9話 暗雲
その後、どちらも3回まで点は入らなかった。
しかし、4回裏。
「あっ」
「あっ」
恋と郷田のバッテリーは声をもらす。
恋が投げたボールはバットを通過し、グローブに収まると思いきや、グローブをはじいて、後ろに飛んでしまう。
バッターはそれを見るや、1塁に走り出し、相手ベンチから「走れ!」と叫ぶ声が木霊するようにたくさん聞こえる。郷田は急いでボールを取り、1塁にボールを全力で投げる。
「あーーーっ」
しかし、郷田の投げたボールは一塁の頭上を大きく超えていく。
ランナーはそれを見て、2塁、3塁まで到達する。
「あらららぁ~」
佐藤先生ががっかりする。
「どんまい、どんまい!切り替えて、郷田君。みんなファイト!」
佐藤先生は大きい声で激励する。
真田は黙って郷田を見つめ、相手ベンチの監督の顔を見る。
「先生」
真田は声を掛ける。
「何?真田君。ノーアウトランナー3塁の大事な場面だけど」
「スクイズ、あると思いますよ」
「えっ」
佐藤先生は真田を見つめ、その言葉を信じてサインを出す。
マウンドに集まる内野陣とバッテリー。
「スクイズ警戒しろか・・・」
サインを見た橋田キャプテンがファーストミットを叩く。
「すいません」
郷田が謝る。
「1点は覚悟した方がいいんじゃないかな、とっ思います」
取ってつけたような丁寧語でセカンドの小松が不安そうに周りの顔色を見渡す。恋はボールを自分のグローブに何度も投げつけて話を聞く。
「まぁ・・・1点は覚悟だ。一つずつアウトを取って行こう」
橋田の意見に全員が頷く。恋を除いて。
「嫌です」
恋はボールを投げるのを止めて、橋田を見る。
「とはいえ・・・なぁ」
橋田も周りを見渡す。
「揉めてますね」
真田は佐藤先生に話しかける。
「うーんどうしたのかしら」
真田は恋を見る。気合の入った顔が、また気合の入りすぎた顔になっている。
「まぁ、1点死守なのか、1つずつアウト取るかで、恋は1点あげるのが嫌なんじゃないですかね」
「どうするのがいいと思う、真田君」
困ったような顔をして佐藤先生が真田を見る。真田も指揮官がぶれてしまうことは危険だと思いつつ、恋をどうしても見てしまう。
「僕は部外者ですので、どっちが正しいかわかりません。ただ・・・」
「ただ?」
「僕なら・・・」
恋の視線と真田の目線が合う。
真田は頷く。
(まっ、僕は監督よりピッチャーびいきだからな。恋がどうというよりも・・・)
「僕なら、アウトは必ず取れるようにしますかね。ホームで取れればラッキーぐらいで」
グラウンドの6人が散る。決まったようだ。けれど、恋の顔は曇ったままだ。
「難しいな、投手って奴は。本当に」
真田はぼそっと佐藤先生にも聞こえないくらいの声で呟く。
「先生、多分1球目からスクイズ来ますよ」
佐藤先生は一瞬びっくりした顔をして真田を見るが、納得したのか、真剣な顔をしてサインを出す。
コツンっ。
中途半端な速球。綺麗なバントがサード側に転がる。
サードのチャージが遅く、ホームは間に合わない。サードはファーストに投げる。
「アウトっ」
「よし、ワンナウトワンナウト」
「ナイス、スクイズ!!」
郷田の声をかき消すように、相手ベンチから拍手と賞賛の声が出ている。
「オッケーよ、オッケー、ワンナウトワンナウト」
佐藤先生も声を出す。
「いや、オッケーじゃないみたいですよ」
ナインのうち、一人だけ暗い顔のメンバーがいた。
「声が自分の頭上で交錯してますね。誰かが近づいて声かけないと。ちゃんと、恋に声をかけないと・・・」
真田は拳に力を入れていた。
そこからの恋は別人だった。
緊張しつつも楽しんでいた顔をしていた恋の表情は苛立ちで満ちていた。
「フォアボール」
また、ランナーが塁を埋める。
「どんまいどんまい」
郷田が声を出しながら、ボールを返すが恋は郷田を見ない。
「もう、声が届かないですね、郷田先輩の声」
真田は佐藤先生に話す。
「おい、てめぇ。気取ってんじゃねぇよ。先生も先生です。こいつがいるとベンチの士気が下がります」
ベンチにいた選手が怒る。しかし、真田は動じない。
「佐藤先生、7対2じゃなくて、10対0にしてもいいですか?」
「ほんとに・・・いいかげんにしろよ」
佐藤先生が、ベンチの選手に手で制す。
「ねぇ、佐藤君。君はうちのチームが負ければ、学校の校庭をもっと有意義に使えるのに、どうしてそんな苛立った顔をしているの」
真田はびっくりした顔をする。
「別に。つまらない試合を・・・見させられてるからですかね」
真田は暗い顔をして、明るいグラウンドを見ていた。
カキーーンッ
また、打たれる恋の球。
スコアボードは6の数字が書き込まれる。
「止まらないわね」
「止まりますよ、普通に行けば」
「えっ」
「なんで・・・先生は僕がここにいることを許したんですか」
真田は悲しそうな目で佐藤先生を見る。
「うーん、赤坂さんが目をきらきらさせながらお願いしてきたのと・・・」
真田も恋の笑顔に勝てない気がしたので納得する。そして、佐藤先生はにこりと笑った。
「真田君が嬉しそうだったから」
真田は目を丸くする。そうですか、とぽつりと真田は言って、試合を見る。
「・・・出塁率5割なんてざらにいると思いますが、それは2流3流のピッチャーから打ったりしているだけですし、それでも、5割」
カキーーンッ
「アウト」
「気持ちよく打ったとしても、ヒットを打つ意志がないバッティングは野手の定位置に飛んでいくもんです」
真田は恋を見つめる。少し肩で息をしながらゆっくりとベンチに歩いてくる。そして、真田の前に立つ。
「それが君のベストピッチ?」
真田の問いかけに恋は息を弾ませながら聞いている。
「いいコースに投げるのもベストピッチだよ。コントロール良く投げるのは制限じゃない」
恋は答えない。ただ、真田を見つめる。
「まぁ、座りなよ」
真田は飲み物とタオルを渡す。
(僕のイライラしている理由か・・・)
息を弾ませながら恋は座り、タオルで汗を拭く。目のあたりを重点的に。
真田はぼーっと試合を見る。
諏訪門天のベンチ、選手の顔は明るく元気な声が飛び交っている。
「先生」
真田はぼそっと口にする。
「ナイセン!!」
ボールのランプが3つ積み重なり、消える。
「いいわよ、続いていきましょう!」
「先生!!」
「何!?今いいところなの、ランナーが出たの、わかるでしょ?ノーアウト1,2塁チャンスなのよ!!」
興奮している佐藤先生に、真田も大きな声を出すが、佐藤先生はあまり気にしない。
「3点、欲しくないですか?」
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