八話

 わかった、と約束をしたものの、すずめの頭から高篠が離れることは一度もなかった。喧嘩ばかりしていて、今どこでどんな相手と戦っているのか心配になって仕方ない。怪我していないか。傷ついていないか。考え始めたらきりがなかった。クラスメイトからは、朝から晩までヤクザと殴り合っていると聞き、その度すずめは冷や汗が流れて緊張した。彼の性格ならあり得るからだ。落ち込んでいるとエミが声をかけてきた。

「どうしたの? 悩み?」

「悩みっていうか……」

 高篠とは関わらないと宣言したので、この気持ちを聞かせることはできなかった。エミの心配そうな顔を見たくない。

「今度、英語のテストがあるから」

「そういえば。あたしとテスト勉強しよう」

 優しい親友の言葉に、すずめも元気を取り戻した。

 ついに高篠は学校に来なくなった。彼が不登校になって、学校内は安心した。

「あんな野蛮な奴と付き合いたくない」

「目を合わせたらぶん殴られる」

「二度とあいつを学校に入れるな」

 生徒だけではなく教師まで高篠を悪く言っていた。

「高篠くん……は、今日も休みね」

 呟き、ふっと教師が笑ったのを、すずめはしっかりと見た。

「酷い。みんな、高篠くんを悪者扱いするなんて」

 怒りに似た感情が胸の中にぐるぐると渦巻いた。あんなに高篠に気に入られようとした中原も、現在は「柚希くんってかっこいいよねえ」と話している。すずめも柚希に憧れて片想いしているが、やはり高篠を忘れることはできなかった。

 高篠の不登校が始まって二週間が過ぎたある休日に事件が起きた。行く当てもなくぶらぶらと散歩していると、そばの空き地で男の声が聞こえた。挑発している恐ろしい声。

「よう。この前は、ずいぶんとやってくれたな」

 ぎくりとして、走って逃げようとした。しかしなぜか体は空き地の方に向かって動いていく。そっと陰から覗くと、太った大男とスリムな男子が睨み合って立っていた。

「た……た……」

 名前を呼びたかったが言葉にならなかった。高篠はぼんやりと相手を眺め、呆れたように呟いた。

「今日もわざわざ殴られに来たのかよ」

「いいや。殴られんのはてめえの方だっ」

 怒鳴り散らし、大男は拳を上げた。そしてそのまま高篠に振り下ろす。「うわあっ」と思わずすずめは目をつぶった。だが、恐る恐る高篠の方に視線を移動すると、倒れていたのは大男だった。

「てめえっ」

「動きが遅えんだよ。そんなブタみたいな体してっから」

「ブタだと?」

 よろよろと大男が立ち上がろうとしたが、高篠は大男の手のひらを踏みつけた。

「くっ……。放せよ」

「俺はブタに付き合ってる暇はねえんだ。さっさと消えろ」

 そして、その足で顎を蹴り飛ばし、鈍い呻き声を漏らして大男は地面に突っ伏した。

「……あ、あんな風に喧嘩してるんだ……」

 呟くと、高篠がこちらに振り返った。慌ててすずめは全力疾走でその場から立ち去った。

 家に帰ってからも、高篠の姿は頭にありありと焼き付いていた。怪我や傷はなかったようだが、気分はよくないだろう。大男を平気で倒す高篠が怖くなった。動揺もせず、たった一人で立ち向かう。普通の男子では到底できなさそうだ。

「喧嘩ばっかりしてて、高篠くんは楽しいのかな……」

 人を殴り飛ばし怒鳴り散らすなんて、すずめには考えられない。高篠だって本当はやりたくないはずだ。ベッドの上に置いてあったすずめの絵がプリントされたクッションに話しかけた。

「あたし、高篠くんを助けてあげたい。高篠くんを救えないかな?」

 クッションから答えはない。ぎゅっと抱き締めてベッドに横たわる。

「あたし、高篠くんを元の生活に戻してあげたいの。いつも喧嘩ばっかりしてたら悲しいもんね。高篠くんも、また学校に通いたいって思ってるよ。うん、そうだ。きっとそう。不登校なんてやめて、みんなと仲良くしたいって願ってるに決まってる」

 学校で大声を出してしまったが、クラスに馴染めなかったから、つい叫んでしまっただけだ。きっと、みんなと仲良くなれる。高篠は、見た目は怖くてとっつきにくそうだけれど、もしかしたら心優しい人かもしれない。人は見かけによらないと言うし鳥女と呼ばれた恨みはあるが、女の子と話すのが苦手なのかもしれない。とはいえ、学校に来ないから高篠に近づけるのは土日しかない。どこに住んでいるかわからないし、喧嘩をしていたら声もかけられない。時間はかかってもいいからと、すずめは毎日高篠を探し回った。それでもだんだんと疲れが増してきて、諦めようかという思いが生まれ始めてきた。諦めたくないが、会えるチャンスがなければ、そう考えても仕方ない。はあ、とため息を吐いてコンビニに入ると、雑誌を立ち読みしている高篠がいた。その日もあちこち探していたのに、まさかすぐそばにいたとは。ツリ目っぽい瞳で、いろいろと雑誌を読んでいる。

「た……たか……」

 言葉にならず、すずめは震えながら高篠に近付いた。彼の方はすずめには気にしていなかったが、雑誌を棚に戻し横を向いて目を丸くした。

「鳥女」

 もしかしたら覚えていないかもと不安だったが、忘れていなかったと嬉しかった。ガシッと高篠の腕を掴み、無理矢理コンビニから出る。人気のない場所に移動すると、さっそく質問した。

「高篠くん、こんなところにいたの?」

「こんなところって、ただのコンビニじゃねえか」

「いや、高篠くんってコンビニには絶対に入らないイメージだったから。あと、どうして学校に来ないの?」

 話を本題に変える。じっと高篠の手を掴み、真剣な眼差しを向ける。高篠は間を空けてから答えた。

「俺がいると怖がるだろ」

「怖がらないよ。というか、何で中原さんに怒鳴ったの? 頭に来たの?」

 ただ話しかけられただけであんな態度をとるのは信じられなかった。別に不快になりそうなことはしていない。視線を逸らし、ぶっきらぼうな口調で呟く。

「しつけえからだよ。音楽聴いてる時に話しかけられたらイラつくだろ」

「中原さんは、高篠くんが音楽聴いてるって知らなかったんじゃない? それに、高篠くんも音楽聴いてるから後にしてくれって言えば、中原さんもしつこくしなかったはずだよ。もっと考えて行動しなよ。高校生なんだから」

 高篠が冷静に受け答えすれば丸く済んだ。あの日から高篠の印象が変わり、不登校や喧嘩が始まったのだ。腕を組んで、高篠も言い返す。

「それに俺は学校に通わなくても独学で勉強できる。図書館にでも行けば問題ねえし」

 胸が明るくなった。なるほど、そういうことだったのか。確かにアメリカで暮らしていた高篠にとって学校の英語はレベルが低すぎるだろう。勉強も一人でできそうだ。

「そうなの? じゃあ今から図書館に行こうよ」

 驚いた表情で高篠は答えた。

「今から?」

「あたしも、英語のテスト勉強しなきゃいけないの。ちょうどいいじゃん。今から図書館で頑張ろうよ」

 にっこりと笑いながら、また腕を掴んで無理矢理図書館に連れて行った。

 図書館に人は多くなく、高篠をじろじろと見る人はほぼいなかった。学校のようにとなりに座ると、すずめは英語の教科書を読み始めた。高篠はぼんやりとしているだけで、勉強するつもりはないようだ。

「何か持ってきたら?」

「読みたい本なんかねえから」

「探したら、興味のある本があるかもしれないよ?」

 囁くと、面倒くさそうに立ち上がって歩いて行った。その背中を眺め、ぐっとガッツポーズをする。

「よし。こうやって一緒に勉強すれば、きっと仲良しになれるよね」

 みんなが怖がるなら、すずめが怖くないのだと証明すればいい。学校に来なくても、暴走族のリーダーや女子供にも平気で殴るという噂は消えていく。

「ああっ。人助けって気持ちいいなあ……」

 うーんと背を伸ばし、ほっと息を吐いた。結局、高篠は何も持たずに戻ってきた。好みの本はなかったらしい。

「まあ、古い図書館だしね。高篠くんは、どんなことに興味があるの?」

 聞くと高篠は黙って俯いた。せっかくこちらは仲を深めようと努力しているのに、高篠は心を開いてくれない。六時半まで図書館にいて、どちらからともなく椅子から立ち上がった。外はすっかり夜になっている。

「うわあ。遅くなっちゃったね」

「さっさと帰るぞ。疲れた」

「疲れたって、高篠くんは勉強してないじゃん」

 背中を軽く叩くと、また黙ったまま俯いた。そして歩き出す。こういう時、返事をくれたらいいのに。そうだなとか、また勉強しようとか、穏やかな言葉がほしい。すずめは、ただ高篠の心の声を知りたいのだ。ずんずんと進んでいく高篠の後を慌てて追いかける。

「ちょっと待ってよー」

 女より男の方が歩くのは速いので、すずめは走らないと追いつけなかった。




 風呂からあがり、クッションに話しかける。

「高篠くんと、どうやら仲良くなれそうだよ。みんな勘違いしてるんだよね。本当は、高篠くんはいい人かもしれない。あたしの予想では、きっと照れ屋さんなんだと思う。照れて、うまく自分の言葉が伝えられないっていうか。あたしが高篠くんを救って、クラスに馴染めるように頑張ればいいんだよね」

 うんうんと頷き、嬉しくて胸が明るく輝いた。仲良くなれば、高篠も学校に通えるはずだ。





 

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