13話
だいたい、二ヵ月ぐらいだろうか。それだけの期間続けてきた手伝いの日々の流れは、驚くほどあっさりと体から抜けていった。
最初の数日は下校時に夕食の買い物をしなくてもいいのにスーパーに寄ったり、無意識に献立を考えたりもしていたけど、一週間もする頃には考えることすらしなくなった。
あの配信以来、咲沢は活動を休止していた。表向きは学業に専念するためと言っているが、それを信じている人はいないだろう。現に控えていた期末テストに向けて勉強はしていたけれど、それを終えた今も再開の目処は立っていない。
習慣化してきていたとはいえ、たったの二ヵ月だ。季節が廻りきらないほどの短い期間で、これまで培ってきた生活リズムを全て書き換えられるほどではない。
年度末のテストを乗り越え、春を迎えて進級を果たした僕の生活は、あっけなく元通りになっていた。変わり映えのないクラスメイトたちがそのまま別の教室に移されただけだから、余計に実感が湧かない。
家業の手伝い以外に用事らしい用事もなくなった休日。僕は実家の傍にある倉庫の中で、帳簿に書いてある文字や数字と現物を見比べ、配達用の原付バイクの荷台に載せていた。中身は割れ物しかないからこれでもかというと緩衝材を詰め、荷台にもクッションを敷いている。不格好ではあるけれど、段差のたびにヒヤリとするよりは羞恥心を持ち合わせた方がマシだ。
「それじゃ、配達行ってくる」
バイクのエンジンを起動しながら、僕は今も店の倉庫で作業している父親に聞こえるよう声を上げた。うーい、と我が父親ながら気の抜けた返事を聞いて、バイクに跨ってアクセルを捻る。
小さい町だから、住所さえわかっていれば配達先がだいたいどの家かは地図を見なくても検討がつく。予定していた三件分の配達を手早く終えて、軽くなったバイクを走らせる。春になったため風は暖かいが、その分飛び回る羽虫も多くなった。田んぼ近くを通る時なんかどうしたって身構えてしまう。
家に帰っても、特に何かをする気にもならなかった。気の向くままバイクを走らせて、自分が育ってきた町の中を適当に回っていく。今でこそインドア気質になってはいるけれど、子どもの頃は家で遊ぶよりももっぱら外で遊び回る方が多かったから、町の至るところに遊んだ思い出が転がっている。
そのどれもに咲沢がいる……ってほどじゃない。なんだったら咲沢と遊んだ場所の方が少ないぐらいだ。だいたいは、小学校に上がって久志や他の男友達と遊んだ記憶の方が多い。
それでも。いざその遊んだ思い出の場所を前にして、思い浮かぶのは咲沢と遊んだ記憶ばかりで。
「……毒されてるなぁ」
大きくため息を吐いた。その思い出の場所をいくつも通り過ぎていく内に、気づけば近くの駅に着いていた。町の人間が電車に乗ろうと思ったらまず間違いなくやってくる近場の駅は、当然町の中では一番栄えている場所だ。まぁ、栄えているといってもこの町の中では、というだけで程度が知れているけど。
「おっ、悠里! 良いところに!」
「……何してんの」
突然名前を呼ばれて辺りを見渡すと、簡単にその声の主を見つけた。リュックを背負い両手に……まぁ、かわいい女の子がプリントされた大きい紙袋を両手に持った久志が、僕に向かって満面の笑みを浮かべている。
「……僕自身オタクだし、理解はあるつもりだけどさ……もしかして、その紙袋で新幹線乗ったりした?」
「大丈夫。色々自覚はある」
何が大丈夫なのかさっぱりわからないけど、とりあえず凄まじい胆力を持っているってことはわかった。
「俺の荷物を見て……わかるな?」
無言でアクセルを回そうとするも、進行方向に立ち塞がれてしまう。友人を迷わず轢き倒していくほどの気力も覚悟もないから、大人しくハンドルから手を離した。
「せめて荷物だけでも先に俺の家まで運んでくれないか?」
「最悪の展開だろそれ。そんな紙袋を載せて町を走らせないでくれ」
「わかった。じゃあ荷台に置かせてくれ。もう俺の腕は限界だし、戦利品を土につけたくないんだ。ご飯奢るから、一緒に歩いて帰ろうぜ」
「……その奢る金でタクシーでも呼べば?」
「タクシー呼べるほどの金も残ってない」
「よくそれで僕に奢るなんて言えたな?」
パフォーマンス染みたため息を吐いて、僕はバイクのエンジンを切った。来週の丼物フェアの時にでも奢らせる約束を取り付けて、荷台に久志の荷物を載せる。
何が悲しくて、男二人でバイクを引きずりながら、こんな可愛らしい紙袋を見せびらかして地元の町を歩かないといけないのか。
「いやぁ悪いな! 勢いで色々買い過ぎちゃってさ。もし欲しいのがあったら定価で譲るぞ。譲れないものは二個ずつ買ってあるから心配しなくても大丈夫だ」
「別に心配というか何に対しても何も思ってなかったけど……もしかして、これ全部Vtuber関係?」
てっきりゲームやアニメのキャラクターかと思ったけど、よく見れば見覚えのあるVtuberが別のイラストレーターによって描かれた物もあった。久志にバイクを引かせて中身を覗いて見ると、こないだのコラボ企画で一緒になった大手企業に所属していたVtuberのグッズも見える。
「合同イベン卜みたいのあってさ、手持ちの許す限り買ってきた」
「現状を見て、許されないレベルで買ってるだろ……というか、ほんといっぱいいるんだな。Vtuberって」
有名どころなら、僕でも五人ぐらい名前を何も見ないで挙げられる。コンビニで見慣れないキャラクターの広告があって、後からそれがVtuberのものだったと知る、なんてことも増えてきた。
「そりゃなぁ。たしか、去年ぐらいでもう万を超えてたと思うぞ?」
「……万、って一万人以上ってこと?」
「そうそう。まあ企業に属してない個人勢とか全部含めてだけど。すげぇよな。もうとっくにこの町の人口超えてるんだぜ?」
一万人も超える人数が、Vtuberとして活動している。さらっと言葉にしてみて、眩暈がしそうな数字だ。芹沢なずなの視聴者数ですら僕が通う高校の全校生徒より多い、なんて唖然としたのに。町の人口と比べるようになるとは思ってもいなかった。
「その分入れ替わりも激しいけどさ。単純に趣味で始めた人もいれば、企業に属して立派に仕事にしてる人もいるし。仕事にしてる人はまだしも個人でやってる人は……まぁ、嫌になれば簡単に辞めれるしな」
「……芹沢なずなとかな」
「まだ辞めたって決まってないだろ。やめろよ。まだ俺の傷は癒えちゃいないんだぞ」
わざとらしく胸を押さえる久志が一番、僕の知る限りでは芹沢なずなの活動休止を嘆いていた。今でこそこんな風に冗談のように振る舞っているが、知らせが出た当初は教室でも肩を丸め、一日中喋らなかったぐらいだ。普段明るい奴が落ち込まれると、教室の雰囲気も悪くなってしまう。
その雰囲気の中。咲沢の表情はどうだったんだろう。いつも俯いているような奴だから見れていないけど。
「……癒えてるようにも見えるけどな」
推しだのなんだの言っておいて、この戦利品の数だ。すでに気持ちの切り替えが済んでいると思われても仕方ないような。
「……まぁ、しゃあないって割り切ってる部分はあるよ。さっきも言ったけど、個人でやっている人は特に、嫌になったら辞められるんだ。なずなちゃんが活動を嫌になったっていうなら、俺らみたいにただ見てるだけしかできないファンは何も言えないしさ」
僕は、芹沢なずなのファンだったのだろうか……うん、まぁ。ファンだったんだろうな。さほど悩むことなく、答えが出てしまう。明るく振る舞える咲沢の姿が、芹沢なずなだというのなら。
紛れもなく、僕は彼女のファンだった。たぶん、誰よりも早く彼女のファンになっていた。
「……でも、おまえはほら、もっと何か言う権利はあったんじゃないか? 毎回毎回、少なくはない額のスパチャ送っててさ」
咲沢の配信を手伝っている間、コメント欄にひときわ目立つ、お布施のように投げ込まれた金額を何度も見た。普通のコメントとは違い、金額次第で様々な彩りが施せるコメントの中には久志の分もあっただろう。
「別に推しに認知してもらいたくって金出してたわけじゃないしな。ただ、がんばって欲しいって、その気持ちを届けるのに一番の方法だっただけだ」
腕が限界。交代して。などと泣き言を漏らす久志に代わり、バイクを押す。
「そりゃもちろんなずなちゃんに名前を呼んでもらえるのは嬉しいし、俺が考えたセリフを言ってもらえたのはもう一生の宝物よ。そのために金払った分はあるけど。でもやっぱり一番の理由は、ちゃんと知っておいてもらいたかったんだよな。応援したいって、そう思われてるって。そんなことでしか伝えられなかったからさ。ま、結果的にこうなっちゃってるわけだけど」
自虐するかのように笑って、揉み解していた腕をぐるぐる回し、僕の代わりにバイクを押し始める。
久志がお金を払って、芹沢なずなの専用のボイスを買っていた時も。日々の配信で投げ込まれる金額を見た時も。僕はいつだって、すごいな、よくやるな、としか思っていなかった。今でも、その感覚は抜けきれない。
僕にとって、お金は武器だからだ。貯めれば貯めるだけで、できることは広がる。だから面倒だとは思いつつも円満に稼げる家業の手伝いは欠かさなかった。今だって、特に買いたい物があるわけでもないのに、可能な限りお金は貯めたいし、無駄にはしたくない。
久志やこれまでコメント欄を彩っていた人たちがお金を無駄にしてるとは思わない。けれど、やっぱり僕には同じことをできそうにない。
特に、芹沢なずなに対しては。
「なずなちゃんなら、おまえも気に入ってくれるかなって思ってたんだけどな」
「……なんで急に僕の話になるのさ」
「だって、なずなちゃんの声って咲沢の声に似てるじゃん? それ繋がりで、おまえも好きになれるかなって」
「――――」
人間、驚き過ぎると何も言えないというか、何か言葉にしようとしても、呻き未満の何かにしかならないらしい。
「……なんで、そうなった?」
「え、いやだっておまえ咲沢のこと好きだろ。昔からいっつも何かと目で追ってるし」
「そこも気にはなったけど、そこじゃなくって、声が似てるって」
「似てるじゃん。実際。囁くような声しか聞いたことないけど、叫んだりしたらもっと似てるんじゃないか? なずなちゃんがもし本格的に引退して禁断症状でも出たら、金払ってでも頼んじゃいそうで自分が怖い」
「うんそれは本当に怖いしやめた方がいい……っていうか、そこまで」
――気づいているのに、どうして。
「……いや、なんでもない」
僕自身も思ったことじゃないか。信じられるわけがない。繋がるわけがないって。声が似てる。それだけで終わって、咲沢那奈が芹沢なずなに繋がることはないって。もしかして、なんて勘繰り始めることすらできない。咲沢那奈に、芹沢なずなに繋がる要素は似た声質というものだけだ。
たとえ本人が否定しても。彼女の中にあったはずの明るさを知る僕にしか、咲沢那奈と芹沢なずなは繋げられない。
「悠里ってさ、なんでもソツなくこなすじゃん。そのせいか知らないけど、あんまりのめりこんだりすることってないよな。一緒にゲームしてても何しても、上達が早いから夢中になることってないし。だから、咲沢繋がりで何かハマるものがあればなぁって思ったんだけど」
「……いや、だから、おまえはいっつもどの立場で言ってるんだよ。親かよ」
照れくささや緊張をごまかすように、頭を振る。
僕の昔からの友人は、昔からこうだから困る。誰よりもふざけているように見えて、その実、誰よりも思慮深くて、優しい。
もし僕が久志と同じように、芹沢なずなを芹沢なずなとしてだけ。咲沢那奈を介しない、ただのVtuberとして知っていたら、どうなっていただろう。
昔好きだった女の子の声に似て、似た性格をして、似た振る舞いをして。無邪気に、楽しそうに活動する彼女を見つけたら。
「……うん。ハマってた方だと思うよ」
過去の思い出をなぞられたような気がして、きっと気になっていただろう。関心を持つようになって、配信を見るようになって。日々の活動を、目で追い続けただろう。
そして。久志や他の視聴者のように。コラボ企画で明らかになってしまった姿を見て、勝手に裏切られたような気分になっていた。そんな自分が簡単に想像できる。想像できるどころか、僕こそが、裏切られたと錯覚した最初の人間だ。
過去に抱いていた思い出を勝手に持ち続けて、今の咲沢を偽物だと思い込んでいたのだから。
明るく芹沢なずなとして振る舞う咲沢に向けて、がんばれと言っていた奴と何も変わらない。芹沢なずなの正体を知って、僕は咲沢の普段の姿を見てなんと思っていただろうか。もっと明るく振る舞えばいいのに。笑えばいいのに。楽しそうにすればいいのに。
がんばれば、いいのに。
そんなことを、ずっと身勝手に思っていた。
「……なぁ、久志」
疲れただの重いだのと眩きながらバイクを押す久志に、僕は呼びかける。
「おまえは、芹沢なずなに戻ってきてもらいたいか?」
「そりゃ当たり前だろ」
当たり前だと、そう言い切られる。予想していた答えだし、求めていた答えだ。
全員が全員、久志みたいな考えを持って芹沢なずなの配信を見てきたわけじゃないだろう。全員が全員、久志のように思ってくれて身銭を切っていたわけじゃないだろう。
このまま、何万人もいるVtuberのうちの一人が消えていなくなったところで。大半の人がその事実すら忘れて、これからも生きていくのだろう。
でも、たった一人でもそう思ってくれている人がいるなら。
そのたった一人は、僕が担ったって構わないのなら。
「なずなちゃんから正式に告知がない限り、俺はいつまでだって信じて待ち続けるぞ。次に言ってもらいたいボイスも着々と増えてきたしな」
「あー……あれ、恥ずかしいからもう二度としないって言ってたよ」
「えっ嘘マジで!? どこ情報だよそれ!」
「いつの配信だったかな、忘れちゃったよ」
僕が作ったご飯を食べながら、困ったように笑って呟いていたのを思い出す。
「さて。もうここまででいいだろ。後はがんばって自分で持って帰れ」
「え……いやまぁ、帰れない距離じゃないけどさ。ほら、このダブりの缶バッチやるから、 せめてバイク貸して」
「配達の仕事があるんだよ。それに、僕は芹沢なずな以外に興味ないからさ」
久志の荷物をどかし、押し付ける。荷物がなくなって軽くなったバイクに跨って、ハンドルを強く握りしめた。
「ありがとな久志。おまえのおかげで、これからもずっと夢中になれることが見つかったんだよ」
「……え、そこまでハマってたの? それはそれで引くっていうかなんか道踏み外させちまってごめんって感じなんだけど」
「おまえほんとどの口が言ってんの? まぁいいや、昼飯のこと忘れるなよ」
まだ何か言いたげな顔をしている久志を置いて、アクセルを回す。バイクは軽快にエンジンを動かし、僕を目的地まで運んでくれようとする。
小さい頃は自分の足や、乗れるように泣きながら練習した自転車で走り回った町だ。あの頃はあまりにも広く感じたのに、今ではどこにだって簡単に行けてしまう。町自体の広さが変わったわけじゃないし、僕自身が大きくなったわけでもない。何も変わってない。
ただ、知っただけだ。町の広さや上手な道の選び方を。
自分が生きやすいように、やりやすいように。最適化されてきて。
いつだって変わったのは、僕の頭の中だけの何かだ。
それでも変わらなかったものが、今僕を突き動かしている。
絶対に正しくないし、下手したら嫌われるし、気持ち悪がられるってわかっている方法を取ろうとする僕を、僕は止められない。
家に帰った僕は、配達の報告もそこそこに、父親に向かって頭を下げた。僕の唐突なお願いに多少は面を食らっていたけれど、すぐに了承してくれる。
日頃から真面目に働いていた息子のお願いぐらい聞いてくれるだろうと高を括っていたけれど、こうまで即座に頷いてくれるのは本当にありがたいと思う。面倒と思いながらも家業を手伝っていてよかった。
受け取った物を普段の配達よりもずっと気を使った梱包をする。駆け出したい気持ちを抑え、幼い頃に歩き慣れて、この二か月でまた通い慣れた道を進む。
チャイムを鳴らし、ドアから一定の距離を取ることも忘れちゃいない。
「ん? おう、悠里じゃないか。今日はどうした?」
すでに一回声を荒げてドアを蹴り開けて、一瞬でケロッと僕に向けて笑いかける菜美さんには、まぁ慣れないけど。
「よかった。勢いで来たけど、もしこれで咲沢が出たらどうしようかと思いました」
「あー……あの子は今絶賛引きこもってるからねぇ。ん? 用事ってあたしに?」
「はい。あ、これ、お土産です。うちの在庫で一番良いお酒を持ってきました」
「え、あ、それはどうもご丁寧に……って、ほんとに何?」
一度、息を飲む。緊張と興奮がごちゃ混ぜになったような、とにかく落ち着かない気持ちごと飲み込むように。
「もちろん、これとは別に正当な対価を払うつもりです」
握りしめた手に、更に力を籠める。
「菜美さん……いえ、イラストレーターの咲菜さん。あなたに、仕事の依頼があって参りました」
僕の言葉に、菜美さんは一瞬だけきょとんとした顔をして。
すぐに、獲物を見つけた鷹のような目つきで、僕を睨みつけた。
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