第2話 本家の王太子と分家の王子


 アドルフォ皇帝の訃報は、瞬く間に大陸全土を駆け巡った。


 同時に、属国の王族たちは、急いで学院から、自身の子供たちを引き上げさせた。


 帝国中の王子に、帝都の王族学院への入学義務があるのは、人質として使うためだ。


 大事な跡取りを手元に置くことで、帝国は属国の反逆を防いでいるのだ。


 が、帝国の権威は初代皇帝アドルフォ個人の才覚に頼り過ぎていた部分がある。


 アドルフォのいない帝国など、牙のないサメも同じだ。


 国力は侮れないものの、20の国々を束ねるほどの脅威ではない。


 となれば、60年、辛酸をなめさせられていた各国の行動は想像に難くない。


 帝国が子供たちを本格的な人質に使うのは時間の問題。


 皇帝が死に、指揮系統が乱れている間隙に付け入り、各国の王は子供たちを救出し、国へと引き返らせた。


 運よく、帝国上層部は次期皇帝を誰に据えるかの権力闘争に気を取られ、学院への注意が散漫になっていた。


 おかげで、スバル王国王太子、ポール・スバルと、分家である大公家殿下、アルベルト・トワイライトは、速やかに祖国へ帰還することができた。




 皇帝の急逝から四日後の昼。


 国境線を越えた街道を走る馬車の中で揺られながら、アルベルトは安堵の溜息をついた。


「はぁ~、やっと国に帰れたよ……」


 学園卒業まで続くと思われた地獄が、こんな形で切り上げてもらえるとは思わなかった。


 不謹慎ではあるものの、アルベルトは皇帝の崩御を喜んでいた。


 いや、不謹慎も何も、属国からすれば皇帝は60年前に祖国を滅ぼし支配した、憎き敵国のトップだ。


 皇帝の死を喜ばない王はいないだろう。


 ——それに、ポールとは別の馬車なのも助かった。


 これが万が一にも、同じ馬車だったら。


 四日間も、あのポールと狭い馬車の中で過ごす。考えただけでもゾッとしない。


 アルベルトの心は晴れやかだった。


 とにもかくにも、地獄のような学院生活は終わった。


 変わらずポールは嫌がらせをしてくるだろうけど、それは毎日じゃない。


 ポールとは住む領地が違う。


 今後は年に数回数日ずつ、王族の集まりや、ポールの方から尋ねてきたり呼び出してきた時だけ我慢すればいい。


 昔はそれが地獄のように思えたけれど、毎日が地獄だった学院生活に比べれば天国だ。


 むしろ、なんで年に数回のことが我慢できなかったんだろうとすら思えてくる。


 未来への希望に頬を染めていると、馬車が急停止した。


 乗り合わせていた、家老のヨーゼフ・デイタイム侯爵が顔をしかめた。


「なにごとだ?」


 白髪の多い、初老過ぎの50代男性だが、ヨーゼフは頭も体もかくしゃくとしており、素早い動作で馬車から降りた。


 アルベルトも、どうしたんだろうと、窓から顔を覗かせた。


 少しすると、ヨーゼフは落ち着き払った様子で、すぐに戻ってきた。


「どうやら、行商人の馬車が壊れ、立ち往生しているようです。金を出し惜しみ粗悪品の馬車を使っておきながら、欲を出して多くの積み荷を乗せる輩にはよくあることです。まったく、迷惑極まりない」


 態度は冷静でも、言葉にはトゲがあった。


 一方で、アルベルトは、行商人に同情した。


 自分のスキルで、なんとかしてあげられないか。アルベルトはそう考えて、馬車を降りた。


「殿下、何をなさいます?」

「街道が通れないと俺らも困るし、領民なら助けてあげないと」


 どのスキルを使おうか悩みながら、アルベルトは前を走るポールの馬車の横を通り過ぎた。


 なるほど、そこには、横転した荷馬車と、街道に散乱する積み荷の箱があった。


 そして、ポールとその側近の姿も。


 ——ポールも降りたんだ。


 助けるつもりで馬車から降りたアルベルトは、疑うことなく、ポールも行商人を助けるために降りたのだと思い込む。


 ただ、自己中心的な彼には珍しいとも感じた。


 しかし、現実は違った。


「邪魔だ」


 次の瞬間、水流が街道を突き抜けた。


 ポールの冷たい言葉を合図に、彼の手の平から生じた水の濁流が、積み荷と馬車を、それに馬車馬を、街道の外に押し流してしまう。


 ポールのスキル、【水流操生(すいりゅうそうせい)】だ。


 馬は悲痛ないななきを上げて、商品は水浸しだ。


「う、馬が、商品がぁ……」


 きっと駆け出しであろう、若い行商人の顔と声が、絶望に染まっていく。


 行商人は、積み荷よりも馬に駆け寄った。


 きっと、思い入れのある大切な馬なのだろう。商いの師匠から貰った馬かもしれない。


 その光景が信じられなくて、アルベルトはまばたきを忘れていた。


 一方で、ポールは忌々し気に顔をしかめて言った。


「王の役に立つべき平民が、王の足を引っ張るとは何事だ! 積み荷や馬車は、その懲罰と心得よ!」


 アルベルトは見逃さなかった。

 偉そうな権力者口調を作るポールのしかめ面の口元に、嗜虐的な笑みが浮かんでいることに。


 ——楽しんでやがる……。


 それは、アルベルトをいじめるときのような、優越感に満ちた笑みだった。


 右往左往する行商人を少し眺めてから、ポールは自分の馬車に戻った。


 ポールがアルベルトの横を通り過ぎる時、彼は、アルベルトを押しのけるようにして、肩に肘打ちをしてきた。


 強い痛みが、肩から胸に、そして自分のもっと深いところまで響くような気がして、アルベルトは歯を食いしばった。


 でも、すぐに行商人に駆け寄った。


 構わず、ポールの馬車は街道を走り去っていく。


 遅れて、ヨーゼフが駆け寄ってくる。


「アルベルト殿下、我々も行きますぞ」

「待って。あの、これ、商品や馬車の代金には足りないと思うけど……」


 アルベルトはポケットに手を突っ込むと、大金貨を何枚か取り出した。


 彼の、今月の滞在費の残りだ。


 令和日本で例えると、数十万円分の価値がある。


「あ、ありがとうございます!」


 行商人は、泣き顔のまま深く頭を下げた。


「それから、馬も」


 アルベルトは、【鑑定スキル】で馬の状態を把握すると、自身の魔力を消費して、馬に回復魔術をかけた。


 痛めた馬の脚が、みるみる治っていく。


「殿下、平民相手にそこまでせずとも」


 ヨーゼフの言葉を引き金に、アルベルトは学院での生活を思い出す。


 『分家の分際』で、『分家のくせに』、と言われ、分家だからと虐げられた、学院生活をだ。


「ふん、殿下の慈悲に感謝するのだな」


 居丈高なヨーゼフの言葉に、アルベルトは胸の内に、言いようのない重みを感じた。


 馬車に戻ると、アルベルトは、おずおずと口を開いた。


「ね、ねぇヨーゼフ。ポールのあれって、器物損壊罪じゃないかな?」

「む? はっはっはっ、ご心配めされるな。我々貴族や殿下たち王族は、平民に対して【懲罰権】を持っていますからな。ポール様が罪に問われることはございません」


 懲罰権とは、平民の悪行に対して、貴族が自身の裁量で罰せられる権限のことだ。


 これは、貴族の権威と治安を維持するための制度だが、実際には、私的に利用する貴族が後を絶たないのが実情だ。


「懲罰権て、あの行商人は犯罪なんてしていないじゃないか」

「何をおっしゃいますか。平民の分際で王族の進行を妨げたのです。これは紛れもない不敬罪に当たります。アルベルト様は、もう少し法律を学ばれたほうがよろしいようですな」


 アルベルトは頭から冷水を被せられた気分だった。


 学院を去れることへの嬉しさなんて、もう欠片も残っていない。


 ——なんだよそれ……。


 自分にとって、王族学院は分家の子だからと虐げられる地獄だった。


でも、平民にとっては、この国そのものが地獄じゃないか。


 自分が知らないだけで、平民の人たちは、ずっと学院における自分のような目にあってきたのか。


 そう考えるだけで、吐き気がした。


 領地へ帰る残りの時間を、アルベルトは最悪の気分で過ごした。


   ◆


 夕日が空を赤く染める頃。


 城へ帰り、馬車を降りると、アルベルトは玄関でヨーゼフに尋ねた。


「父上は?」

「ご病気の症状がかんばしくなく、床に臥せっております。奥方様はご実家です」

「わかった。じゃあしばらく部屋で休むよ」

「御意」


 ヨーゼフと別れると、アルベルトは一人で部屋を目指した。


 アルベルトの帰還を歓迎する人はいないし、使用人たちに囲まれて部屋までエスコートされることもない。


 けれど、特に落ち込みはしなかった。


 アルベルトの生活は、子供の頃から割と質素なのだ。


 アルベルトは王族とはいえ、小国の、しかも分家の子だ。


 絵本に出てくるような、何百人もの使用人たちに蝶よ花よと愛でられながら暮らす、豪華絢爛な身分ではない。


 もちろん、そこらの貴族よりはずっと裕福ではある。


 ただし、アルベルトの父親で現大公のアーダルベルト・トワイライトの方針で、税収は領民に還元することにしている。


 その上、今は宗主国であるセプテントリオ帝国の皇帝が死んだという緊急事態だ。


 上も下も大混乱中で、みんな、自分の仕事に必死だろう。


「……一年ぶりか」


 久しぶりの我が家を眺めながら歩けば、少しはなつかしさを覚えてもいいはずだ。


 なのに、アルベルトの気持ちは晴れず、嬉しさは半分も感じなかった。


 身分制度を布かれた封建社会において、身分が違えば、人と犬ほども違うのは当然だ。


 けれど、まだそれを理解するにはアルベルトは若く、何よりも、賢過ぎた。


 愚者は考えない。

 だから何故とは思わず、それはそういうモノだとしか思わない。


 賢者は考える。

 だから何故そうなるのかと考え、筋が通っていないモノに違和感を覚える。


 加えて、アルベルトは自身が虐げられる身分で、辛くて、この苦しさから逃げ出したいと切に願っていた。


 そうやって、暗い気持ちを引きずりながら歩いていると、女の子がすすり泣く声を聞いた。


 誰が泣いているんだろう。

 どうして泣いているんだろう。


 行商人の鳴き顔を思い出して、胸を痛めながら、アルベルトは廊下のバルコニーから、庭園へ出た。


 泣き声は、庭木の裏から聞こえてくる。


 木の幹に手をついて覗き込むと、アルベルトは彼女の姿に、一瞬で目を奪われた。


 多民族国家と化している帝国でも極めて珍しい、桜色のストロベリーブロンド長い髪が風に揺れていた。


 鮮やかな金色に光る瞳から大粒の涙が流れ、陶磁器のように白く滑らかな頬の上を伝っていく横顔に、胸がいっそう痛んだ。


 この綺麗な顔がどうして悲しみに歪んでいるんだろう。


 何が、この子を泣かせているんだろう。


 彼女の涙を止めたくて、彼女を笑顔にしたくて、アルベルトは声をかけた。


「お前、なんで泣いているんだ?」

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