酔いどれ森の石食い鬼
小林秀観
ラッカ
ラッカ――1話
吹き抜ける早朝の風が花の香りよりも湧き出でる酒の上等さを連れている。
キビキは芋焼酎の流れ落ち続ける岩石地帯を、パシャパシャと軽快に走る。
ここは清酒の川や葡萄酒の湖のある酔いどれ森。森とは言ってもその広さは国が丸っと一つ入るほどだ。双子の山もあれば谷もあり、湿地帯もあれば滝もある。
その中でも一番の高さを誇るのが岩山だ。その頂上からは米焼酎がさらさらと岩肌を湧き流れており、岩山の麓の岩石地帯では芋焼酎が湧き続けている。
決して枯れる事のない酒がどこから湧いてくるのかを知る者はほとんどいないが、この酔いどれ森に湧く全ての酒には膨大な魔素が含まれている。
それはコップ一杯も飲めば初心者でも上級魔法を使えてしまうほどだと言う。必ずしも体がそれに耐えられるとは限らないが。
そうだと言うのに入ってくる人間はほとんどいない。それほどに、この森に生きる魔物たちは危険なのだ。
「おーい、キビキ。今日も登るんかぁ?」
湧いてくる芋焼酎を飲むために集まっている三人の人間。そのうちの一人が声をかけてきた。小柄な老爺のヨネジだ。
酔いつぶれて寝息を立てているのがアワタという神官なのはいつもの事。それでもこの森で腰を据えて酒を飲むというのは、相当な強さを持っているからこそ出来ることだ。
「当たりめぇだろう。オッサンたちも飲んだくれてないで運動しろよ」
キビキはヨネジに答えながらも、深くかぶった上着のフードが脱げないようにとギュッと握る。
「余計なお世話じゃ」
そう言って二ッと笑うヨネジの横で大剣を抱いて寝転がっている中年、サツマがからかうような声音で言う。
「鬼に食われるなよぉ」
「……おぅ」
キビキはそうとだけ返事をすると、目深にかぶったフードを握りしめたまま岩の上を飛ぶように駆け上がって行く。
辺りに満ちる香りが芋焼酎から米焼酎に変わった。
この酔いどれ森には異形の生き物たちが暮らしている。それらは膨大な魔素を含む酒を飲んだ獣たち、あるいは吸い上げた植物たちが変異してしまったのだ。
人間たちはそれらを魔物と呼ぶ。善いも悪いも全て合わせて魔物と呼ぶ。
確かに攻撃的な奴が多いとは思うけれど、とキビキは思う。
クスクスと笑う花たちを横目に無心で走り続けると、そう時間をかけずに岩山の頂上に着いた。人間なら上がるのに何時間もかかる岩山も、キビキの足ならこんなものだ。
人間は体が脆い代わりに水晶を介せば努力次第で様々な魔法が使える。そして魔法は人間にしか使えない。
魔物たちが使うのは魔法ではなくその個体が得た特殊な力、あるいは特殊な体だ。ドワーフもエルフも、獣たちだって使えるのは初めから持っている自分の能力だけだ。
いつものように崖の先で風に吹かれ景色を眺めている、雲から変異した白い龍を見つけてキビキはフードを脱ぐ。
途端に腕にはゴツゴツと赤や青、紫などの宝石が現れる。鋭い爪や牙こそないものの、頭からは二本の角が伸びている。
キビキこそ、先ほどサツマの言った鬼なのだ。
フードはこの森に暮らす、保護者代わりのゲンという名のドワーフに作ってもらった魔術鎧。それをかぶっている間は人の姿でいられるという物だ。
「今朝も来おったのか。全く……」
白龍、コドラが振り返りながら呆れた声を出す。
「まぁな。なぁ、今日こそは俺を殺してくれよ」
キビキがあっけらかんとして言うと、コドラは溜め息を吐きながら答える。
「ならん。お前はまだ何も掴んでおらんではないか」
「毎日それ言うよな」
「お前が毎日バカな事を頼みに来るからだ。私は何も、死を選ぶことが悪いと言っている訳ではないのだ。どんな命も生まれてきた事には何らの意味もない。だから仕方なしにでも生きて、生きた意味を掴んでから選ぶ死であるのなら私は何も言わん」
「そうは言ってもなぁ。別に死にたいわけじゃないんだよ。でも生きていたいとも思えないんだよなぁ。だってもう百五十年だぞ? もういいだろう」
キビキはコドラの隣に立ち、眼下の人の国を見おろす。
「ひよっこが。私の生きた年月を推し量る事さえ出来んだろう」
「そういやぁ、何歳なんだ?」
「千年は経つだろうな。私がこの姿を得た時、まだあそこに人の国はなかったからな」
「確かに、千年は想像つかないなぁ」
山より高い岩山の頂上で崖の端に座り、足を投げ出す。遥か下の地面に吸い込まれそうになるこの不安感は、生きる事とよく似ているとキビキは思う。
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