11話

 結論から言うと、コラボ企画は大失敗に終わった。

 あくまでそれは僕たち芹沢なずな側の所見であって、コラボ企画全体を通しての評価としては……まぁ、概ね好評ではあっただろう。

 そもそも打ち合わせの時点でしどろもどろな反応しかできていない咲沢が、本番で緊張感が増し、かつゲームをしながらという情報量が圧倒的に増えた環境でうまく立ち回れるわけがない。そんなことができるならそもそも僕は手伝いとして雇われていないし。

 声の抑揚自体は普段の配信時に若干なりとも近づいてはいたが、言動は空回りっぱなし。それでもなんとかなったと思えるのは、咲沢と一緒に楽しくゲームをしながらも、慌てふためく彼女をうまく持ち上げるように振る舞ってくれた共演者たちのおかげだ。無言の状態が変に続く、俗に言う『地獄』と呼ばれるタイミングが、配信中に何度もあったにも関わらず、配信者側も視聴者側も、そこに必要以上に触れることなく、むしろ面白おかしく昇華してくれさえした。

 咲沢が何か失敗すればその慌てる様をかわいいと褒め称え、口淀んだりうまく会話を繋げることができなければすかさずフォローに回る。


 咲沢を入れて合計四人という人数もよかったと思う。もしこれが一対一のコラボ企画だったら、相手への負担が大き過ぎた。仲がいい三人の輪に入っていくよりも一対一の方がマシだった部分もあるかもしれないけど、そもそも僕との会話もまともにできていなかったりする時点で望みは薄い。

 実際、配信中の咲沢の慌てっぷりは僕からしたらハラハラしてまともに見れたものじゃなかった。僕自身何度も通信トラブルのせいにして通話を切ろうか迷ったぐらいだし、咲沢も何かミスするたびに片手どころかコントローラーを放り出して両手を上げて降参していたぐらいだ。「今降参してます! 助けてUちゃん!」などと言い出したあの瞬間を思い出すだけで胃と頭が痛い。


 咲沢のミスをうまく隠し、笑いに変えてくれる共演者。そしてそれを概ね好意的に受け止めてコメントを残すリスナー。それらに大いに救われただけの、僕たちにとっては大失敗のコラボ企画だった。

 それでも、この企画に誘ってくれた大手企業に属するVtuberの方は、配信が終わった後も咲沢のことを気遣ってくれて、むしろたくさんのお礼とこっちが恐縮するほどの謝罪すらしてくれた。


「失敗したって思わなくてもいいからね。私たちは楽しかったし、きっと、見てくれた人たちも楽しいって思ってくれていただろうから。だから、そっちがもう嫌だって思ってなかったら、また誘わしてね。もちろん、なずなちゃんからも誘ってくれると嬉しいな」


 そんなありがたい言葉をもらって、最後には咲沢が大いに泣き散らしながら通話を終えた。僕も、彼女の友人であるUちゃんの立場を使って謝罪と感謝のメールを送らせてもらった。

 やるべきじゃなかった、とまではさすがに思えないし、咲沢も後悔よりも反省が多いと自分で言っていた。だから、決して実りのない時間ではなかった。

 でも。少しだけ、どうしたって変わってしまった部分が、時間が経つにつれて浮き彫りになって僕たちの前に現れていた。





「いや。正直俺は全然アリだと思うんだよ」


 久々の屋上は風もなく、陽射しの暖かさを感じられるようになっていた。

 久志は購買で買ってきた総菜パンを一つ食べ終え、二つ目の袋を開ける。僕はすっかり作り慣れた自作の弁当を食べる。菜美さんのリクエストで作ったハンバーグは冷めてもしっかりと肉の旨味を感じられる良い出来だった。


「たしかに……ちょっと呆気にとられたというか、驚いたさ。なずなちゃんはいっつもハキハキ元気良く、なんてイメージは絶対誰もが持ってただろうからさ。俺だって、いくつも切り抜き動画作ってきたんだ。むしろそういうイメージを周りにも植えつけてきたっていう自負があるよ。所詮ただの動画の切り貼りだけしかしてないんだけどさ」

「まぁ……そこは別にそんな卑下せずとも」


 相談がある。と、急に久志から言われた僕は別の友人たちと食事をとることなく屋上にやってきていた。

 いつだっておちゃらけた調子の久志が、見たことないほど神妙な顔をして僕を呼ぶものだから何事かと思ったんだけど。まぁ、内容は案の定のものだった。


「見てる側が勝手に抱いたイメージ、なんて言ったらそれまでだけどさ……でも、なんだ。結構、ショック……を感じてる自分がいてさ」


 口に運んでいたパンを下げ、少しだけ久志が俯く。


「なずなちゃんっていつでも元気だと思ってたけど、人と接する時って、あんな感じなんだなって。もちろん、そういう面が見えたからって落胆したとかじゃないし、めちゃくちゃかわいかったんだけど。やっぱ、うん……まぁ、びっくりしたんだ」


 コラボ配信をする前と、した後。

 芹沢なずなというVtuberへの周囲が抱くイメージは、ガラリと変わっていた。

 いつも元気で物怖じしない、ハキハキとした女の子。それが、咲沢自身が考えた芹沢なずなの公式設定だ。その設定に反しない姿をこれまでの配信では見せてきたし、そのイメージを好意的に受け止めてもらっていたから、ここまで活動できた。

 でも、この前のコラボ配信によって、それは作られた設定だということが周囲にバレた。もちろん、久志のようにそれすらも好意的に受け止めてくれるファンはいっぱいいる。むしろ大半がそうだ。コラボ配信で芹沢なずなを知り、その慌てふためく様子に愛らしさを覚えて、個人の配信を見に来るようになった人もいる。総じてファンは増えたぐらいだ。

 僕は久志の言葉に適当な相槌しか返していない。それでも、久志なりに語りたい言葉は尽きないのか、勝手にべらべらと話し続けていた。


「別にさぁ、初期の設定を守り続ける配信者の方がむしろ稀みたいなところあるんだよ。最初は清楚で家庭的な女の子ですぅ~、ってな感じデビューしててきたのに、今となっては汚い声と罵倒が売りみたいな配信者もたくさんいるし。逆もまたいるし。そもそも設定なんてあってないようなものだからさ。でも、なずなちゃんの場合はさ……」

「……設定が素だと思ったら、コラボ配信の時みたいなしどろもどろしてる姿が素だった、とか、そういう話だろ?」

「うん、まぁ。そうなんだよなぁ……」


 それが事実なのは、咲沢側だけの話だ。これまでの芹沢なずなの配信を見てきた人にとっては違う。


「今までの配信がとにかく元気で、明るかったからな。俺はそう思わないけど、裏切られたって思っちゃう人がいるのも、まぁ仕方ないのかなって」


 配信中に、内弁慶コミュ障、なんてコメントが流れてきた時はどう反応すればいいかわからなかった。事実そのとおりだし、咲沢も構わずスルーしていたけれど、内心彼女がどう思っていたのか。後になって聞くことすらできずにいた。

 今では「別にコミュ障だっていいだろかわいいし」と芹沢なずなを擁護しようと躍起になる一部の人間も出てきている。その気持ち自体はありがたいとは思うが、そもそもあまり表沙汰にしないでくれ、というのが率直な意見だ。そういった趣旨のコメントが流れるたびに、若干雰囲気が荒れるからやめて欲しい。

 そのうち落ち着くだろうと高を括っていたけれど、コラボ配信から二週間が経った今でも状況はあまり好転していない。そのコラボ配信で交流を持った大手の配信者も、状況を気遣ってたびたび連絡をくれるのが申し訳ないぐらいだ。

 なんとかするべきだとは思うけれど、だからといって堂々と弁明するのも難しい。言い訳のしようがないし、そもそも言い訳を並べなければいけないほどの問題でもないからだ。

 頭を抱えている間に、ありがたいことだが他にもコラボ配信の誘いがいくつかきていた。話題性に飛びついたのか、それとも前々から興味を持ってくれていたのか定かじゃないけど、尚のこと無碍にはできず、全て保留させてもらっていた。

 どうにかこうにか平常を装って、普段通りに配信を続けている。というのが、今の現状だ。


「なぁ悠里、どうしたらいいと思う?」

「なんでおまえがそうやって悩むのかわからないけど。どの立場から言ってるの?」


 芹沢なずなのプロデューサーみたいな立ち位置でもないとそんな発言出なくない? 運営サイドというか僕たちも実際悩んでるけどさ。


「一ファンとして、現状が本当に辛いんだよ。総合的に見れば人気が出てるんだからいいだろ、とは思っても。なんか、なずなちゃんも心なしか辛そうだしさ」

「……辛そう、か?」

「勝手な考えだけどな。そこらのリスナーよりよっぽどなずなちゃんの声を聴いてる身としては、なんとなくわかっちゃうんだよなあ」


 その割には、何年も顔合わしてる人間のその正体に気づけてないけど。ドヤ顔で言わないでくれ虚しくなる。


「まぁ……だからさ」


 空を見上げる久志と同じように、僕も空を見る。分厚い、けれど雨粒を落とすほどでもない雲が空一面に広がって、どうにも気分は上がらない。


「どうしても。これまでなずなちゃん、無理してたのかなって……そう思っちゃうんだよな」





「実際してただろ。無理」


 菜美さんの身も蓋もない発言で、あからさまに咲沢の表情が固まっていた。僕も固まった。

 食卓の空気を凍らせた当の本人は、「そろそろ冬も終わるしやっとくか鍋」の一言で用意させた味噌鍋の具材をつまみながら、グラスに入った日本酒でそれらを流し込んでいる。


「那奈にその自覚はないかもしれないけど、おまえを知っている人間からしたら、どうしたって自分の中にないものを無理して捻り出してるようにしか見えないぞ。んで、前回のコラボ企画で、それが明るみに出た。周囲がそう思うのも無理はないって」

「……うん」


 無理して、は違うんじゃないか。そう僕も言及したかったけど、咲沢が頷いてしまっては、僕からは何も言えない。

 しばらく、誰も何も喋らないまま鍋の中身を減らし続けた。その速度は、菜美さんだけ早くて、僕や咲沢は遅い。頭の中で考えていることが、手と口を動かすための機能に制限をかけているかのようだった。


「……ねぇ、お姉ちゃん」


 箸も止まり、食器もテーブルに置いた咲沢が菜美さんへ呼びかける。


「何さ」

「私って、無理してたのかな」


 断言されても尚、咲沢はもう一度そう聞いた。


「全然、無理なんてしてた覚えなくって……ただ、楽しいから、もっと楽しいように見えるように、振る舞ってただけで。それって、無理してる、ってことだったのかな。た、たしかに普段の私って……こんなだし、こないだのコラボも、こんな私で、迷惑かけたけど……でも」

「自分から出そうとして、それでも何かの要因で表に出てくることすらできなくなるなら、それは本物ではないだろう」


 咲沢は何か言おうとして。でも、口が開いただけで、何かを震わせることはない。


「人間なんだから一人でいる時の顔と誰かといる時の顔なんて、絶対違いは出るもんだけど。あんたの場合は顕著だからね。私から言わせてもらうなら、あんたの本物は、それだよ」


 それ、と。菜美さんは容赦なく、何も言えず口を閉じた咲沢を指定する。


「……そう、だよね」


 唇を曲げ、形だけは笑顔になった何かを浮かべ、咲沢は席を立った。自分の使っていた食器を台所の流しへと運んで、そのまま洗う。


「……ご飯、ごちそうさま。配信は八時から始めるね……今日は、手伝ってもらわなくても大丈夫だから」


 僕に向けてそう言って、咲沢は今を出て階段を上がっていった。その足取りはいつも通りで、傍から見る分には何も変わっていない。


「……めちゃくちゃ容赦なく言いますね」

「あんただって、反論しないんだから似たようなもんでしょ」


 反論しなかったのか、できなかったのか。自分でもよくわからない。頭を回転させて考えても、言葉は出てきそうにない。

 けれど。せめて、僕は、僕だけは何かを言うべきだったとも思う。

 言うべき言葉すら見当たらないのに、そんな責任だけを勝手に感じている。


「菜美さんは、咲沢が活動を続けるのは反対なんですか?」

「あたしが? そんなわけないじゃん。あの子が配信者になるための準備も何もかも用意したのはあたしなのに」

「元々は別の誰かを起用するつもりだった、って咲沢は言ってましたけど」

「そりゃ、さすがに最初っから妹を仕立て上げようとして準備はしないでしょ」


 一人がロクに食べずに席を立ったから、鍋の中にはまだ多くの具材が残っている。箸で取るのが面倒になったのか、菜美さんはお玉を持ってきて豪快に救い上げ、自分の器に盛る。


「まぁ、意外だと思ったし、どうせ長続きしないだろうなとは思ってたよ。でも、やってみればああもハマってたし、あんたたちの年代じゃ馬鹿にならないほどの利益だって出た。それなら、せっかくだし続けて欲しいって思うじゃん。あんな楽しそうにやってたら、尚更さ」

「じゃあ、どうして」

「一生続けられる、とはさすがに思えないからね」


 箸を持ち替え、まるでペンを握るかのようにして、その先を僕に向ける。


「自慢じゃないけど、あたしはこれからドンドン売れるからね。そのための努力はしてるし、研鑽も忘れちゃいない。まぁ、もちろんあたしだって絶対とは言えないけど、こちとら技術だ。培ってきたものと、あの子みたいに……やってみればできたものと一緒にされちゃ困る」


 今日も都内へ打ち合わせに行ってきたという菜美さんの顔には、落とされていない化粧がまだ残っている。その化粧を一度外せば、きっと寝不足の証拠の隈があるかもしれない。

 Vtuber全般が努力していないと言うつもりじゃなく、あくまで咲沢と比べて、菜美さんは瞳に野心を滾らせて言う。


「ねぇ、Vtuberとしてやっていくために何よりも必要なものってなんだと思う?」

「……なんですかね。コミュニケーション能力、とかですか?」

「いや、知らないけど」

「知らないのかよ」

「わかるわけないでしょそんなの。コミュ力だって演技力だって企画力だって根気だって。だいたいなんだって必要になってくるんだから」


 身も蓋もないことを今日だけで何度言うつもりなんだこの人。


「まぁ、一応あたしなりの答えは……声、だと思うんだ」

「声……ですか」

「そ、声。あの子、本当に声が綺麗なんだ。普段の囁く声でも、配信中の叫ぶ声でも。どこか澄んでいて、聞いていて心地が良い。母さんもそうだったんだよね。あたしはほら、とっくに酒焼けしちゃってるし、似ても似つかない」


 自分の喉を叩いて、菜美さんはそれが悲しくないことを証明するようにケラケラと笑う。

 咲沢の、芹沢なずなの声は、コメントやネットの評価を見れば必ずどこかで絶賛される一つの強みだった。

 叫んでも、涙声になっても、どこか、澄んだものを感じる、耳に馴染みやすい声だと。

 幼い頃から、僕もそう思っていた。だから、あの日。久志の携帯から流れた彼女の声に、耳と心が反応した。


「見た目のガワなんて、私みたいな人間がいればいくらでも用意できる。でも、声だけはそうもいかない。技術はすごいから、今の世の中簡単に加工してそれなりに良い声なんて出せるよ。男が堂々と女性としてVtuberをやる時代だしな。でも。四六時中、それも長時間の配信で出し続けるのはまず無理だ」


 何時間も叫び、笑い続ける配信なんていくらでもしてきている。仮に芹沢なずなの声が作られた、演技によるものだったら、そんなことは不可能だ。


「あの子の武器は、何よりも声なんだよ。あの声で、あれだけ楽しそうに、明るく振る舞え続けてきた。でもそれはあの子の武器であって、防具にはならない。ずっと振る舞えるようにならなきゃ、いつかは身を守れなくなる」

「……今みたいに、ってことですか」


 コラボ配信のとき、普段の芹沢なずなのように振る舞えたらどうなっていただろうか。自信を持って、心から。喉を、震わせていたら。


「結果論だけどね。やっぱり、いつかはこうなっていたと思うんだよ。あの子は武器だけ立派で、守りが弱かった。自分のお城にいる間は誰も攻めてこないんだから平和なもんだけど。外に出て遊びに行くなら、そのための守りはちゃんと用意できてなきゃいけなかったんだ」


 何も用意させなかったあたしが言えた義理じゃないけど。なんて、そんなことを小声で言って、菜美さんも自分が使った器や箸を流し台に持っていく。グラスは、まだ部屋に戻った後も飲むのだろう。


「あの子がどうするかはあの子に任せるよ。だからまぁ、よかったら、支えてやってくれ。お金の関係のあんたに言うのもひどい話だけどさ」

「……別に」


 鍋の中は、細かくなった具材がまだいくつか残っていた。このまま、明日の朝にでもおじやにでもしてしまえばいい。


「別に、お金がもらえるから、支えているわけじゃないです」


 そうだ。別に、最初から給料が発生しなくても、どうせ僕は彼女を手伝っていただろう。

 ただ、昔みたいに一緒に遊べたら、なんて。そんな邪なのか純朴なのかわからないことを考えていただけなんだから。


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