ラッカ――2話

 キビキがこの森に来て百五十年。キビキは人間だった。あの日は六歳の誕生日だったと覚えている。

 けれどキビキがはっきりと覚えているのはそのくらいだ。森に来る前の事で他に思い出せるのは食卓の様子や、誰かに遊んでもらった記憶が断片的に思い出せるだけ。

 ただ、捨てられたのだという事だけは分かる。


 いつからか歳を足らなくなってしまった外見、より鬼らしくなっていく自分の姿を見るたびに自分はどちらなのかと考え不安定になる。


「どうした、キビキ。大人しいではないか」

「なぁ、俺も他の魔物みたいに魔物石を壊せば死ぬのか?」

 キビキが聞くと、コドラは驚いた顔をする。

「なんだ、知らぬのか? 私やお前には魔物石は埋まっておらんぞ」

「え? でも、こんなに姿が変わったのに?」

「魔物石は確かに魔素を含んでいるから他の石とは違うがな、あれが無ければ姿が変わらんというわけではないのだ。ただ、時間はかかる」


 魔物石と魔素をたっぷり含んだ黒い石だ。それが魔物たちの心臓であると、キビキはゲンから聞いていた。

 しかしコドラは、大量の魔素を体内に取り込み続ければ時間をかけて姿が変わっていく事もあると言う。


「エルフもドワーフも酒豪ばかりだろう? あれらも昔はこの森の酒を飲んだ人間だったろうと言われている。気の遠くなるような時間をかけて姿が変わり、種族となったのだ」


「コドラもか?」

「あぁ、私は雲だからな」

「じゃあ俺は? たかだか百五十年で変わるもんなのか?」

 キビキは首を傾げる。

「お前は幼かったからな。よく吸収してしまったのだろう」


 キビキは生きるためには何でも飲んだし、何でも食べた。しかし水は酒、果実は中身が果実酒になっていたりする森だ。

 火を通してアルコールを抜いても、魔素はしっかり残っていたのかもしれないとキビキは思い至る。

 今では普通の食事さえ必要ないのだから、とキビキは思う。キビキの腹は、いつしか石でしか満たされなくなった。食事を食べれば美味いとは感じるが、腹は満たされない。


「それじゃあ、俺にはまだ心臓があるのか」

「あぁ。そこにあるのは魔物石などではない。人と同じ心臓だ」

 それを聞いて嬉しくなり、キビキは勢いよく立ち上がる。

「今日は死ぬの止めた!」

「帰るのなら外山の中腹辺りで桃の木が発狂しているから、ついでに倒していってくれ」

「分かった。道案内に少し付いて来てくれないか?」


 キビキはコドラにそう言った。

 少しというのは距離の事ではない。コドラは雲の龍なので体を小分けにする事ができる。なのでキビキは、その体を少し分けて付いて来てほしいと言っているのだ。


 コドラは分かったと答えると、見上げるほど大きな体から淡い光を放った。その光からコドラの手の平ほどの白龍が生まれる。

 光が治まると、キビキは「ありがとう!」と言って走って岩山を降りていく。


 双子の山や湿地帯などを有するこの酔いどれ森は広い。それらをぐるりと、幅の広い川が囲んでいるのだ。

 酔いどれ森の全体を円状に囲む川。その川の近くにある方の山を外山、円の中心に近い方の山を内山と呼ぶ。


 コドラの住む岩山を、フードを脱いだ鬼の姿のまま駆け下りるキビキ。その前を小さなコドラが飛ぶ。

 来た時とは違って崖の方を駆け下りていくので、人なんかいない。だいたい、人は奥へ行くのが恐ろしくて囲い川のそばを離れないのだ。


 キビキはウイスキー滝の上を走り、向こう側にある外山へ。そこまで来ると、ドスンやらバキバキといった音が聞こえてくる。それから地響き。


「あ、キビキ。耳を塞げ!」


 コドラの声にキビキは慌てて耳を塞ぐが、その手の平をすり抜けて音が殴りかかる。

 怒り狂った鳥の鳴き声のような、壊れてやろうと鳴る笛のような声だ。言葉などはない。助けを求めるかのような発狂。

 その中を走り続けると、キビキの目にたわわに実った桃の木が見えた。

 根を器用に使って動き回り、葉を震わして叫んでいる。

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