卓は賑やかになる。

 酒の香りのする森で、あれもこれも酔いのせいにしながら泣き笑う。


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