十四話

 土曜日にエミに電話をかけると、「今日は用事がある」と断られてしまった。

「ママと出かけるの」

「そうなんだ。なら仕方ないね」

「ママとの約束破ることもできるよ」

「いいよ。いつでも遊べるんだし」

「ありがとう。ごめんね」

 謝り、エミは電話を切った。特に行く当てもなく、一人で散歩をした。お気に入りの服に着替え、外に飛び出す。ぶらぶらと足の進む方向に歩いていると、子供たちがスポーツをしている公園に辿り着いた。その中には男子だけではなく女子も混じっているのに気が付いた。小学生くらいだと、あまり異性の違いはなく体つきも似ていて、好きな人や誰が恋人なのかと不安になることも少ない。すずめもエミと出会う前は外で男子と追いかけっこしたりふざけ合ったり取っ組み合ったり平気でしていた。なぜ急に男と女に差が生まれるのか。思春期になると、お互いに体は変化するし心の形だって複雑になっていく。異性の言動に、悩んで落ち込んだり逆に喜んだり嬉しくなったり、まさに一喜一憂の連続だ。

「うーん。男の子の気持ちってわからない……」

 ベンチに座り腕を組むと、視界に何かが映った。目を丸くすると、遠くにあるベンチに人間が横たわっていた。別にどうでもいいしわざわざ確認しなくてもよかったが、近づくと高篠が眠っていた。イケメンは寝顔まで整っているのか。つまり柚希もきっとかっこいいのだろう。ふと、ある思いが頭の中に走った。このイケメンに、好きなだけラクガキしてやろうと考えた。いつも偉そうにしているが、たまには馬鹿にされ他人に笑われ恥をかくという目に遭わせてやりたい。そして反省させて、このひん曲がった性格を叩き直すのだ。みんな怖がって関わろうとしないので、すずめがやるしかない。とはいえマジックなど持っていない。どこかで買ってこなくては。

「えーっと、ここらへんで一〇〇均は」

 周りを見回していると、ぐっと手首を掴まれた。

「鳥女? 何してるんだ?」

「ちょ、ちょっと。まだ寝ててよ」

 もたもたしていて起きてしまった。高篠は、すずめの焦っている表情から答えを得たようだ。

「お前、俺の顔にラクガキしようって企んでたんだろ」

「た、企んでなんかいないよ。あたしを悪人みたいに呼ばないでよ」

「でも当たりだろ。まあ、もしラクガキされたら、倍返しにしてやるからな」

「倍返し?」

 本当に、ああ言えばこう言う男子だ。さっさとマジックを買って来てラクガキすればよかった。

「起きた時に目の前にいたのが鳥女なんてな」

「すみませんね。絶世の美女じゃなくて」

 きっと睨んで言い返すと、高篠は勢いよくベンチから立ち上がった。

「別に、絶世の美女がいいなんて言ってねえだろ」

「じゃあ、どんな女の子がいいのよ」

「お前に話しても意味ねえから言わねえ」

「……頭にくる……」

 じろりと見ながら呟いたが、高篠は無視をして歩き始めた。

「どこにいくの?」

 後ろからすずめもついて行った。高篠は黙ったまま視線を向けようともしない。

「ねえ。ちゃんと答えて」

 もう一度声をかけると、高篠は立ち止まった。

「帰るんだよ。ついてくるな」

 ぶっきらぼうに答える。ムカッとし、大声で怒鳴った。

「ついて行くわけないでしょっ。馬鹿っ」

 そして、すずめも走って家に帰った。

 他人……それも男子に、馬鹿と叫ぶ日が来るとは思っていなかった。だが、高篠にはどんな暴言を浴びせてもOKな感じがした。あの曲がった性格を真っ直ぐにするには、暴言が必要だ。また、高篠は可哀想な人だとも思っていた。喧嘩して不登校で、もしかしたら日本に来なければよかったと後悔しているのでは。アメリカに戻りたいと願っていたら。もし戻るとしても、日本の良さを知っておいてほしかった。日本での思い出が喧嘩ばかりの毎日となるのは嫌だ。すずめは日本が大好きで、高篠にも好きになってもらいたい。

 翌日の日曜日も散歩に出かけた。公園に行ってみたが、高篠の姿はいつまで待っていても現れる気配はなく、公園を後にした。歩いていると前から男が走ってきて、すずめの横を通り過ぎて行った。まるで逃げるみたいだ。

「わあっ。な、何よ」

 ぎくりとして冷や汗が流れる。嫌な予感がしたが、見事にそれは当たった。次にやって来たのは高篠だった。つい先ほど喧嘩をしていたというかのように、服がところどころ汚れている。逃げて行った男とやり合っていたのか。

「鳥女?」

「まーた喧嘩してたのね。怪我もしてるんじゃないの?」

 高篠に近付く。やはり頬に傷が付いていた。消毒液や絆創膏は持っていない。

「薬局で買い物してくるから。ここで待ってて」

「うるせえな。こんなの痛くもかゆくもねえよ」

「痛くもかゆくもなくても、ちゃんと手当てしなきゃ。すぐに買って戻ってくるから」

 くるりと振り向いたが、高篠に手を掴まれた。

「放してよ」

「いいっつってんだよ。それよりこっちに来い」

「え? 何で?」

 聞いたが高篠は黙ってすずめをどこかに連れて行く。わけがわからず、すずめもそのまま歩いた。しばらくして小さな公園に辿り着いた。ベンチに座り、ようやく高篠は手を放した。

「ここ……どこ?」

「俺も知らねえよ」

「知らないって。何しに来たのっ?」

 大きな声を出すと、高篠に口を覆われた。さらに耳元で囁かれる。

「でかい声出すと痛い目に遭うぞ」

「痛い目?」

「ここら辺は、頭のおかしい奴らがうろうろしてるんだ。女が一人で歩いてたら、絶対に狙われるぞ」

「……え……」

「俺のそばから離れるなよ。お前には魅力なんかねえけど、一応女だし」

 薬局に行かせなかったのは、もしかしてすずめが襲われないようにするためだったのか。どきどきと鼓動が速くなる。

「あたしのこと、護ってくれたの?」

「そういうわけじゃねえよ。俺は正義のヒーローじゃないからな」

 相変わらず性格は悪い。だが、ほんの少し気遣いっぽい態度もとれるのかと意外な一面を知った。

「ふうん……。でも、とりあえず高篠くんのそばにいさせてもらう。襲われたくないもんね」

 はあ、と息を吐く。そして、無意識に言葉が漏れた。

「アメリカに戻ったりしないでね」

「は? アメリカ?」

「せっかく難関校に転入したんだしさ。卒業しないでアメリカに戻ったらもったいないよ」

「不登校なんだから、卒業なんてどうでもいいだろ」

「だから、また学校に通いなよってこと。確かにみんなは高篠くんを怖がってるけど、となりに誰も座ってないのって寂しいんだよ」

 高篠が来なくなって、すずめの横は無人なのだ。クラスメイトは「高篠」と名前すら忘れているようだが、すずめは忘れられない。いつかまた高篠が座るのを待っている。

「もちろん、事情もあるだろうし必ず来いってわけじゃないよ。でも」

「お前は、俺が怖くねえのか?」

 質問されて驚いた。高篠の方から聞いてくると予想していなかった。

「怖い?」

「クラスメイトは怖がって、できれば会いたくないんだろ? それなのにお前は寂しいとか言ってるし」

「全然、怖くないよ」

 即答すると、次は高篠が驚く表情をした。

「どうして」

「同い年の男の子が、何で怖いの? 名前を呼んだら殴られるとか、アメリカで暴走族のリーダーしてたとか、全部出まかせでしょ。実際に、あたしが害虫男って怒鳴っても、暴力振るったり追いかけて来なかったじゃない」

 無表情で口が悪くて偉そうな態度をとって、どうしようもない「俺様」だが、だからと言って一人にさせてはいけないだろう。友人にはとてもなれそうにないが、クラスメイトと同じく距離を置くのは嫌だ。放っておけない。

「変な女。やっぱり鳥って馬鹿だな」

「どうも、すみませんね」

 カチンときたが、鳥女というあだ名も慣れてしまった。ふう、ともう一度息を吐き、青く広い空を高篠と共に眺めた。





「……そういえば、柚希くんに言われたんだけど……」

 ふとある出来事が胸に浮かんだ。はっとして高篠もこちらを向く。

「男の子の気持ちがわからないのって、ロマンチックなのかな? わからなければわからないほどロマンチックって柚希くんが教えてくれたんだ」

「ロマンチック? よく意味がわかんねえな」

「そうなの。どうしてロマンチックなのか、あたしも全然わかってないの。家の方向が同じだから高篠くんにばったり会っちゃうんだって聞いて、柚希くんはロマンチックって感じたみたいなんだけど……」

 突然、高篠の表情が明らかに変わった。嘘がバレた時のような戸惑いと焦りが浮かんでいる。驚いて、すずめも目を丸くした。

「高篠くん? 具合悪いの?」

「違えよ。いつも必ず声かけてきて、おかしいって気づかないのか」

「おかしい?」

 まだ理解できずに首を傾げると、高篠は走って行ってしまった。

「……いつも必ず声かけてきて……?」

 呟きながら、確かにエミと別れた後高篠が現れていたのを思い出した。しかし、それのどこがおかしいのだろう。

「うーん……。やっぱり男の子の気持ちってわからないや……」

 結局、疑問の答えには辿り着かなかった。柚希も高篠もはっきり言ってくれれば、悩むことなどないのに。

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ちゅんちゅんラブストーリー さくらとろん @sakuratoron

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