へっぽこ1,000,000,000,000,000

架橋 椋香

三〇XX年にございましても

 ニッパーが要る。そう叫んで望遠鏡は、その三つの脚をがちゃがちゃ削らせながら、お世辞にも速いとは言えない速度で駆ける。


 足が3mmほど削れた頃、目的の山に到着。ここには、その昔、『B〇〇K 〇FFに檸檬仕掛けて来たw』とSNSで投稿し、43いいねを獲得した男がまつられている神社があるらしいが、今日はそこには用はない。

 行き先はここ。ハイキングルートの途中にある地図の中央部を指差し、行き先を確かめ合う若いイノシシの夫婦カップルが、歩くはしる望遠鏡を見て、大袈裟と思うほど飛び跳ねる。望遠鏡は先を急ぐ。

 彼には急ぐ理由がある。


 古びた山小屋が見えてくる。

 全国にも数店しかない、人間以外にも物を売ってくれる百貨店。ここでニッパーを買う。店主は、かつてふもとの中学校にいた、猫の全身骨格模型。望遠鏡とは馴染みだ。

 曰く、ある日、急に魂が宿り、目が覚めたらしい。しばらくは学校に留まっていたが、そのうち疲れてきて、夜中に逃げ出し、山で物を売り始めたようだ。彼が脱走した後、学校では怪談騒ぎが起きたとか。

 望遠鏡も、ある日、唐突に目が覚めて吹き込まれたのだが、その話は、またいつか。

 この店では、人間の通貨で支払いをする。とはいえ、人間のように働けない自分たちには(どこかには人間でなくても働けるところがあるらしいが)人間の通貨の入手手段なんて落ちてるものを拾うくらいしかないから、とても安いし、値段は硬貨の枚数で数える。例えばニッパーなら、硬貨七枚。しかも、消耗品以外は、商品を返せば支払ったコインは返ってくる。まるで儲からない。店をやっているやつはただのお人よしだと言うこともできるが、もちろん本人の前では言わない。休業日も多い。

 「いらっしゃい」

と、店主の猫の全身骨格模型。

望遠鏡が「ニッパーある?」と聞くと、「あるよ、七枚ね」と店主が答えた。

 財布を開ける。しまった。五枚しか持ってない。

 猫が「おや、足りないのかい?そうだね、あんたはうちのジョーレンさんだから負けてやるよ、あるだけよこしな」なんて言うから、望遠鏡は、銅のコイン三枚とアルミのコイン二枚を渡し、ニッパーを受け取る。

 「ありがとう。明日までに返しに来るよ」と言って、店を出た。


 ここからはさらに急がなければならない。もう理由もないのに。

 惰性だせーで走る望遠鏡は相変わらず冗談にも速いとは言えない。めちゃめちゃだせーし。もしもの話をすることをあなたは許してくれるなら、人間が悪い。そう叫べるならどんなに楽で、世界が広がる羽目にあうだろうか。だけど、生まれてきたその世界に、「なぜ俺なんか生んだんだ!キミの所為だろ!」とか嘆かれたところでそれに効く薬やそれに見合う救済なんてこの世にはないから、しかたない。殺したこの声はどこに埋めようか。

 自分がこの声を殺したせいで、この声だけでなく、その声がきっかけで生まれる革新や、革命に生み落とされる、まだ誰も知らない世界、新しい世界、それからその世界に愛されて生まれてくる いのち のを奪うことになってしまったのはとても心苦しいことだが、そういうものだと飲み込む。がんばれ胃液。目指せ世壊胃酸せかいいさん

 大きい言葉を飲み込めば、それだけ胃がもたれるから。

 木の根に、躓いて、転んで、口から、透明な生暖かい毒がこぼれる。その魔物は地を這い、土を染め、草木を枯らしつけ、

 望遠鏡は逃げた。いきを切らして。

 そして。

 制服のように整ったコンクリートの砂漠に踏み込む。恋人は近くにいた。

 電波望遠鏡こいびとの首筋に這い回る人間の糸の病をニッパーで挟み切りちぎり、動くことのない恋人が新しく生まれるのを、吹き込まれるのを、望遠鏡は待ち続けた。


 しばらくして、一匹のかわいいネコちゃんが、望遠鏡さんが手に握っていたニッパーを、はたき落としたよ。


 そして、ある時、は来た。もう、望遠鏡は終わっていた。錆びるところは錆び、割れるところは割れ、腐るところは腐った。

 放物線が回るように目覚めた電波望遠鏡こいびとは、自分の横に動かなくなっている望遠鏡を見つめる。口を開け、毒の無くなったそれを、飲み込む。

 かつて恋人のために足を3mm削ったものは、かつて望遠鏡だったものは。

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へっぽこ1,000,000,000,000,000 架橋 椋香 @mukunokinokaori

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