七話

 あれよあれよと日々は過ぎ、予定していた英語のテストがやって来た。エミと共に勉強をしたため、きっと五十点はとれているはず……。どきどきしながらも解答欄は全て埋めた。堅苦しい空気がほぐれると、クラスメイトたちは大きく息を吐いた。

「いきなりテストなんて、先生も意地悪だよなあ」

「けっこう難しかったし」

「あたし、最後の問題わからなかった」

「同じ。あれを解ける人はいないよ」

 そして、クラスメイト全員が高篠に注目した。彼がアメリカで産まれ育ったのは、みんな知っている。ということは高篠はすいすい解けただろう。テストの知らせを聞いても動揺しなかったし、きっと一〇〇点は余裕でとれる。高篠は、また涼しい顔で音楽鑑賞をしていた。視線を浴びても常にマイペースで、周りに変な目で見られていないかと気になってしまうすずめには羨ましかった。

「ねえ」

 以前、高篠に話しかけてきた中原という女子が近づいてきた。

「高篠くん、テストどうだった?」

 しかしイヤホンをはめている高篠には彼女の声は届かない。どくんどくんという中原の心臓の音が、すずめの耳の奥から響いた。

「アメリカで暮らしてたんでしょ? だったら英語、得意よね」

 じりじりと距離を縮める中原。それなのに高篠はこちらに目も向けず、音楽に集中している。

「ねえってば。返事してよお」

 甘ったるく、まるで恋人におねだりするように中原が高篠に抱き付こうとした。すると突然、高篠は立ち上がった。

「うるせえな。触るんじゃねえ」

「えっ?」

 ぎっと睨み付け、大声で怒鳴る。

「しつけえんだよ。音楽聴いてんのに邪魔すんな」

 中原は驚いて後ずさった。中原だけではなく他の生徒も石のように固まっている。

「高篠くん? どうして? あたしたち……友だちじゃない」

「いつ、お前と友人になったんだよ。どっか行けよ。ブス女」

 ピストルで撃たれたみたいに、中原は床に倒れた。震えながら涙を流す。

「あたし、ずっと友だちだって信じてたのに……」

 見かねた女子が中原のそばにやって来る。

「中原さん、大丈夫?」

「酷いよ、高篠くん。悪気なんか一つもないのに、怒鳴るなんて」

 睨みながら、高篠は腕を組んだ。

「泣けば許してくれるとか思ってんのか。これだから女って面倒くさい生き物だな。どこの国に行っても同じだ」

「そ、そんなつもりじゃ……」

 さらに中原の涙は溢れていく。弱々しく掠れた声だ。

「面倒くさいって……。失礼にもほどがあるっ。中原さんに謝ってよっ」

 勇気のある子が必死に言い返す。しかし高篠には痛くもかゆくもない。

「付き合ってらんねえな。もう帰る」

 鞄を手に、高篠は教室から出て行った。どうしよう……と、すずめは冷や汗が滝のように噴き出した。ただのイケメンではない事実がバレてしまった。慌てて教室から飛び出し、高篠の後を追った。

「高篠くんっ」

 呼び止めると、高篠は振り返った。

「何だよ」

「何だよじゃないよ。あんなことして……。みんなにバレちゃったじゃない」

「バレる?」

「そうだよ。性格が悪いって……」

 ふん、と高篠は横を向き、凍り付いた言葉を口にした。

「俺、別に隠してるつもりなかったんだけど」

「え?」

「バレたらまずいなんて一切考えてねえよ。お前が勝手に秘密にしようって頑張ってただけ」

 言われてみれば……。鳥女と呼ばれてきたが、クラスメイトが近くにいても平気で呼んでいた。もし隠すなら小声にするとか二人きりの時にするとか、いろいろ決めたはずだ。転入してから、ずっと無表情で友人を作る気配もなかった。すずめが努力して高篠と仲良くなろうとしただけで、高篠は一つも歩み寄ることはなかった。

「……どうして」

「どうして? 俺は、何の不自由もなくのうのうと暮らしてきた奴が大嫌いなんだよ。幼稚園みたいなこの学校だって嫌だ。うんざりする」

「大嫌い?」

「そうだ。馬鹿な奴の顔ほど不快なものはないからな」

「……そこまで言わなくても……」

「というわけで、俺は早退する。あーあ。こんな学校に転入するんじゃなかった」

 そして昇降口に向かって歩いて行った。取り残されたすずめは立ち尽くし、高篠の言葉を呟いた。

「大嫌い……。うんざり……。不快……」

 ぐるぐると胸の奥に飛び回る。間違っても他人に話す内容ではなかった。

 ゆっくりと教室に戻ると、みんながすずめを待っていた。空気が張り詰めて、男子も女子も黙りこくっている。

「た……高篠くんは……?」

 一番に聞いたのはエミだった。首を横に振って、すずめは即答した。

「帰ったよ。あたしたちと仲良くするつもりがないんだって」

「クラス……メイトなの……に……」

「あたしたちみたいに、何不自由なく暮らしてきた人が大嫌いなんだって」

「大嫌い?」

「顔見るのも嫌みたい」

 ざわざわと全員が衝撃を受けていた。ひそひそ声が広がっていく。

「嘘? まじかよ」

「高篠って、性格歪んでたんだ」

「かっこいい人じゃなくて、怖い人なんだね」

「ずっと騙されてたなんて」

 すずめも俯いた。こうなる時が来ないのを願っていたのに。そっと頭を上げると、エミが真顔で見つめていた。

「あたし、勘違いしてた……」

 元気のないエミの表情に、悲しみが溢れる。

「そっか。すずめが告白なんかできないって言ったのは、ああいう性格だったからなのね」

「うん。あんな酷い性格の彼氏なんか、付き合うの無理でしょ」

 答えると、エミは小さく頷いた。





 噂とは、瞬く間に広がっていく。翌日には高篠が女子を怒鳴ったことが拡散し、やがて殴り飛ばしたという尾ひれがつき始めた。ファンクラブは消え、誰も高篠に話しかけなくなった。視線を合わせるだけで暴力を振るわれる。女だろうが子供だろうが容赦しない。まるでヤクザ者扱いだ。また、男子の間では「高篠と喧嘩をし、勝ったら賞金がもらえる」というルールが生まれた。高篠は暇さえあれば呼び出され、喧嘩に明け暮れた。運動神経がいいため高篠が負けることはほぼなかったが、傷や怪我をしている日もあった。となりに座っているすずめは、もちろん無視などできず鞄に消毒液や絆創膏を入れて学校に行った。

「また喧嘩したの?」

 聞くと、高篠はぶっきらぼうに答えた。

「したくなくても絡まれるんだからしょうがないだろ」

「断ればいいじゃない」

「断る? かっこ悪く逃げろってか」

「逃げるって意味じゃ……」

「鳥女は黙ってろ」

 そして立ち上がって歩いて行く。

「待ってよ。手当てしなきゃ」

 急いで言うと、高篠はじろりと睨みつけた。

「こんなの、ほっときゃ治る」

「だめだよ。きちんと手当てしないとバイ菌が入るかもしれないよ。そのせいで病気にでもなったら」

「いらねえよ。本当に女ってしつけえな」

 なんだか嫌味をぶつけられ過ぎて感覚がマヒしている。鳥女と呼ばれてもいいやと諦めがついた。とりあえず今は怪我の手当てだ。

「ほら。じっとして」

 無理矢理、高篠を座らせて手当てをした。教室だと周りに見られてしまうため、初めて会話をした空き教室で行う。ここなら他人に邪魔をされず、ゆっくりと手当てができる。

「けっこう傷ついてるじゃない。ほっといたら治らないよ」

 消毒液を当てると、高篠は顔を歪ませた。

「痛えな。力強いんだよ」

「手当てしてもらっておいて文句言わないの。そもそも喧嘩を受けた高篠くんがいけないんだよ」

 すずめも言い返すと、高篠は舌打ちして黙った。

 やがて、アメリカで暴走族のリーダーをしていたというでたらめな情報を誰かが流した。そんなわけないだろうとすずめは呆れたが、みんなは信じてしまう。完全に高篠はクラスからも学校からも浮いた状態になった。孤独な学校生活を送り、放課後は殴り合いの喧嘩をし、荒れた毎日を過ごしていく。となりにいるすずめは、常に胃が痛かった。突然、学校を休んだり早退したり授業中に教室を出たり、高篠は一体何がしたいのか。

「もう……」

 慌てて彼を追いかけようとすると、後ろから手を掴まれた。

「えっ?」

 振り返ると、クラスメイトたちがすずめを注目していた。

「日菜咲、やめておけよ」

「あいつ、アメリカで暴走族のリーダーしてたんだぞ? 余計なことして殴られたらどうするんだよ」

「そうそう。放っておけばいいんだよ。あんな野蛮な人」

「高篠くんに関わったらまずいよ」

 男子からも女子からも止められた。

「で、でも」

「すずめ」

 エミが真剣な眼差しで近寄ってきた。どきりとして体が硬直する。

「お願い。すずめが高篠くんに傷つけられたら、あたしショックで立ち直れない。頼むから、高篠くんとは距離を置いて。お願いだから」

 エミに心配をかけるのは嫌だった。悲し気なエミに、がっくりと項垂れた。

「……エミ……」

「すずめだって、痛いのは嫌でしょ? おかしなことされたくないでしょ?」

 確かに高篠は、不機嫌だったら平気で手を挙げそうだ。大嫌いと言い切った彼の表情が蘇る。

「わ……わかったよ……」

 小声で答えると、クラス中が穏やかな雰囲気に包まれた。エミは「ありがとう」と、すずめを抱き締めてくれた。

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