十一話

 翌日も、さらに翌日も、柚希と会えるチャンスはなくそのまま土曜日になった。エミに電話をかけると「予定があるの」と申し訳なさそうに誘いを断られた。携帯を閉じ、ベッドに寝っ転がる。

「つまんなーい。エミと遊びたかったのにー」

 しかしエミにはエミの時間がある。わがままを言ってはいけない。行く当てはないがゆるゆると散歩をした。ちょっとでも気分を盛り上げようと、お気に入りの服を着て帽子もかぶり、一番値段の高いバッグを持ってドアを開いた。どこかでばったりと柚希に会えたりしないか。期待を胸に前だけ進む。やがておしゃれな店に入り、買うつもりではないが商品をいろいろと手に取ってみた。柚希にプレゼントされたら感動するだろうな。一度でいいから、柚希にプレゼントを渡されてみたいな。叶わぬ望みが儚く頭の中に流れていく。結局何も買わずに店を後にし、公園に辿り着いた。ベンチに座りぼんやりと周りを眺める。小学生くらいの子供たちが楽しそうにスポーツをしていた。無邪気な表情に、ふっと笑みがこぼれる。

「……子供っていいな。好きな人もいないだろうし、勉強も難しくないし」

 好きなことを好きなだけしていられる。着る服も適当だし汚れてたって平気。大人になるとメイクしたり他人の目を気にしたり誰かと比較してばかり。可愛くなりたいという思いも生まれ、憧れの人ができれば悩みが尽きない。ずっと公園にいてもよかったが、ふう、と息を吐いて立ち上がった。

 しばらく歩いていると、バキッと鈍い音がした。人を殴る音みたいだ。はっとして音のした方に視線を移動する。そばにあった空き地から音がしていた。陰から覗くと、広い空き地には四人の男がいた。立っている男が一人、倒れている男が二人、座っている男が一人。座っている男は立っている男に襟を掴まれて後ずさっている。

「わ、悪い……。俺、ちょっと用事があるんだよ」

「用事? 言ってみろ」

「詳しくは教えられないんだけど……。な。だから放してくれよ」

 へへへっと苦笑をする男。立っているのは明らかに高篠だった。

「へえ……。でもその前に殴られていけよ」

「いやっ。あ、金っ。金やろうか? ほしい金額言ってくれれば」

 高篠は容赦なく男を殴り飛ばした。ぐああっと声を上げ、座っていた男も倒れている男の仲間入りになった。

「……嘘でしょ……。高篠くんが一人で三人の男を倒すなんて……」

 ぎくりとして冷や汗が流れる。ここまで喧嘩が強いとは衝撃だった。アメリカで暴走族のリーダーをしていたのは、もしかしたら事実なのでは。すずめの視線に気付いたのか、高篠はこちらに振り向いた。ツリ目の瞳を大きくする。

「何してるんだ。お前」

「殴ってる音がして……。この人たち、高篠くんがやっつけたの?」

「そうだけど?」

「そうだけどって……。よく一人で倒せたね……」

 自分より体が大きい男を軽々と倒してしまう高篠が怖くなる。緊張しながら次の言葉を探すと、顔に怪我があるのが見えた。

「怪我してるっ。手当てしなきゃ」

 慌てて高篠の腕を掴む。しかし消毒液などは持っていない。高篠はぶっきらぼうに答えた。

「だから、ほっとけば」

「だめだよ。あたし、薬局に行って買って来るから。高篠くん、ここで待ってて」

「いらねえよ。勝手に治る」

「治んないよ。帰らないで、きちんと待っててよ。急いで帰ってくるから」

 とりあえず、それだけ言い残して薬局へ走った。

 適当に買い物を済ませると、また走って高篠の元に走った。もしかしたら帰ってしまったかもしれない。性悪だし、すずめを馬鹿にしているし、待っていないかもしれない。けれど、あの男の手当てはすずめがやらないと誰もやらない。

「待っててよ。高篠くんっ」

 願いながら空き地に辿り着くと、高篠は地面にしゃがみ込んでいた。

「遅くなってごめんっ。買ってきたよっ」

 すずめが大声で言うと、高篠もゆっくりと顔を上げた。

 手当てを始めた。消毒液でぽんぽんと傷ついた部分を綺麗にしていく。

「よかった。待っててくれたんだ」

「待ってなかったら、次はどんな酷い名前で呼ばれるか」

 害虫男と怒鳴ったあの日が蘇る。むっとしながら、すずめも言い返した。

「始めに暴言吐いたのはそっちでしょ。ほら、じっとして。動かないでよ」

 しみたのか、高篠は顔を歪めた。

「痛えな。もっと優しくしろよ」

「喧嘩する方が悪いの。優しくされたいなら、高篠くんも優しい態度とりなよ」

「うるせえな。鳥のくせに」

「はい。終わり」

 ベチッと絆創膏を貼ると、高篠は舌打ちをした。

「せっかく手当てしてもらうなら、もっと普通の人がよかった」

「鳥女って言ってるけど、あたしは普通の人です。名前がすずめだからって、鳥女って呼ぶのやめてよ」

 ふん、と息を吐き、すずめは立ち上がった。

「さて。手当ても済んだし、そろそろ」

 歩き出すと、高篠がすずめの手を掴んだ。驚いて目を丸くした。

「えっ?」

 高篠は何か言いたげな顔をして、すずめを見つめてきた。しかし、すぐに俯いて呟いた。

「……別に」

 手を放し、高篠も歩き始める。どきどきして、その場に立ち尽くした。

「別にって……。意味ないなら、いきなり掴んでこないでよ」

 深呼吸しながら鼓動を落ち着かせた。しかしなかなか鼓動は収まらなかった。





「それにしても」

 部屋に入り、ベッドの上に薬局のビニール袋を放り投げた。そして自分も横になる。

「手当てしてもらっておいて、ありがとうの一言も言わないなんて。失礼すぎるんじゃないの」

 わざわざ買いにまで行って、しっかりと手当てをしてあげたのに、痛いとかうるせえとか感謝の意は一つもなかった。おまけに鳥女じゃなく普通の人がよかったなど、あまりにもわがまま過ぎる。もし柚希だったら、にっこりと優しく微笑んでくれる。

「まあ、血も涙もない奴なのは、すでに知ってるけど」

 諦めてため息を吐く。高篠は性悪男で、他人と付き合うつもりは一切ない。特に、すずめのように蝶よ花よと育ってきた人が大嫌いだと怒鳴っていた。彼の過去の出来事からそうなったのかは、すずめは想像すらできない。もし聞いても絶対に無視するだろうし、不機嫌になるはずだ。

「……男の子って、どんな風に考えてるのかな……」

 呟いて、クッションに顔をうずめた。男の子の気持ち。いきなり怒ったり睨んだり、逆に喜んだり嬉しくなったり。理解できない。女だからわからなくて当たり前だが、それでも高篠の心の声を聞いてみたかった。

 翌日はエミと遊んだ。気兼ねなくおしゃべりしたり街を歩いたり、楽しいひとときが過ぎていく。

「相変わらず、柚希はモテモテだねえ」

 アイスを食べながらエミが言った。すぐにすずめも返す。

「そりゃあ、あれだけかっこよくてお金持ちで性格よければ、モテないわけないでしょ」

 中学一年生の夏祭り。柚希という王子様に出会った。そして産まれて初めて恋に落ちた。お気に入りの浴衣で、「まだかな」とエミを待っていたら、本当に偶然、柚希が現れたのだ。そしてその日から、ずっとずっと柚希だけを見ている。他の男子など、どうでもいい。

「柚希くん……」

「すずめ。アイス溶けるよ」

 ぼんやりと昔を思い出していると、エミに注意された。我に返って、慌ててアイスを食べた。

 それからしばらく店に入ったり喫茶店でお茶を飲んだりしていると六時になった。エミと別れ、走って家に帰った。

「すずめ。怪我でもしたの?」

 夕食を食べながら、知世が質問してきた。

「怪我?」

「すずめの部屋の掃除をしたら、薬局の袋が置いてあって」

 はっとして、すぐに言い訳をした。

「学校で、体育の時間に転んじゃったの。でも、かすり傷だったから」

「それならいいけど。あんまり無理しないでよ。すずめが傷つくなんて、お母さんもお父さんも嫌なんだからね」

「ありがとう。大丈夫だよ。心配しないで」

 短く言い切ると、知世は納得したのか小さく頷いた。

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