10話
もらう給料をほぼほぼ、結局は日々の家事をいかに楽にするか……という目的のための料理用雑貨や日用品に費やすようになり、咲沢家のキッチンがだいぶ様変わりし始めた頃。
「……コラボ企画?」
オウム返しのように質問した僕に、久志は大きく頷いた。
「そう。今週末、ついにあの芹沢なずながこれまで貫いてきたソロ活動に終止符を打つわけよ。複数人のコラボの内の一人とはいえ、なずなちゃんってずっと一人で誰ともコラボなんてやってこなかったからさ、結構話題になってるんだよ。というか、なんでおまえが知らないんだよ。今更なずなちゃんのファンじゃないとか言わせないぞ」
知らないわけないだろ。そのコラボ企画のメールを受け取ったのも返事をしたのも現在進行形で打ち合わせしてるのも僕だぞ。
なんて馬鹿正直に答えるつもりは更々ない。知らない風を装った方が僕としてもやりやすいので、適当に「実家の手伝いが忙しかったから、最近は追えてないんだよ」とお茶を濁す。
話が来たのは本当に突然だった。いつもの作業のつもりで芹沢なずな宛に届くメールを選別していると見慣れない件名のメールがあって、その存在を咲沢に伝えた時の慌てっぷりは今でも簡単に思い出せる。
当の本人は今も教室の隅の席に座って僕が作った弁当をのっそり食べているけど、久志の声は届いているだろうから、内心は気が気じゃないだろうな。
「四人でパーティゲームをやるってありきたりな内容だけど、そのうちの一人は大手企業のVtuberだからなぁ。絶対それ目当てで配信を見に来る奴もいるだろうし、これでなずなちゃんの人気が更に爆発したらどうするかな? おいどうするよ」
「なんでおまえが今から慌ててるんだよ」
慌てたいのはこっちだ。予定日が近づくたびにカレンダーを見てはガタガタ震える咲沢を見せてやりたい。動画データだけなら面白がって菜美さんが撮っていたから残っている。さすがに見せないし何があるかわからないから送られたデータは僕の携帯から削除してるけど。
「でもさ。ほんとUちゃんが配信を手伝うようになって、なずなちゃんの活動の幅はぐっと広がったよな。最近はUちゃんも参加して二人プレイ用のゲームもやれてるし。そのうちUちゃんもVtuberとして活動するんじゃね?」
「ないないないない」
「めちゃくちゃ否定するじゃん。どうした?」
思わず全力で首を振ってしまった。色々な意味でやれるわけがないし、そもそもやる理由がない。
あの配信は咲沢が芹沢なずなとして振る舞うための場所だ。僕も、他の誰だって入る余地はない。
「いや、ほら、たぶんUちゃんはそういうの苦手なんだと思うよ。引っ込み思案だって配信でも言ってたじゃないか」
引っ込み思案というか、引っ込んでないと成り立たないだけなんだけど。
恥ずかしがり屋で話もうまくないから、絶対に声を発しての参加はしない。というのが咲沢に配信中に言わせた、Uちゃんの公式設定のようなものだ。普通の女の子が常に友人の配信中に隣にいながらも絶対に声を発しない理由として妥当なものを捏造したつもりだったけれど……そう設定してから、それって咲沢本人のことじゃないか、とも思ってしまう。
捏造の情報に納得がいった久志はそれ以上Uちゃんへの言及は避け、とにかく今週末に待ち受けるコラボ配信について語り続ける。
「まぁ楽しみな反面、不安はちょっとあるんだよな。なずなちゃんにとっては初めてのコラボだし、相手は大御所も混じってるしさ。いや、俺はなずなちゃんを信じてるんだけど、このコラボで初めてなずなちゃんを知った奴の中に心ないオタクがいるかもしれない、と思うとさ……」
少なくとも肉親よりもずっと芹沢なずなのことを心配している一ファンを目の前にして、なんと言っていいのか言葉が出ない。安心させる言葉は適当にいくつか思いつくけど、僕だって今回のコラボ企画には不安しかなかった。
「なんとか……なるといいけどね」
その心配のせいか、ふと横目で見る咲沢の背中は、なんだかいつも以上に丸まっているようにも見えた。
*
「ここを縦読みすると穏便に断るような文面になるようにできないかな……『また日を改めて』とか」
「そんな小細工するぐらいなら素直に謝罪の言葉を並べるよ」
今日も僕は咲沢の部屋で、今ではすっかり持ち主である咲沢よりもずっと触れる機会の多くなってしまったパソコンを操作していた。横でこれまたいつものようにおっかなびっくり、それでいて往生際悪くまだどうにか円満に逃げようと考えている咲沢を適当に宥め、メールの文面を打ち込んでいく。
「これから通話で打ち合わせもするのに、そんな調子で大丈夫か?」
コラボ企画の配信日が近づいてきて、今日は事前に音声通話での打ち合わせをする予定となっていた。メールやチャットでも打ち合わせなら僕が代役を務めることはできるが、通話となってはそうもいかない。
「というか……なんで配信はあんな感じでできるのに、普通の会話はできないんだよ」
「えっと……配信は、それなりに好き勝手できるから、かな。コメントは流れてくるけど、見ないフリはできるし、ゲームに夢中になってるとそもそも目に入らないし。でも、通話は……」
「まぁ、会話の流れを無視なんてできないよな」
というか、コメントを無視できるっていうのも僕にはちょっと信じがたい。どうしったって目に入った文字はその意味を認識してしまうし、考えてしまう。それがもし自分の意にそぐわないものだったら尚更だ。
それらを無視できるその胆力はどこから来るのか。慣れとか、そういう場数が物を言うようになるのだろうか。
「僕も可能な限り……いやどうサポートすればいいのか正直わからないけど、サポートはするから」
「う、うん……いざとなったら通話切るから、平気」
「何も平気じゃないからやめろ」
通信トラブルとか言っておけば切り抜けられなくはないだろうけど、結局のところ何も解決してない。
「あ、そっ、そう! お姉ちゃんに代わってもらう、とか」
「姉妹でもだいぶ声違うし、菜美さんは今ネット上じゃなくて、顔を合わせての会議に出るために東京に行ってるって言ってなかった? 肉親見習っていい加減腹括れ」
普段の菜美さんの言動やら何やらを見てると、そっちはそっちで不安なんだけど。まぁ、一社会人に対して学生の僕が心配するのもおかしな話だろう。いつものヤンキー然とした化粧と格好のまま打ち合せするつもりらしいから、「あのかわいい絵柄で描いてるの? この人が?」と唖然とさせてるんじゃないだろうか。
あーだこーだとどうにか通話会議を切り抜けられないかと浅知恵を絞ったところで解決しようがなく、そもそもネットの海に漂うでもない事前の打ち合わせでそんな調子でどうするのかと説き伏せている間に、どんどん予定の時間が近づいてくる。
「本気で無理だと思ったら、無言で手を上げてくれればいい。そうしたら……まぁ、通信トラブルのフリでもなんでもしてなんとかするから。手を下ろせ。早いよ」
逃げる方向にだけひたすら頭が回っている。あまりにも逃げ腰過ぎて、さすがに僕も企画から辞退した方がいい気がしてきてしまうけど、頭を振って弱気を払う。
「……なんだったら、その調子でもいいんじゃないか? 今日は打ち合わせなんだ。そもそも、普段の配信の調子も打ち合わせには向かないだろうし。とにかく落ち着いて、普通に話してみよう」
そう言うと、ようやく咲沢はいつのまにかもう一度上げていた手を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
「……うん。とりあえず、が、がんばってみる。せっかくなずなのことを誘いたいと思って、誘ってくれたんだもんね」
両方の頬をパチンと叩き、咲沢なりに気合を入れる。
「えっと、手を……二回、いや、三回上げたら、限界だと思ってもらってもいい、かな。たぶん一回目はすぐ上げちゃうと思うから」
「そこまで自己分析できるなら、一回目も自制……いや、わかった。そう判断する」
それが咲沢の譲歩の限界だと言うなら、僕はそれに従うだけだ。
打ち合わせの時間になった。咲沢が覚悟を決めたように口を閉じて頷く。僕も一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着け、専用のソフトを立ち上げて通話を開始した。今日の打ち合わせに参加する他の三人はすでにお互いに通話しているのか、咲沢のアカウント名が通話グループに入ってきたことに気づいた彼女たちの短い歓声が聞こえてくる。
「あっ、芹沢さん! 初めまして!」
Vtuberにそこまで詳しくない僕でも憶えのある、明るい声がイヤホンから聞こえてくる。彼女が今回のコラボを持ちかけてきてくれた方で、残りの二人も同じように、咲沢……芹沢なずなに向けて友好的な挨拶が向けられる。
そして、その挨拶に。
「あ、あの、は、初め、まして……芹沢なずな、です……」
芹沢なずなとは明らかに同じ声で、明らかに違う人間のような口調で返した。
「……あれ? 芹沢さん、ですよね?」
「は、はい。そう、です」
「あ、あ~、ごめんなさい。その、配信の時と声は一緒だけど、その、口調とかが全然違ったから、びっくりしちゃって」
「……すみ、ません。私、ほんとは……」
「ああ、大丈夫ですよ。普段と配信で全然変わる人、いっぱいいますし。別に謝ったりしないで大丈夫ですからね?」
その言葉が事実なのか、方便なのか。どちらにせよ、しどろもどろの咲沢に応対する彼女たちは落ち着いた様子で、芹沢なずなの素を知っても慌てることはない。
すでに片手を上げている咲沢の手を下ろさせ、そのまま肩を軽く掌で叩く。向こうが気を利かせてくれているならば、そこは素直に甘えておくべきだ。
「あ、ありがとう、ございます」
「ううん……えっと、敬語じゃなくても大丈夫……というか、私も敬語やめるね? 今回は本当に、気楽に遊べたらって思って声をかけさせてもらっただけだし。全然気負わなくていからね」
「え? じゃああたしもう退場していいすか? 何も考えず気楽に遊べる自信あるんすけど」
「いやあんたはもうちょっと気負いなさいよ」
「大丈夫だって~。一時間適当に駄弁りながらゲームするだけじゃないっすか~」
「あんたそう言ってこないだは駄弁り過ぎてほとんどゲームしないまま終わったじゃない。簡単にどんな話をするかぐらいは決めておきたいし、交流を深めておきたいの」
「じゃあ配信しないで雑談だけしましょうよ」
「告知出した後にそんなの無理でしょ。趣旨どっか行っちゃってるじゃない」
場を和ますためか、それとも単純に本心か判断がつかないけど、そんな冗談の応酬が咲沢を置いて繰り広げられる。女三人寄れば姦しいと言うけど、ここに四人目として咲沢が入って、空気が崩れないかハラハラする。
「そんなわけで、さっきこの人も言ってましたけど気楽にやってもらって大丈夫っすよ~。ほら、Vtuberとしてならなずなさんよりあたしの方が後輩ですし。あ、なずなさんの配信、あたし好きでめっちゃよく見てるんすよ」
「え、あ……えっと、嬉しいです。あっ、嬉しい、な」
「……いや、このなずなさんめっちゃかわいくないですか? 普段の綺麗な声でははちゃめちゃに騒いでるのも良いけど、今のなずなさんもう純然たる萌えキャラじゃないっすか」
「わかる」
「それな」
「あ、ありがとう……? す、素直に喜んでいいのかな」
息の合った連携で褒めたてる三人に、拙いながらも愛想良く返していく咲沢。完全に向こうが作ってくれているペースにおんぶにだっこのような状態でも、打ち合わせというか顔合わせの雑談は、和やかに過ぎて行き。
「緊張は……たぶんそう簡単には抜けないと思うけど。可能な限り私たちもフォローするから。当日も気楽に楽しもうね。誰だって最初は似たようなものだし」
「は、はいっ。えっと、気楽に、がんばります」
明らかに気負ったように返す咲沢を、優しく包み込むような笑い声が聞こえてくる。
「もうその言葉が気楽に言ってるように聞こえないけどね。ふふっ、それじゃ、またね。当日もよろしく」
賑やかだった通話が終了し、部屋の中には静寂が戻る。咲沢が肺一杯のため息を吐いて机に突っ伏した。通算七度目の挙手がそのままなのは、ひたすら彼女からのヘルプを無視した僕への当てつけだろうか。たぶん、逆に下げる気力も湧かないだけかもしれないけど。
「まぁ……いつも通りってわけではなかったけど、なんとかなったんじゃないか?」
打ち合わせの時点で終始しどろもどろ極まりなかったけれど、一緒に配信してくれるのが彼女たちなら、その咲沢の様子すらうまく扱ってくれるだろう。それぐらいの信頼感が、彼女たちの言葉を傍で聞いている僕でも感じ取ることができた。
「うん……良い人たち、だった」
咲沢もそれには同意するのか、反論はない。
「全然うまくお喋りできなかったけど……うん、楽しかったかな」
ようやく顔を上げた咲沢の表情には、はにかむような笑顔が浮かんでいた。
「……まぁ、それなら何よりだよ」
不安材料は尽きないし、たぶんどうせ当日になったら本人がいくらでも逃げ道を探したりするんだろうけど。
なんとか、楽しみだと思えるだけの理由を見つけられただけで、上出来なのかもしれない。
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