獣の還り水――4話

「ちょっと長に挨拶してくる」

「あぁ。この人間はどのようにする?」

 副長の問いにキビキは少し考え、それから答える。

「俺が人間の男の子を食ったと思って怒っていたんだ。別に悪い奴じゃなさそうだけど、躊躇なくシラハナの傷跡を狙った」

「ほぅ?」


 副長に睨まれた男は、ひぃっと短く悲鳴をあげた。

 その姿に何となくクスっと笑ってしまい、それからキビキは長の元へ向かう。

 するとバシャン! と大きな物が落ちたような水音が響いた。続いて天馬たちが騒ぎ出す。慌てて空に飛びあがるのまでいて、キビキは慌てて駆け寄った。


「どうした!」

「魔物石よ!」

 一頭の天馬が叫ぶ。その足元から飛び出す無数の魔物石。

「こんな大量に潜んでたなんて……!」

 キビキが焦りを露に声を漏らすと、シラハナが「どうしますか?」とキビキに聞く。


 魔物石は今も足元に地面から絶えず舞い上がってくる。それが飛び出す勢いを利用して早さを増し、天馬たちを狙って向きを変える。

 こんな事は初めてだな、とキビキは思う。


「一つ一つじゃキリがねぇ。一箇所に集められるか?」

「やりましょう」

 シラハナがそう答えると、それを聞いていた副長が彼らの指揮を執る。木の根元に転がされた人間は風の鎖を解く事ができず、悔しそうに唇を噛んだ。


 キビキは天馬たちの放つ風魔法の間を走りながら、少しでもと魔物石を砕いた。

 そんな中、輪になって動かない天馬たちがいた。その中心にいるのが天馬たちの長で、よく見るともう体が透け始めている。

 還りが始まるのだ。


「くそっ、こんな時に……!」

 魔物石は天馬たちを待ち伏せしていたのだ。ゆっくりと地の下で蠢き、その時を待っていた。魔物石が求めるのは強い体なのだから。

 キビキの焦りや怒りとは裏腹に、天馬たちは飛び出す魔物石を風に捕らえていく。


「地面から残らず引きずり出す! 気を付けろよ!」

 キビキは天馬たちにそう叫ぶと、地面に手の平を付ける。そして魔素が手の平に集められていく。

 これは魔法の使えないキビキが唯一ゲンから教わった力。魔素を凝縮してから放つ力だ。放たれた魔素は自然の中の少しの魔素にも反応し、小さくいくつもの誘爆を引き起こす。


 キビキの手の平から魔素が放たれた。

 地面ごと魔物石がポンポンと弾き出され、それを天馬たちの風魔法が捉える。

 魔素を含んだ緑色の風の檻の中で、魔物石が慌てるように黒く明滅を繰り返す。

「最期の時間を邪魔すんじゃねぇ!」

 キビキは怒りのままにそう叫びながら、風の檻の中へ飛び込んだ。

 キビキはその中の一つ、魔素をたっぷり含んだ魔物石を掴み、その力を放出する。花火のようにパチパチと、そしてドカンと爆発する大量の魔物石。

 そしてキビキは爆風に飛ばされ、人間の男の横に落ちた。


「お疲れ」

 男が言った。

「おう」

「あのさ、さっきは……ごめん。何も知らないのに勝手に怒って」

「まぁ、見た目で判断するのは仕方ない事だからな。気にすんな。それより、なんで急に俺の事を信じる気になったんだ?」

「他人の為に戦ったから」

 少し照れ臭そうに男が言った。


 二人の視線の先で、砕け散った魔物石が光を纏いながら降り注ぐ。

 光の中で、随分と水っぽくなった長がキビキに頭を下げた。その体がハラハラといくつもの水滴になって舞い上がる。

 今回も青い炎が現れ、湖の周辺をすっかり青炎の中に収める。

 青い炎に光が降り注ぎ、水は世界に還らんと舞い上がる。


「きれい……だな……」

 男はそう呟きながら眠ってしまった。男は人間なのだ。

 人間は獣の還り水を知らない。それを見ると例外なく人間たちは眠ってしまうからだ。



 自分が初めて獣の還り水を見たのはいつだったろうか。

 初めて石を食べたのはいつだったろうか。キビキはそんな事を考えていた。



 副長が長となったのを見届けると、その新たな天馬の長はキビキに天馬を呼べる笛をくれた。

「いいのか?」

「ええ。長が無事に還れたのはキビキさんのおかげですから」

 そう答えると、キビキは鬼の姿のままで男を抱えて芋焼酎の岩場へと向かった。


 サツマの殺気、ヨネジの驚愕、アワタの絶望の視線にさらされながらキビキは彼らから距離を取って立つ。そして未だに眠る男を自分の足元に寝かせると言った。

「還り水にさらされ眠っているだけだ」

 そのキビキの言葉を肯定するように、男が寝返りを打つ。

「俺は警告する。次に森の命を軽んじるような事があれば容赦しない」

 そうキビキは続けた。すると怒りを滲ませサツマが聞く。

「こいつが何をしたって言うんだ」

「起きたら本人に聞け」


 キビキはそれだけ答えると、さっとその場を離れる。人間には追い付けない速さで川の中を走り、山を越える。

 風に交じるようなこの感覚が嫌いなわけではない。伸び続ける角が鬱陶しい訳でも、ごつごつと肌を覆う色とりどりの石が痛い訳でもないのだけれど、それでもキビキは泣きながらゲンの待つ家に急いだ。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る