十三話
翌日も、担任から頼まれごとをされないかなと待っていた。もし頼まれても柚希に会えるかどうかは決まっていないが、昨日みたいに王子様と帰り道を歩きたいと、うっとりしていた。残念ながら、その日は特に雑用はなく、エミと歩く普通の帰り方だった。
「柚希くんとラブラブしたいのになあ……」
がっくりと項垂れると、すぐ真上から低い声が聞こえた。
「ずいぶんと自分のいいように考えてるな」
さっと振り向くと、スラリとした体形で整った顔の男子が、腕を組んで立っていた。黒のパーカーにグレーのジーンズを穿いている。
「どうしてここにいるのよ」
「買い物から帰る途中で、馬鹿みたいに妄想してる鳥女を見つけたんだよ」
「うるさいなあ。妄想しても誰にも迷惑はかからないんだからいいでしょ」
「まあ、迷惑はかからないだろうな」
「迷惑なのは、あんたの方。あたしの邪魔しないで」
嫌味を言っていたが、ふとあることに気づいた。高篠の頬に手を伸ばし、じっと見つめる。
「そういえば、傷は治ったの?」
絆創膏を貼っていなかったため治ったのはわかったが、一応本人にも聞いた。高篠はツリ目っぽい瞳を大きくして答えた。
「ほっとけば勝手に治るのに、余計なお節介女がいてな」
「お節介女って何よ。手当てしなかったらバイ菌で病気になってたかもしれないのに」
むっとして睨むと、高篠は視線を逸らした。
「あいつも可哀想な男だ。こんな馬鹿な鳥女に好かれちまって」
「あいつって……。柚希くん?」
「そうだ。あいつは友だちなんて考えてねえのに、こっちはすっかり勘違いしてる。恋人になれるとかアホな想像してるし」
「恋人になれるとは考えてないよ。さっきも言ったけど、迷惑かけないならいくらでも妄想したって構わないでしょ」
「あまりにもドが過ぎると迷惑になるけどな」
高篠は手に持っていた買い物袋の中からペットボトルを取り出し、一口飲んでまた袋に戻した。本当、こいつは柚希と正反対だ。にこりともしないし、こうしていちいち突っかかってくる。一体何の恨みがあると言うのか。しかも、すずめは怪我の手当てをしてあげたり、むしろ感謝されるべきなのだ。
「もういい。あたし、帰る」
ふん、と振り返り歩くと、高篠もついて来た。いらっとして怒鳴る。
「ついて来ないでよ」
「俺の家もこっちなんだよ」
そういえば、高篠と家の方向が同じだった。諦めて、また足を動かす。もしこれが柚希だったら。毎日二人で登下校し、たとえクラスが違っていても楽しい生活を送れたのに。
「学校で、あんたを覚えてるのって、あたししかいないよ」
ふと呟く。後ろにいた高篠が横に移動した。
「それが?」
「いいの? 忘れられちゃって。寂しくないの?」
ちらりとこちらを見る視線が伝わった。間をおいて高篠は答えた。
「寂しくねえよ。あんな奴らと一緒にいる方が嫌だね」
「高篠くんは、友だちと仲良くしたくないの?」
「友だちなんかいらねえよ。そんなもんなくても、生きていけるだろ」
歪んでいる……。なぜ、そんな悲しいことを言うのか。すずめには理解できなかった。
「友だちがいないのって、すごく辛いよ」
「どこが。馬鹿でアホな人間と付き合ってたら、こっちまで馬鹿でアホになりそうだろ」
心がえぐられるようなイメージがした。これ以上すずめが話しても、高篠は考えを変えない。生まれつきの性格は、ずっと死ぬまでそのままだ。高篠もその後は黙りこくり、曲がり角で別れた。
翌日は、昼休みに柚希に会えた。弁当を食べていると、柚希が肩を叩いてきた。
「うわわっ。ゆ、柚希くんっ」
「びっくりさせちゃった? ごめんね。俺も弁当食べていいかな?」
「う……うん……。どうぞ」
緊張で箸が震えてしまう。幸せでいっぱいで、宙を飛んでいるようだ。
「おいしそうだね。特に鶏のから揚げ」
「食べる?」
「本当? じゃあいただこうかな」
はい、と弁当を差し出すと、柚希は口に放り込んだ。
「うまいね。味が染みてる」
「でしょ? あたしも、お母さんのから揚げ大好きなんだ。必ずお弁当に入れてもらってるの」
「へえ……。俺も作ってもらいたいなあ」
柔らかな笑みに、胸がじんじんと暖かくなった。から揚げよりも大好きなものがある。柚希くん……。
「せっかくだから、俺の弁当も食べて」
「えっ? で、でも」
「俺だけもらってちゃだめだろ。この玉子焼きは?」
「あっ、玉子焼き、あたし好き。いただきます」
「うん。どうぞ」
そして柚希の玉子焼きを食べる。甘い味が口いっぱいに広がる。
「わあっ。おいしーい」
「ありがとう。母さんに伝えておくよ」
「柚希くんのお母さんって、料理上手なんだね」
「昔は、料理教室やってたらしいよ」
「すごーい。先生だったんだ」
「それなのに、娘の桃花はてんで下手でさ。血、受け継いでるはずなんだけどな」
「これから上達していくよ。まだ中一なんだし」
すずめも自然に微笑む。王子様との楽しいひととき。素晴らしく幸せな時間。
「高篠くんにも、から揚げ食べさせてあげたいね」
「えっ?」
予想していなかった名前に、どきりと心臓が跳ねた。
「高篠くん。もしかして日菜咲さん、すでに高篠くんのこと」
「忘れてないよ。昨日だってしゃべったし」
「しゃべった? どこで?」
「家の方向が同じなの。そのせいで、ばったり会っちゃうんだよねえ」
ふう……と俯くと、柚希はきょとんとしてから、すずめの頭を軽く撫でた。どきんと胸の奥から鼓動の音が響く。
「ゆっ……。柚希くんっ」
「日菜咲さんは女の子だから、男の気持ちはわからないよね」
「どういう意味?」
意味深な言葉に首を傾げると、柚希は目をつぶって笑った。
「いや。わからないなら、わからないままでいた方がいい。そっちの方がロマンチックだ」
「ロマンチック?」
「どうしても知りたいなら、高篠くんに直接聞いてみて。もしかしたら俺の想像と間違えてるかもしれない。……じゃあ、俺はもう行くね」
すずめの返事を待たず、柚希は歩いて行ってしまった。
「……わからないとロマンチック……?」
まだ鼓動が速い。一体どういうことなのか、すずめには理解できなかった。女だから。ということは、男になら簡単にわかるのだろうか。柚希の謎の言葉は、ずっと心に引っかかっていた。
放課後、いつも通りエミと別れると、真っ直ぐ家に向かった。少しおしゃべりが長すぎて、小走りで進む。急に柚希の顔が浮かんだ。頭に触れられて、痛いくらいに胸が高鳴った。弁当のおかずを交換したり、二人で昼休みを過ごしたり、すっかり仲良しの友だちじゃないか。足を止め、にんまりと笑ってしまう。
「薄気味悪いぞ。鳥女」
すぐ後ろから声がした。振り向かなくても誰なのかわかった。
「あたしを鳥女って呼ぶのやめてよ」
「すずめは鳥だろ。それとも違うって言うのか」
「確かに鳥だけど……」
高篠は腕を組み、しっかりとした口調で続けた。
「勘違いしてるようだから言っておくけど、あいつはお前に興味なんか一つもねえぞ」
「あいつって、柚希くん?」
「そうだ。お前は魅力もないしな。ただの鳥女だし」
「どうしてあんたが決めつけるのよ? いい? 柚希くんは心優しくてイケメンで王子様なの。どっかの誰かと正反対で」
「ずいぶんと偉そうな態度とるな」
「偉そうなのはそっちでしょ。そのひん曲がった性格、治さないとこれからの人生で苦労するんじゃないの?」
横を向いて言い切った。高篠は黙りこくり、二人はその場に立ち尽くした。
「……高篠くんに関わってると、ろくな目に遭わない。じゃあね。ひねくれ王子」
ひらひらと手を振り、すずめは歩き始めた。すると、その手を高篠が掴んだ。
「ちょっと。放してよ」
「お前もだいぶ、ひん曲がった性格だな。娘がこんな暴言吐いてたら、両親も悲しいだろうな」
「うるさい。お父さんとお母さんはどうだっていいでしょ」
きっと睨み付ける。月明りに照らされた高篠がぼんやりと見えた。転入初日にファンクラブができただけのことはあり、高篠は男らしく少し品のあるイメージがした。黙ってればかっこいいという感じだ。こうしてそばで見ると、ツリ目っぽい瞳が余計綺麗に映る。長身で細い足や腕も美しい。と言っても、すずめは柚希から高篠に乗り換える気はさらさらなかった。子犬のように可愛らしい瞳や、穏やかな口調。柔らかい微笑み。こんな無表情で口が悪い奴より、ずっとずっと柚希が素敵だ。
「あたし、もう帰る」
短く話し、高篠を置いてさっさと家に向かった。
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