三話

いつも通り教室のドアを開くと、なぜかその日はクラスメイトたちが騒いでいた。どうしたのかと不思議に思っていると、エミが近づいてきた。

「おはよ。今日、転入生が来るらしいよ」

「転入生?」

「しかもアメリカからだって。英語ペラペラなのかな?」

「アメリカ……」

 どきりとした。もくもくと頭の中に想像が膨らむ。

「へえ……。男の子? 女の子?」

「男の子みたいよ。楽しみだね」

 昔読んだ少女マンガのワンシーンが浮かんだ。白く透き通った肌、金髪で蒼目、柔らかく穏やかな笑顔。きっとお金持ちで、お城みたいな家に住んでいるはずだ。

「そうだね。早く会いたいな」

 妄想を巡らせていると、担任が教室に入ってきた。ばらばらに散っていたクラスメイトたちも全員着席する。

「えーと、今日は転入生がやって来ます」

 担任が話し始めると、クラスは盛り上がった。

「知ってるよー。アメリカからだろ?」

「もったいぶらないで、名前教えてよっ」

 すずめだけではなく、男子も女子も期待しているようだ。どくんどくんと鼓動が速くなる。金髪蒼目のアメリカ人。きっと素敵な人物に違いない。

「じゃあ入って。高篠たかしのくん」

「高篠?」

 担任に呼ばれ、アメリカから来た転入生が現れた。その姿を見て、すずめの妄想は粉々に砕け散った。金髪ではなく黒髪だし、蒼目でもなく普通の日本人だった。アメリカから来るからみんながアメリカ人なわけではない。アメリカに住んでいた日本人だってありうるわけだ。背が高く、陽ノ岡の制服を見事に着こなしている。少しツリ目っぽい瞳が長めの前髪からちらちらと覗く。男子なのに肌の色が白く無駄なものが一切ついていないスラリとした華奢な体。非の打ちどころがない整った顔には高校一年生とは思えない大人の色気すら感じられる。しかしにこりともしない、とっつきにくそうな男子。

「ん? あれ? あのツリ目、どこかで見たことがあるような……」

 独り言を漏らし、一気に春休みの出来事が蘇った。私服の柚希に出会い、ふらふらと歩いていたら誰かにぶつかった。大きなリュックを背負い、英語で文句を言ってきた……。

「あっ! あなた、あの時のっ」

 勢いよく立ち上がり、クラスメイトたちはすずめに注目した。さらに担任は笑顔になった。

「あら? 日菜咲さん、高篠くんと知り合いなの?」

「いや、知り合いってわけでは……」

「よかったわ。すでに知り合いなら日菜咲さん、高篠くんにいろいろと教えてあげて。席もとなりにしましょう」

「だ、だから」

 すずめの言葉を聞かず、担任は高篠をすずめのとなりに座るよう言った。少し戸惑いながら高篠もこちらにやって来る。黙ったまま着席し窓の外を眺めていた。

 「人の顔はじろじろと見るものじゃない」と、よく聞くが、彼の瞳や大人っぽい表情から目が離せなかった。見惚れるわけではなく、どんなことを考えているか知りたかったからだ。普通は転入をすると緊張するのに、この堂々とした態度。怖いものなど何もないという余裕。嫌な汗がだらだらと流れていく。なぜ知り合いにされたのか。偶然デパートで出会っただけなのに。というか、どうしてあの男子がこのクラスに転入したのかがわからない。授業が始まってちらりと高篠の方に目をやると、まだ窓の外を眺めていた。教師の声にも、すずめにも一切興味がないらしい。そもそも、となりにすずめがいることすら気づいていないような……。

「ね、ねえ」

 勇気を振り絞って声をかけた。耳元で囁く。

「ねえ、ちょっと」

 けれど高篠は無視をして振り向きもしない。完全に知らんぷりをしている。なぜなのか理解できず、さらに汗が流れた。そのうちに、もしかして日本語が通じないのかと考えた。アメリカで暮らしていて英語しか話せないのなら、うまく受け答えができないのかもしれない。だが、すずめは英語が苦手だ。とにかく英語だけは無理だ。質問しようにもめちゃくちゃな英語では相手も困ってしまう。

「や……やばい……」

 滝のように冷汗は流れ、その場から逃げ出したくなった。

 ようやく休み時間になってエミの席に行くと、大笑いされた。

「ほーんと、すずめはドジだねえ。おかげで転入生のお世話見る羽目になっちゃってさ」

「笑い事じゃないよ。どうするの? あんな怖い人」

「怖い? かっこいい人じゃなくて?」

 きょとんとした表情でエミが聞き返した。クラスメイトに目をやると、女子がひそひそと囁いている。

「まじ、かっこよくない?」

「ミステリアスなところがまた」

「ファンクラブ作ろうよ。あたしリーダー」

「ずるーい。あたしがリーダーやりたい」

「あんたは柚希くんのファンクラブメンバーでしょ。もしかして柚希くんから高篠くんに乗り換えるの?」

「うう……。柚希くんもかっこいいんだよなあ」

 次に男子の方にも視線を向ける。ほとんどの男子はうんざりとした顔をしていた。

「ちぇっ。B組にもイケメンかよ」

「しかも英語しゃべられるんだぜ。勝ち目ねえし……」

「A組の真壁だけでいいじゃん。王子は」

「お、おい。声でけえよ。聞こえたらどうすんだ」

 男子がイケメンと認めているのが意外だった。エミは確かめるように言う。

「ほらね。みんなはかっこいいって思ってる。怖いって言ってるの、すずめだけだよ」

「え……。そ、そうだったの?」

「人は見かけによらないよ。高篠くんも優しい性格かもしれないじゃん。せっかくとなりの席になれたんだし、仲良くなりなよ」

 エミに背中を押され、少し不安が消えた。それもそうかと息を吐き、頑張ってみようという勇気が沸いた。




 とは言ったものの、やはり本人を目の前にすると、勇気がなくなってしまう。相変わらず窓の外ばかり眺めているし、無表情なため感情が伝わらない。結局すずめも黒板だけに集中し、一言も声をかけなかった。

 次の休み時間はトイレに行った。鏡に映る自分に言い聞かせる。

「ああっ。もうっ。あたしはだめ人間だっ。同い年の男の子に話しかけることもできないのかあああ」

 ばしばしと頭を叩く。会話をしてみたい。簡単な英語はたぶんできるかもしれない。堂々としているけれど、きっと高篠の方も友人がいなくて心細いはず。すずめが彼の初めての友人にならなくてはいけないのに、逃げていてはだめだ。

「頑張れ! あたし!」

 頬をぱんぱんと叩き、トイレから飛び出した。

 そして、ついにチャンスは到来した。昼休みに弁当を食べ終わると、彼を探しに行った。教室にはおらず、どこだどこだと探し回ると誰もいない空き教室の床に座っていた。息苦しいのか先ほどよりもネクタイが緩みシャツのボタンも一番上だけ外している。たぶん自分以外誰もいないから気にならないのだろう。ドアを開け、ゆっくりと近づいていった。ようやく高篠は、すずめに視線を移した。

「え、えっと……」

 彼は日本語が話せない。苦手だが、英語で自己紹介するしかない。

「マ、マイネーム……」

「いいよ。わざわざ英語じゃなくても。日本語わかるし」

 ぼそっと言葉が飛んできた。少し低めで女の子にモテそうなハスキーボイス。イケメンは声までもイケメンなのか。

「なっ……。それならそうと早く言ってよ。あたし、英語しか話せないのかと思ってたんだよ」

「まあ、英語の方が得意だけどな。生まれも育ちもあっちだし」

 驚いて目が丸くなった。

「アメリカで産まれて、アメリカで育ったの?」

「そうだ。悪いか」

「悪いなんて一つも言ってないよ。へえ……。アメリカってどんなところ? 日本より、ずっと広いよね」

 今まで、すずめは外国に行ったことがなかった。いつかは行きたいと思っているが、まだ高校生だしパスポートも持っていない。もちろん英語もできない。

「いいなあ。アメリカで暮らしてると英語がペラペラになるんでしょ? あたしもペラペラになりたい。そうすれば英語のテストも楽チンだよねえ」

 転入生は、きらきらと瞳を輝かせるすずめを呆れるように見た。返事をする気はないのか、また視線を逸らす。

「あ。そういえば、まだ名前言ってなかったよね。あたしは日菜咲すずめっていうの。高篠くんの下の名前は? せっかくとなりの席になったんだし、教えてよー」

 期待をして待っていると、転入生は雷のような言葉を呟いた。

「すずめ? ふうん……。じゃあ鳥女とりおんなか」

「えっ?」

 予想していなかった一言に衝撃が走る。

「と……り女……?」

「だって、すずめって鳥だろ。じゃあ鳥女じゃねえか」

「それは……そうだけど、でも鳥女って失礼すぎるでしょ」

 女子に呼ぶあだ名ではない。すずめは鳥だが、だからと言って……。

「あたし、すずめが好きなの。すずめって可愛いじゃない」

「どこが。ただ飛ぶしか能がないのに」

「酷い。小さくてチュンチュン鳴いて、とっても」

「あー。うるせえ。女って、どこの国でも同じだな。まじでうるせえ生き物だ」

 遮って、高篠はため息を吐いた。

「うるさいって……」

「鳥もうるさい。この世から消えてほしい。お前も黙れよ」

「だって、鳥女なんて言うから」

「すぐ近くにいるんだから、でけえ声出すなよ。もう俺は戻る」

 そして、すずめの返事を待たずに空き教室から出て行った。

「な……何あいつ……」

 ぎゅっと拳を握り、怒りの炎がめらめらと沸き始めた。

「……性格悪すぎ。ムカつくっ」

 一瞬で全てわかった。あの男は怖い人でも、かっこいい人でもない。めちゃくちゃ性悪な男なのだ。

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