9話

「あ~! ダメだった! いやでも惜しかったよね!? あとちょっとだからって焦っちゃったけど、あそこで引いて回復してたらなんとなかった気がする! あ~悔しい~!」


 深夜も深夜。丑三つ時をすっかり越した夜中だというのに、変わらず元気に騒いでゲームし続けるのは、もうそれキャラクターとかじゃなくない?

 なんて思いながら、僕は三杯目のコーヒーを口に流し、舌先でその苦みを感じる。最初のうちはコクやら何やらを感じて舌鼓を打っていたのに、今では眠気覚まし扱いしかしていない。もったいないし、もし次の機会があるなら、インスタントを使おう。

 もうすっかり僕の存在を隠すことのなくなった咲沢に、また新しく淹れてきたコーヒーの入ったカップを差し出す。


「あ、ありがとうUちゃん。よしっ、せっかくUちゃんが淹れてくれたコーヒーのおかげで、今日は調子良いもん。あとはあいつを倒したらクリアなんだからもうちょっとがんばりたいけど……あれ、これ何杯目だっけ」


 配信中は声を出して会話するわけにもいかないので、雑用紙を使った筆談で済ませている。咲沢の独り言めいた呟きに、五、とだけ紙に書いてみると、顔をわかりやすく引きつらせた。

 表情も、声色も。配信中の咲沢は紛れもなく僕の記憶の中にある。昔の明るかった咲沢そのままだ。本人に否定された今でも、どうしたって彼女の浮かべる笑顔は過去の記憶と重なってしまう。


「五杯目かぁ……一日でそんなにコーヒー飲んだの、産まれて初めてかも。仮にクリアしても、眠れるかな。あ、余裕ぶってるわけじゃないです。気を引き締めていきます。はい……いやでもちょっとぐらい調子乗ってもよくない!? さっきクリアできそうだったんだよ!?」


 コントローラーを持ち直し、咲沢は再度ボスへと挑んでいく。ゲーム画面に集中しつつ、流れていくコメントを適当に拾い、反応していく精神力は傍から見て何度もすごいと思う。

 前に、配信せずに一人で集中してやったらとっくにクリアしてるんじゃないか。と不思議に思って聞いたら、「そもそも配信してなかったら心折れてやめてるかな……」といつもの咲沢の調子で答えられたことがある。

 楽しいとか辛いを共有できることが楽しいと、いつまでも合わせない目を伏せたまま。それでもしっかりと答えていた。


「あーあー待って待って待って! さっきそんな攻撃してなくない!? 卑怯だよ卑怯! 無理無理無理無理!」


 冬だから締め切ってるけど、夏場に窓を開けていたら近隣から苦情止まらないだろうな。配信を見てる人は自分で音量を調節できても、隣にいる僕はそうはいかない。左耳にだけ詰めた耳栓が頼もしかった。

 先ほどの挑戦よりもずっと無残な結果に終わり、咲沢はコントローラーを放り出して机に突っ伏していた。彼女の顔を認識するカメラの枠から離れたせいか、画面の中の芹沢なずなも、同じように目を閉じ顔を俯かせている。

 配信画面に何か動きがあるたびに、コメントが流れていく速度が加速する。あえなく敗北した彼女に、労いと激励。そして時折アドバイスや詰るようなコメントが流れては消えていく。深夜だというのに、この配信を見ている人はびっくりするほど多い。片田舎の高校とはいえ……僕のクラスの人数なんてとっくに超えて、なんだったら全校生徒よりもずっと多い人数が、今この時間に芹沢なずなの配信を見ている。あまりにも規模が大きくて現実感がまるでない。

 下手くそ。なんてあからさまなヤジもある以上、全員が全員、芹沢なずなに好意的な人間が揃っているわけではない。でも、そんなコメントはすぐに流れて行ってしまうほど、たくさんの人が彼女のゲームクリアを願っている。

 休憩したら? と咲沢を気遣うようなコメントが見えて、僕は咲沢の肩を叩き、無言でそのコメントを指さした。もう何時間も続けてプレイしているのだから、ここらで休憩をとってもいいだろう。

 疲労がありありと浮かんだ咲沢の瞳が、流れていくコメントを見つめる。


「あ、みんなお気遣いありがとうね。休憩……うん、そうだね。ちょっとだけ休もうかな。十五分ぐらい……かな。休んでもいい?」


 僕に尋ねたわけでもなく、マイクは咲沢の質問を拾い、ネット上に流していく。すぐに肯定のコメントが流れるのを見て、咲沢は両手を上げて背中を伸ばしていた。


「うーん……それじゃあトイレと、顔洗ってこようかな。みんなもトイレに行ったり、好きに休憩しててね」


 僕はどうするのか、と。配信中の雰囲気ではなく、伺うような目で咲沢が見てくる。僕は僕で、コーヒーを用意する時とか勝手に休憩を入れていたから構わないと、首を振って応えた。


「それじゃあ十五分後に再開、ってことで。あ、もしやってみたかったらやっててもいいよ」


 扉が閉められ、部屋の中には僕だけが残される。

 ……え、今の僕に言ったの?

 混乱しつつ配信画面に目をやると、同じように混乱した人たちがいくつもコメントを残していく。


 「Uちゃんやるの?」「まさかのUちゃんプレイか」「なんか上手そう」「盛り上がってきた」


 などと加速していく熱が、流れていく文字列からも感じてしまう。

 ……ちょっとだけ、やってみてもいいか。

 何時間も見てるだけというのもなんだし、僕も興味はあった。操作方法もだいたいわかってるし、休憩中の余興としては悪くないだろう。

 コントローラーを手に取り、スティックを倒す。当然、画面の中のキャラクターは動き、ボタンを押せば剣を振って攻撃した。僕自身このゲームをやったことはないけれど、経験のあるゲームと操作性にそこまで差はない。

 これなら少しやるぐらいなら問題はないな、と。軽く考えていたら一気にコメントの加速度が増していく。


 「動いたああああああ!」「Uちゃんだ!」「Uちゃん操作きた!」「すでにうまい!」


 そんなテンションの高いコメントが、いくつも流れていく。

 そりゃ、そうだろう。今まで裏方としてしか存在が認知されなかった者が、ついにコントローラーを持ったのだ。お手伝いの枠を超えて、芹沢なずな不在の中、一人で。

 たとえ僕が何一つとして言葉を発しなくても、僕がコントローラーを操作すれば、それは存在しないはずの彼女の証明になる。もし僕が視聴者の側だったら、同じように興味をそそられただろう。

 僕の操作を、今この瞬間、何百人の人間が見ている。たかがゲームでも、何百人も。僕が通う高校の全校生徒すら優に超える人数の、人が。

 突然、持っているコントローラーの重みが何倍になったような気がした。

 目の前に存在しているわけではない。数字として画面に表示されているだけだ。注目されている実感なんて、中々湧き辛いはずなのに。

 流れていくコメントの一つ一つは、紛れもなく「誰か」が書き込んでいったものだと思うと、その途方もなさに眩暈がした。

 頭を振って、その混乱を払う。一挙手一投足が見られている以上、訳のわからないことをしたらそれはそのまま視聴者への混乱に繋がるのだ。しっかりしないと。

 キャラクターを動かし、ステージを進んで。恥ずかしくないように、いっぱいいっぱいになりながらボスに挑む。戦い方なら、咲沢の操作をずっと見ていたからなんとなくわかる。

 防御して、躱して、隙を見て攻撃して。見られている。その緊張感に飲まれないよう、何も考えずにただ指先を動かして――


「ってクリアしそうになってるー!?」

「っ――」


 背後から聞こえる声に思わず僕も声を上げそうになる。咄嗟に口を手で塞ぎ、そのせいで棒立ちになったキャラクターはボスの攻撃を受けてあっけなく倒れた。


「えっ、今普通にクリアしそうになってなかった!? みんなも見てたよね!? すごいすごい!」


 僕は慌ててコントローラーを咲沢に返す。夢中になっていたから気づかなかったけど、危うく咲沢の見せ場を奪いかねなかったことに、今更ながら冷や汗がダラダラと流れてくる。


「ご、ごめん……なんか、思わず楽しくなっちゃって」


 マイクから遠く、音を拾わない距離まで離れて限りなく小声で言う。ああ、コメントを見るのも怖い。

 そんな青ざめている僕に対して、咲沢は微笑んで、同じように小声で「大丈夫」とだけ返す。


「……楽しいのなら、よかった」


 椅子に座り直し、画面の中の芹沢なずなの顔が自身の表情と連動することを確認する咲沢に、慌てた様子は全然見えない。

 それどころか、むしろ、嬉しそうにすら見えた。


「すごかったねUちゃん! いやーびっくりしたよ。トイレから戻ってきたらボスのHPがあとちょっとでなくなりそうになってるんだもん。どう? Uちゃんは上手だった?」


 「上手だった」「びっくりした」「Uちゃんヤバい」「玄人の動き」「もうずっとUちゃんがやればいいんじゃない?」「最後明らかに手を抜いてたよな」


 そんなコメントが次から次へと流れていく。危うく趣旨に反したことをしでかしそうになった僕の不手際を受け入れてくれているのが、ただの文字から伝わってくる。

 今更ながら、ちゃんと実感する。

 咲沢は……芹沢なずなは、ただの数字に対して自分の楽しいことを見せつけているわけじゃないと。

 その数字の分だけ存在する「人」に向けて、その楽しさを見せつけているのだと。


「うんうんUちゃんすごいよね。昔から何をやっても人並み以上にうまくてさ。そういうところ、本当に憧れてるの。え? 後はもうUちゃんにやらせればすぐクリアできる……ってそれじゃ意味ないでしょ!? 私のこれまでのがんばりが無駄になるじゃん!」


 ケラケラと笑い、咲沢はコントローラー操作する。

 咲沢が笑えば、画面の中の芹沢なずなも笑う。架空のキャラクターだとしても、ちゃんと。


「よーしっ、私も負けてらんないぞー! ちゃんと落ち着いてやれば勝てるってUちゃんのおかげでわかったもん! 次こそはクリアしちゃうからね!」


 ……結局。この日の配信は太陽が昇り、平日ならすでに起きて学校に行く支度を始めるような時間まで続いて。

 ようやくクリアした瞬間は、思わず僕も叫んでしまいそうになるほど、嬉しくて。

 ……まぁ、たぶん僕が叫んだところで、より大きい咲沢の叫び声で掻き消されてしまっただろうけど。


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