九話

 次の週もその次の週も、土日は高篠を探して見つけると図書館に連れて行った。独学でと言っていたが、高篠は一切勉強する気はなく、イヤホンで音楽を聴くかぼんやりとどこかを眺めているかのどちらかだ。いちいち口を出しても意味はないと、すずめも黙っていた。どうせ返事はないし、不機嫌にさせるだけだ。

「最近、すずめって一人でテスト勉強してるの?」

 エミに質問されて驚いた。いつもならエミの家でテスト勉強をするのに、図書館でやっている。

「う、うん。やっぱり頼ってばかりはよくないし」

「もし一人で大変だったら、遠慮しないでうちに来なよ」

「わかってる。ありがとう」

 しかし頭の中では「高篠と図書館で勉強」と常に浮かんでいた。心配していた英語のテストも乗り越え、数日後に返された答案用紙は奇跡的にも七十点だった。とても喜べないが、すずめは五十点がやっとだったため、まるで一〇〇点をとった気分だった。土曜日に高篠に七十点のテストを見せた。

「ねえ、あたし七十点とれたよ」

 すずめと答案用紙を交互に見て、高篠は呟いた。

「七十点で喜んでんのかよ」

「でも、あたしは英語が苦手で、最高で五十点しかとれなかったの。まさか七十点とれるなんて。これも高篠くんのおかげだよ」

「俺のおかげ?」

 こくりと頷いて、すずめは微笑んだ。

「高篠くんが、テスト勉強に付き合ってくれたから。あたし一人ではこの点はとれなかったよ。ありがとう」

 えへへ、と頭をかくと、高篠は腕を組んで言った。

「付き合ったわけじゃねえけど」

「ずっとそばにいてくれたじゃん。それだけでも充分付き合ったって意味なのよ。これからもテスト勉強の時は一緒に図書館に来てくれない?」

 だめもとでお願いしてみる。すると、いいとも嫌とも言わずに高篠は立ち上がった。そして図書館の玄関に向かって歩いて行く。

「高篠くん、待ってよ」

 テスト用紙をバッグにしまい、急いですずめも後を追った。外に出ると高篠は裏庭に立ち尽くしていた。首を傾げてすずめは聞く。

「どうしたの? いきなり」

「帰るんだよ」

「帰る? まだ一時間もいないのに。そうだ。学校で面白い出来事があってね。本当にウケるから高篠くんにも教えたくって」

 すると高篠は鋭い目つきで睨んできた。

「うるせえよ」

「えっ?」

 腕を組んで、高篠は抑揚のない口調で話した。

「お前、俺と仲良くなったとか思ってんの? 友人になったとか勘違いしてんのか? はっきり言って迷惑なんだけど。馴れ馴れしいんだよ。鳥女のくせに」

「え……。友だち……じゃないの……?」

「ほんっと女ってしつけえな。こっちは嫌だって気持ちも知らず、へらへら笑っててどんだけアホなんだか。まあ、お前は鳥女だし仕方ねえのかもな」

「ア、アホ?」

 だらだらと冷や汗が流れる。高篠に手を伸ばすと、その手を強くはたかれた。

「触るな。お前の馬鹿とアホがうつったらどうするんだ」

 全身が震えた。まさか仲良くなったと感じていたのはこちらだけで、高篠は全く変わっていなかったのか。

「ひ……酷い……」

「酷いのはどっちだ。完全に自分のペースで図書館に連れて行って、勝手に友人だと決めつけて、俺のおかげとかわけわかんねえこと言って一人で喜んで。まじでアホ丸出しだ。よくそんな状態で街の中歩けるな。俺だったら恥ずかしくて死にたくなるけど」

 怒りが炎のように足の下から湧き、さらにわなわなと体が震える。

「うる……さい……」

「は? 何か言ったか?」

「うるさい……。うるさい。うるさいっ。うるっさいっ」

 そして勢いよく顔を上げ、大声で怒鳴り散らした。

「うるっさいっ。そうやって人の優しさにも気づかない、あんたの方が馬鹿でアホだわっ。二度と学校にくんなっ。一人で寂しく死ねっ。害虫男っ」

 まくしたてると、くるりと振り向いてその場から立ち去った。しばらく走って足を止めると、はあはあと荒い息を整えた。産まれて初めて人に怒鳴った。自分があそこまで大声を出せるとは驚きだ。しかしあれほど暴言を吐かれて黙ってなどいられない。へなへなと座り込み地面を見ると濡れていた。雨でも降ったのかと思ったがそうではない。

「どうして……」

 不思議になり目をこすると、瞼に涙が溢れているのに気付いた。怒りで爆発しそうなのに、なぜ涙が流れたのか。

「……本当、最悪。最低。害虫と一緒だ。いや、害虫以下かも。害虫はみんな死ねばいいんだ。一人で悲しく死んで、もっと人に優しくすれば死ななかったんだって後悔すればいい……」

 もっと言ってやればよかったと呟いていると、後ろから肩を触れられた。はっとしてもう一度怒鳴る。

「触んないでよっ。あんたの菌がうつったらどうしてくれるのよっ」

「あっ。ご、ごめんね」

 慌てて謝った人物に、目が点になった。そして勢いよく後ずさる。

「ゆゆっゆっゆっゆずゆっずっきっ」

 憧れで片想いの柚希が立っていた。緊張してうまく言葉が話せない。

「あれ? 俺の名前知ってるの?」

「し……知ってるも何も……。あんなに女の子にモテモテなんだから……」

「そんなにモテないけどな? でも嬉しいよ。ありがとう」

 穏やかに笑う柚希に、頬がぽんっと火照った。

「ゆ……じゃなくて、真壁くん。どうしてここに?」

「女の子の叫び声が聞こえてね。死ねっ。害虫男って。君だよね?」

「そ……そう……だけど……。聞こえてたの?」

「そりゃあ、あれだけ大声だったら。しかも害虫男なんてびっくり」

 恥ずかしくて、違う意味で顔が赤くなった。こんな目に遭うのも全てはあの男のせい……。

「害虫男って誰?」

 質問され、どきりと心臓が跳ねた。

「えっと……。た、高篠くん」

「ああ、アメリカからの転入生」

「知ってるの?」

「もちろん。不登校で、毎日喧嘩ばかりしてるんだろ? アメリカでは暴走族のリーダーだったらしいし」

「そ、それは出まかせ。さすがにそこまで悪いことはしてないよ」

 瞬きを繰り返して、ふっと安心したように柚希は微笑んだ。

「やっぱり。俺もきっと嘘だって考えてたよ。あんまりそういう外見ではないし」

 やはりこの柚希スマイルは最高だと改めて思った。胸がキュンキュンする。

「あの、ゆ……真壁」

「柚希でいいよ。代わりに、君の名前を教えてくれない?」

「あたしの名前?」

「だめかな? せっかくなら教えてほしいな」

 どきどきしながら、震える声で答えた。

「日菜咲すずめ」

「すずめ? へえ……。和風で素敵な名前だね」

 ぼぼぼっと全身が沸騰する。柚希に素敵と褒められるとは奇跡だ。

「だけど、人間の子供にすずめなんて普通付けないよね。あたしの親ってネーミングセンスないなあ」

 すると柚希は首を横に振った。少し真顔な表情だった。

「名前を付けてくれたお父さんとお母さんが可哀想じゃないか。そんな風に考えたらいけないよ。それにすずめって可愛くて俺は好きだけど」

「えええっ? 好き?」

 衝撃を受けたが、自分が好きなのではなく鳥のすずめが好きなのだと思い直した。

「日菜咲さんは、すずめ嫌い?」

「めちゃくちゃ大好き」

「だろ? だったら、自分の名前も大好きになろうよ。お父さんとお母さんがくれた大切な宝物なんだから」

 名前は宝物……。柚希はとてもロマンチックな性格だと初めて知った。

「う、うん……」

「ね。俺も柚希って名前大事にしてるよ」

 アイスクリームのように、体が溶けていきそうだった。いつもはずっと遠くにいる柚希が、すぐ目の前にいる。絶対に会話など夢のまた夢だったし、まるで独り占めみたいにおしゃべりできたのが素晴らしい。

「じゃあ、俺はもう行くね」

「ど、どうもありがとう」

 柚希は立ち上がり、手を振りながら歩いて行った。姿が消えてもどくんどくんと鼓動が速い。

「まさか……。柚希くんに名前覚えてもらえるなんて……」

 うわあああっと興奮し、ぴょんぴょんと跳ねた。すっかり害虫男は忘れ、王子様の笑顔だけが記憶に刻み込まれた。

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