二話

 陽ノ岡に合格して、すっかり安心したすずめは遊びまくっていた。エミも同じようで、暇さえあれば出かけた。母の知世ともよも「ずっと頑張っていたから、これからは好きなことをしなさい」と言い、今日も買い物に来たのだ。

「最近、暖かくなってきたから、スプリングコートとか欲しくない?」

「いいねえ。帽子も欲しいな」

「せっかくなら靴も買っておくか」

 特に用事はないのに、あれもこれもと想像が膨らむ。女の子ならみんなそうだろうと、すずめは勝手に決めている。一通り店を覗いてから、おいしそうなクレープ屋でおやつを食べた。テラス席に座っておしゃべりをしていると、黒山の人だかりができているのに気付いた。全員、若い女の子なのが不思議だった。

「何あれ? モデルでも来てるのかな?」

 話しかけると、エミは立ち上がって集まりに近付いた。そして驚いた表情で戻ってきた。

「柚希がいるの」

「柚希くん?」

 すずめも立ち上がる。その時、まだ残っていたクレープを地面に落としてしまった。だがそれにも気にせず集まりに向かって歩いて行く。隙間から覗くと、ちやほやされて笑っている柚希が視界に映った。制服ではなく私服なのが新鮮に感じる。柚希のいる場所だけ、きらきらと輝いていた。

「まじで柚希くんだあ……」

「デパートに柚希が来るとはね。買い物かな?」

「どうでもいいよ。はあ……。めっちゃかっこいい。かっこよすぎる……」

 全身がとろけたようになり、ふらふらと後ずさった。頬に手を当てると、風邪をひいた時みたいに熱い。

「柚希くん。アイラブ……」

 ユーと言う前に、ごんっと音がして、何かにぶつかった。振り返ると、深緑色の大きなリュックを背負った男子が、睨みつける目つきでこちらを見下ろしていた。同い年くらいの男子だ。背が高く華奢でクールなイメージ。ツリ目っぽい瞳が、長めの前髪から覗いている。かなりのイケメンだと呼べる。柚希が少年だとすると、こっちは成人の男性だ。さらに男子は早口でしゃべった。

「え? はい?」

 よくわからず聞き返すと、もう一度男子は話した。しかしやはりわからない。

「あの、もうちょっとゆっくり」

 言いかけたが、エミに手を掴まれた。さらにエミはすずめの口を覆い、「ソーリー」と苦笑しながら言う。

「総理?」

 聞いたがエミは答えず、苦笑を続けたまま黙っていた。男子は息を吐き、すぐに歩いて行った。男子の姿が消えてから、また質問をした。

「総理って? エミ、急に総理大臣の話なんか」

「総理じゃなくて、ソーリーよ。英語で、ごめんなさいよ。あの人、英語でしゃべってたのわからなかったの?」

「英語?」

「そう。周りがうるさくてしっかりと耳には入らなかったけど、英語で文句言ってたよ」

「どうして? さっきの人、日本人だったよ? どうして英語しゃべってるの?」

「あたしが知るわけないでしょ。ずっと外国で暮らしてたからじゃないの?」

「外国で暮らすと、日本語より英語の方が得意になるんだ!」

 興奮するすずめをちらりと見て、エミは額に手を当てた。

「すずめ、もっといろいろと考えて大人になってくれない? あたしはすずめの保護者じゃないんだよ? 高校生だし、自分のことは自分でやってよ」

「ごめん……。今のは助かったよ」

 汗を流しながら謝った。エミに頼りすぎて迷惑ばかりかけている。これではいけないとわかっているが、ついエミにお願いすればいいやと甘えてしまう。

「あっ」

 エミが声を上げ、すずめも目を丸くした。先ほど騒いでいた集まりや柚希は、いつの間にかどこかに行ってしまった。

「せっかく会えたのに」

「まあ、これから嫌ってほど学校で会えるんだし。あたしたちも早めに帰ろっか」

 エミの言葉に、うん、と小さく頷いた。かっこいい私服の柚希を、もっと見ていたかった。

 夜、ベッドに入ると、昼間の出来事が蘇ってきた。制服ではなく私服の柚希。やはり彼はかっこいい。誰が見ても王子様だ。

「あーあ。柚希くんの私服姿、写メに残したかったなあ」

 嘆くと、もう一人の男子が心に浮かんだ。英語が話せる同い年くらいの男子。外国に暮らしていたから、日本語より英語の方が得意になったのか。鋭く睨まれたが、エミがいてくれたおかげで、痛い目には遭わずに済んだ。

「いいや。あの人には二度と会わないんだし。高校の制服着た柚希くん見たいな……」

 陽ノ岡は、英語のレベルが高いのも有名だが、制服のかっこよさも有名だった。コート、ズボン、スカートはネイビーで、女子は紅色のリボン、男子は黒のネクタイをつける。シックで大人っぽく、特に男子を素敵にする制服だ。ただでさえイケメンの柚希が陽ノ岡の制服を着たら最強だろう。

「絶対写メ撮ろう。携帯の待ち受けにするんだ……」

 独り言を漏らし、幸せな気分で眠りについた。





 あっという間に春休みが過ぎ、入学式がやって来た。校長の長い挨拶にうんざりしながらも、式は無事に終わった。すずめのクラスはB組になった。さっそく教室に行くと、背中から肩を叩かれた。振り向くとエミが立っていた。

「すずめもB組?」

「えっ? エミも?」

 嬉しくて、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。

「まさかクラスも一緒になるとはね。高校でもよろしく」

「こちらこそよろしくだよ。よかったあ。エミとクラスが離れてたら嫌だなって不安だったの」

「そうだね。でも、柚希はA組だって」

 となりの教室を指差し、エミは言った。そっと覗くと、女子が集まって騒いでいた。確認しなくても柚希の席だとわかった。

「そっか。柚希くんとは違うクラスか」

「高校は同じクラスがいいなって願ってたんでしょ?」

「まあね。でも学校は一緒だから、悲しくはないよ」

 女子の黄色い声を聞きながら、ぐっとエミにガッツポーズをした。

 すずめもエミも友人を作るのは得意で、学校生活が始まってすぐにクラスメイトと仲良くなれた。女子だけではなく男子とも気兼ねなくおしゃべりできる。

「日菜咲って、すずめっていうんだ。けっこう変わった名前だな」

「だけど、すずめってチュンチュン鳴いて可愛いでしょ? あたし、犬や猫より鳥の方が好きなの」

「思い入れがあるんだな。自分の名前が好きなんて、やっぱり日菜咲って変わってるー」

 変わっていると言われても悪い気はしなかった。確かに、あまり聞かない名前だし、初めて知ったら驚かれそうだ。昔から、すずめが大好きだった。小さくてチュンチュンと鳴いて、とても可愛いと思っていた。ペットを飼うなら絶対にすずめと決めていたし、名付け親である父からも「すずめみたいに誰からも愛される子になるように」と教えてもらったことがある。

「ねえ、すずめちゃん。今度ケーキバイキング行こうよ。もちろんエミちゃんも」

「ケーキバイキング? 行く行くー」

「ちょっと、すずめ。ダイエットしてるんじゃなかった?」

「それとこれとは別だよ。エミも来るよね?」

「まあ、行くけど」

「じゃあ、いつにする? 空いてる日、教えてよ」

 明るく元気なクラスメイトとの会話は、柚希となかなか会えない寂しさも癒してくれる。

「ケーキ食べ過ぎないようにしなさいよ」

「わかってるって。エミって厳しいなあ」

 エミの思いやりも、すずめには心地よかった。こうやって、いじめも嫌がらせもなく暖かい日々が送れると信じていた。家に帰れば娘想いの両親がいるし、何不自由なく生活が続いて行く。ずっとずっと、そうして生きていくのだと……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る