ラッカ――3話

「お前はもう伐るしかない」

 キビキはそう言うと、発狂する桃の木に飛びかかった。

 キビキは無闇に斬りかかるわけではない。第一、キビキは刃物を持っていない。あるのは変異してしまって人の頃の面影のない手だけ。

 キビキはその手を刃物のようにして、最も太い根を斬り落とした。


 桃の木の声は更に大きく甲高くなり、上手く歩けなくなった為に周りの木々を踏み倒して暴れている。

 ヒョイっと飛び跳ねて躱しながらキビキはその枝先に一つ、さらに幹と枝の間に隠れるようにしてもう一つ魔物石を見つけた。これが魔物たちの心臓だ。

 キビキは両耳に綿を詰めてから真っ直ぐ枝に飛びつき、魔物石を一つ破壊した。どす黒いその石はキラキラと散乱し、まるで泣くように水になって消えて行く。

 桃の木の方は一つを破壊した事で完全に声を失くしていた。おそらく、そちらの魔物石が声を与えていたのだろうとキビキは思う。


 もう一つの方が行動する力を与えている石だと分かり、キビキは破壊しようと手を伸ばす。すると魔物石は桃の木の幹をメリメリと割って中に潜って行くところだった。

 魔物石はこうして自らの意志で動くのだ。暴れているのは魔物石なのか桃の木なのか分かったものじゃない、とキビキは眉をしかめる。


 そして琥珀色の宝石に覆われた右手を小刀にし、キビキは幹を割り魔物石を掴み上げる。

 それを握り砕くと、ようやく桃の木は動きを止めた。

 キビキは暴れていた時よりいくらか細くなった幹を掴み、担いで家への帰り道を急ぐ。


「お疲れだったな、キビキ。私は岩山に戻るぞ」

「おぅ。桃の実いるか?」

「いるかって、食べる気なのか? さっきまで発狂していた奴だぞ?」

「でも桃は桃だよ。美味いぞ」

 信じられないと言いたげな表情を向けるコドラに、キビキは桃の実を一つ齧って見せる。

「それならば一つ頂いて帰ろう」

 そうして分体のコドラは今の体の半分以上もある桃の実を、両手でようやく持って岩山の本体の方へ飛んで帰った。



 キビキはドワーフのゲンと一緒に暮らしている。

 元は一人で暮らしていたのだが訳あって住めなくなってから、もう三十年はゲンのところで二人で暮らしている。

 家は山間に流れる清酒の川を越えた内山の麓、ウイスキー滝の滝壺近くにある。

 こんな深山で巨大な亀の甲羅なんかに住んでいるので、ゲンが酔いどれ森に住んでいると知る人間はいない。


 滝の落ちる音が心地よく聞こえるそこに、亀の甲羅がドカンと置いてある。丸くて高さのある甲羅が屋根になり、頭の部分が木造りの扉のはめ込まれた玄関になっている。

 中に入ると床は丁寧に並べられた石畳。両手足の出るはずの四つの穴は窓。尾だった場所は勝手口になっている。部屋の中に仕切りなんかは一切ない。


 ゲンは竈の前に立ち、卵を焼いている。

「なんだ、キビキ。また死に損ねたのか」

 低くしゃがれた深みのある声で、ゲンが笑う。

「あぁ。ついでに発狂してた桃の木の退治をさせられたよ。持って来たから食ってくれ。美味かったぞ」

「そうか。後で収穫させてもらおう。先に朝飯にするぞ」

 そう言って机に並べられる二人分の朝食。ゲンはキビキに必要ないと分かっていながらも、毎日三食の食事を用意して待っているのだ。


 ゲンはそろそろ三百歳だ。

 それは二百歳と言われるドワーフの寿命を大きく超えるもので、本人は「この森が死なせてくれない」と言っている。実際、歳をとっている印象はない。

 ドワーフは一メートルほどの体の種族だ。物作りに秀でている者が多く、いい材料のある場所に暮らすので世界中に散らばっている。集団などは作らない。

 ドワーフの作る物には魔素を含むものが多くある。

 魔素は魔法を使うのに必要なものだけれど、それを物に落とし込む事はドワーフにしかできない。彼らは魔素を操る事ができるのだ。


「なぁ、ゲン爺。俺さ、岩石地帯にいる人間たちに魔法を習おうと思うんだけど」

 キビキが言うと、ゲンは首を横に振る。


「俺にもお前にも、魔法は使えん。あるのは特殊な体と魔術道具だけだ。それは体が変異してしまったからで、お前が人間でないという事ではない。それに、訓練なんてしている間にフードが脱げるぞ。急に脱げたら人間はお前に刃を向ける。殺す覚悟はないんだろう?」


「あぁ。分かったよ……」

 キビキが落ち込むのを見て、ゲンが仕方なさそうに言った。

「本当はまだ言うつもりじゃなかったんだがな、腕輪状の物を作ろうと思ってる。今の外套のように、人の姿を与える腕輪だ」

「本当か⁉」

 キビキが嬉しさ余って立ち上がると、ゲンはまだ先だ、と言う。


「頑丈な素材が見つからない。金属は魔術を組み込むと溶けるし、石は魔素を吸って術を変化させちまう。すぐにできるとは思ってくれるなよ」

「それでも嬉しいよ。まぁ、腕輪が出来るまでは生きてみるかな」

「そうかい」


 それから何だかんだと楽しく話をしながら食べていると、地響きがした。

「なんだ?」

 キビキは桃の木がまた動き出しでもしたのかと表に出るが、ただ風に揺れるだけで大人しくしている。

 すると、滝の方から水柱が上がった。それを見てキビキが首を傾げる。

「滝壺? ラッカか。ちょっと行って来る!」

「昼飯までには戻ってこいよ」

 ゲンは軽くそう言って家の中へ入って行った。



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