六話
「頭にくる……」
エミの部屋でテスト勉強をしていた途中、つい独り言が漏れてしまった。
「頭にくるって?」
「あっ、ううん。何でもない」
急いで誤魔化すと、エミは優しく微笑んだ。
「すずめ、高校に入学してから楽しそうでいいね」
「楽しそう?」
「特に、高篠くんが来てから」
驚いて目を丸くした。勢いよく立ち上がる。
「そんなわけないよっ」
「でも、明らかに表情が豊かになったというか……。前のすずめより可愛くなってる」
ふふっとエミは笑ったが、とても信じられなかった。
「本気で言ってるの?」
「どうして嘘つくのよ? やっぱりイケメンって女の子にとって素晴らしい薬なのかな?」
胸にあの男の姿が蘇ってきた。あいつの整った顔に、一発ぶん殴ってやりたい。
「薬じゃなくて、毒みたいだけど」
「みんな、すずめを羨ましがってるよ。高篠くんのとなりに座りたいって」
ならぜひとも交換してほしい。鳥女とうるさく呼ばれるのはもう嫌だ。
「あのさ、あいつ……じゃなくて高篠くんって、どこらへんがかっこいいの?」
「全てにおいてパーフェクトじゃない。柚希から乗り換えたって子もいるらしいよ」
「乗り換えた?」
優しく穏やかな柚希より、無表情で暗いイメージの高篠を選んだのが衝撃だった。
「信じられない。柚希くんより高篠くんの方がいいの?」
「ああいう寡黙なタイプの男の子って大人っぽくてうっとりするんじゃない? 頼りがいがあるっていうか」
男に興味がないエミが、ここまで褒めるとは。どきどきして汗が流れた。
「もしかして、エミ、高篠くんのことが」
「好きなんじゃないよ。未だに彼氏作る気はゼロのままだもの。ただ、間違いなく高篠くんはかっこいいよ」
しかし性格はかなり悪い。これまでに言われたことされたことは、はっきりと覚えている。いくら見かけが美しくても、中身があれではとてもとても……。
「付き合っちゃえば?」
目が点になった。一瞬、言葉の意味が理解できなかった。
「えっ?」
「高篠くんと付き合っちゃえばいいのに。あんなイケメンくん、そうそういないよ。せっかくとなりになったし、告白しちゃいなよー」
「こっ……告白なんかするわけないでしょ! あたしの好きな人は柚希くんしかいないっ」
手を振り大声で叫ぶ。エミは瞬きをし、首を傾げた。
「けど、柚希とは距離がかけ離れてるじゃん。高篠くんはすぐとなり。ちょうどいいじゃん」
「だめだめ。あたしは柚希くんしか好きにならないの!」
「もったいないなあ。すぐそばにいい男が座ってるなんて、めっちゃ幸せだよ?」
あいつのどこがいい男なのか。あの男と付き合うなら死んだ方がマシだ。
「もっと仲良くなったら告白してみなって。高篠くんも、すずめの可愛さに気づいてOKするはず」
がくがくと全身が震え、血の気が引いていく。絶対に告白なんかしたくない。また酷いあだ名で呼ばれるかもしれない。
「……とりあえず、今はテスト勉強しようよ」
「あ、そうだね。ところで、またここ間違えてるよ」
エミに言われて、来週のテストが不安で堪らなくなった。
翌日、学校に行くと高篠がすでに座っていた。イヤホンで音楽を聴き、涼しい顔をしている。すずめも着席したが、こちらには全く気が付いていない。おはようも言わないのか。全く持って礼儀のなっていない人間だ。
「付き合っちゃえば?」
エミの言葉が蘇る。柚希とは距離が遠いが、高篠はすぐ近く。とはいえ、もし付き合ったらとんでもなく恐ろしい目に遭うに違いない。
「やっぱり柚希くんがいい……」
「あれ? 鳥女、いたのか」
抑揚のない声が聞こえた。横を向くと、高篠がイヤホンを外して見下ろしていた。
「いたのかって、普通気づくでしょ」
「あまりにも影が薄くて、いつ来たのか知らなかったんだよ」
体の動きが止まる。また始まったか、と頭の中で考えていた。
「絶対に告白はないわ」
「は? 告白?」
「何でもない。あんたには関係ない」
最近、いろいろと誤魔化すことが多くなった。言い訳したり隠したり、親友のエミにまで秘密を作っている。それもこれも高篠のせいだ。
少しでもストレス解消するべく、放課後は女の子みんなで買い物をしたりカラオケをした。外に出ると空は真っ暗だった。
「バイバイ」
「また明日ね」
クラスメイトは手を振り、さっさと歩いて行く。いつの間にか一人になっていたすずめも歩き始めた。暗い道を女の子一人で進むのは危険だ。しかし、じっとしていては完全に夜になってしまう。家に向かって足を動かした。ふと、ある音に気が付いた。どきりとして立ち止まると、音も立ち止まる。今度は小走りで歩くと、音も同じスピードでついてきた。ぎくりと冷や汗が流れる。これは、まさか……ストーカーでは……。後ろを振り向きたくても怖くて振り向けない。逃げようと走っても、きっと相手の方が速い。
「お父さん……。お母さん……。助けて……」
呟きながら、とにかく家を目指して歩き続けた。なぜか道が長く、時間もゆっくりと過ぎていく。
「家の中に入ればいいんだ。家に入れば」
独り言を漏らしていたが、突然音が大きくなった。一気に距離が縮んでいく。
「ひゃああ……」
悲鳴を上げたが、背中から口を覆われ叫び声は途絶えた。さらに耳元で囁きが聞こえた。
「うるせえな。黙れよ」
勢いよく顔を上げると、高篠が見つめていた。手を外し、固い口調で言う。
「何で……。あんたがここにいるの?」
「夜食、買いに来たんだよ。そっちこそ、もう七時過ぎてるのに帰ってなかったのか」
「友だちと遊んでて遅くなっちゃったの」
ごしごしと目をこすり、高篠を頭のてっぺんから足の先まで眺めた。確かに制服ではなく私服を着ている。紺色なため闇に同化していてわかりにくいが。
「遊んでた? さっさと帰んねえと心配かけるだろ。親不孝だな」
「わかってるよ。でも、一応もう高校生だし」
「高校生だろうが子供の帰りが遅ければ心配するだろ」
蝶よ花よと育てられてきたので、たぶんかなり不安がっているだろう。すずめの両親は、とても子供に甘い。
「ほら。じっとしてないで歩け」
高篠は、ずんずんと前に行ってしまう。背中からすずめは質問した。
「さっき、あたしの後をついてきたのって高篠くん?」
「ついてたんじゃねえよ。たまたまお前がいただけ」
「だけど、まるでストーカーみたいだったじゃない」
すると高篠は振り返り、すずめを穴が開くように見た。
「もしかして、ストーカーされてるって思ってたのか?」
「う、うん。だって」
「自分がどれだけ魅力がないって、まさか気づいてないのか」
がーんとタライが落っこちた。女の子に対してあまりにも失礼すぎる。
「……魅力がないのはわかってるよ。十六年彼氏なしだし、告白された経験もないし。だからって、そんなにはっきりと言わなくてもいいでしょ」
「ふむ。気付いてるなら、まだ救いようがあるな」
「救いようって? 自分がモテるからって偉そうな態度とらないでよ」
いらいらが止まらない。馬鹿だのチビだの悪口を並べ立てられたが、今度はブスか。
「俺は、自分がモテるなんて考えたことねえよ」
「考えたことない? 数え切れないほどプレゼントもらってるのに、どうして」
「好きでもない奴から、いくら物もらっても嬉しくないだろ」
あっさりとした声で高篠は答えた。そのせいか、すずめの怒りも少しは収まった。
「それは……。そうだろうけど」
高篠から、いくらプレゼントをされても感動もしないが、柚希にプレゼントされたら天にも昇る想いだろう。泣いて喜ぶはずだ。
「じゃあ、俺こっちだから」
曲がり角に辿り着き、足を止めた。じっと高篠の背中を眺め、姿が消えるまで立ち尽くしていた。
「……高篠くんって、好きな人できるのかな……」
もし恋人が現れたら見てみたい。ふう、と息を吐いて、すずめも家に帰った。
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