ちゅんちゅんラブストーリー

さくらとろん

一話

 その日、すずめは親友の相沢あいざわエミと買い物に出かけていた。エミとは小学三年生からの付き合いで、これまで喧嘩もちょっとした言い争いもせず、仲良しの友人だ。

「もう少しで春休みが終わるね」

 エミが言い、すずめも答える。

「そうだね。春休みが終わったら、あたしたち高校生になるんだ」

「高校生かあ。どんな日々が待ってるんだろ?」

 首を傾げてエミは笑った。このエミの笑顔が、すずめはお気に入りだった。エミは、すずめより大人っぽくて頭がよくてお姉さんみたいな女の子だ。おしゃれだし料理も得意だし、いつも頼りにしている。同い年なのに、何歳も上に見える。エミも「すずめって妹みたい」と言っていたし、兄弟がいないすずめにとって大切な存在だ。

「しかし、ギリギリでよく合格したよね」

 ふう、とエミが呟く。このギリギリはエミではなく、すずめのことだ。エミは余裕で入学できたが、すずめはかなり危なかった。しかし、どうしてもすずめは志望校に入学しなくてはいけない理由があったのだ。真壁まかべ柚希ゆずき。それが、すずめの初恋の男子だった。いつもにこにこし、口調も穏やかで、おまけに有名会社の社長の一人息子だ。女の子には特に優しく、ファンクラブもある。損をしたり迷惑をかけられても嫌な顔一つせず、誰にでも平等に接する。嘘など間違ってもつかない真面目なタイプなため、男子にも女子にも頼りにされている。褒められても偉ぶったり気取ったりしない。中身だけではなく外見も素晴らしい。痩せている体型や長くて細い手足、広い胸は見るだけでどきどきするし、さらさらとした髪は陽に当たると藍色に艶めく。オーラがものすごいせいか、離れていても存在感が強い。柚希を携帯の待ち受けにする子もたくさんいる。そんな美貌を持っているのに、恋愛経験はゼロなのだ。キスもハグもデートもしたことがない。手すら繋いでいない。つまり、まだ汚けがれておらず新鮮な状態だ。柚希の「ファースト彼女」を狙っている女の子は数え切れない。この柚希を知ったのは、中学一年の夏だった。夏祭りでちやほやされている柚希を見て、一目惚れした。本当に王子様っているんだ……。それが柚希の第一印象だった。柚希のことは、すぐにエミに伝えた。母には恥ずかしくて言えないが、エミには言える。興奮を抑えながら、柚希のかっこよさや素晴らしさを説明する。

「確か、あたしも名前だけは聞いたな」

 あっさりと答えたエミに、すずめは目を丸くした。

「エミ、柚希くんのこと知ってたの?」

「というか、あんなに女の子にモテモテでファンクラブもあるのに、気付かない方がおかしいでしょ」

「嘘? 同じ中学校?」

 さらに衝撃が走る。あまりにも自分が鈍感すぎて、穴があったら入りたいくらいだった。

「クラスが違うし、すずめって恋愛に疎いし、仕方ないよ。とりあえず王子様に会えてよかったじゃん」

 にっと微笑むエミに、ふと疑問が生まれた。

「エミは? 柚希くん、かっこいいって思わないの?」

 ぶんぶんと手を横に振り、エミは即答した。

「あたし、男に興味ないの。男と付き合うとか、まじで面倒だし。彼氏いらなーい」

「エミ、めっちゃ可愛いのに。もったいないよ」

「いいの。昔から男と付き合わないって決めてたしね。あたしはどっちかっていうと、すずめに彼氏ができる方がいいな」

 この時、初めてエミが男に興味ないのを知った。ずっと一緒にいたのに気付けなかったのが悔しく落ち込んだ。するとエミは肩を叩き、応援するように言った。

「恋に落ちた女の子が、そんな暗い顔してちゃだめ。女の子は笑顔だよ。もっとにこにこしなさい」

 エミの友人を思いやる言葉に、自然に微笑んだ。

「ありがとう。もしあたしが男だったら、絶対にエミを彼女にするわ」

「だから、彼氏はいらないんだってば」

 ははは、と苦笑するエミに、ぎゅっと抱き付いた。

 だが、柚希に惚れている女の子は数え切れないほど多く、すずめは遠くから眺めることしかできなかった。にこにこしてもおしゃれしても、柚希には気付いてもらえない。そもそも、すずめはそんなに可愛くはない。クラスも違うし、王子様の視界にも映らないのだ。ファンクラブにも入ってみたが、綺麗な子がたくさんいて自信がなくなってしまい、結局抜けた。エミにも相談したが、「頑張るしかないよ」という答えしか出なかった。少しでも柚希に近付きたい。会話などできなくてもいいから、せめて顔を知ってほしい。いくら願っても、その思いは周りの女の子たちの黄色い声でかき消されてしまう。

 その繰り返しで無駄に二年が経ち、突然ある情報を小耳にはさんだ。柚希のファンクラブのメンバーの話だった。

「柚希様、陽ノひのおか高校に行くんだって」

「陽ノ岡? けっこうレベル高いよね?」

「でも柚希様、頭いいし、絶対受かるだろうなあ」

「そうだね。あたしも陽ノ岡に行きたいな」

「あたしも。だけど、とにかくレベル高いから。無理かな」

 どくんどくんと心臓が跳ねた。陽ノ岡高校……。すずめも聞いている。あの学校は入学するのが大変と言われている難関校だ。すずめの頭では、どう考えても合格など夢のまた夢。すぐにエミの元に行き、ファンクラブメンバーの話を打ち明けた。

「陽ノ岡高校? 柚希が?」

「う、うん。それで、あたしも陽ノ岡高校に行きたくて。入学できるかな?」

 エミは目を丸くし、首を傾げた。

「すずめが陽ノ岡ねえ」

「だめかな? あたし、高校も柚希くんと同じにしたいの。同じ学校に通いたい」

「それはわかるけど、あそこ英語に強くないと合格はできないよ」

 はっとして項垂れた。すずめは、とにかく英語が苦手なのだ。これまで英語のテストで五十点以上をとった経験がない。英会話教室にも行ったが、間違いだらけで恥ばかりかき、途中でやめてしまった。運動や数学も苦手だが、英語だけは致命的に弱いのだ。

「ど……努力すれば……」

「努力? どうやって努力するの? 悪いけどあたしも受験生だから、すずめの家庭教師する暇なんかないからね」

 珍しくきついお言葉を食らってしまった。しかし、いつもエミに頼っているため、言われても仕方がない。

「ところで、エミは? 志望校はどこ?」

 話題を変えると、エミは先ほどよりは穏やかな口調で答えた。

「陽ノ岡」

「え? エミも?」

「別に柚希目当てじゃないよ。あたし、将来は外国で仕事してみたいんだ。だからちょうどいいかなって」

 驚いて後ずさった。だったら尚更、陽ノ岡に入学したい。エミと離れて高校生活を送るのは寂しい。

「それじゃ、あたしも陽ノ岡に合格しなきゃ……」

「だけど、陽ノ岡の英語は半端ないよ。テストで五十点以上とれないすずめには、かなり」

「わかってる。そんなのわかってるよ……」

 呟いてから、勢いよく顔を上げた。

「エミ、あたし一人で頑張って勉強するっ。エミとも柚希くんとも同じ高校になりたいっ。死ぬ気で勉強して、楽しい高校生活を掴み取るんだっ」

 大声で叫び、その場から走り去った。

 翌日から、すずめの地道な受験勉強が始まった。まず片っ端から英語の本を図書館で借り、徹夜で勉強した。食事と風呂とトイレ以外は部屋に閉じこもり、英語とにらめっこをした。けれどやはり苦手なため、ペンが止まってばかりだった。すずめの姿に、父と母は心配した。

「睡眠は、きちんととりなさい」

「しっかりとご飯食べないと、病気になっちゃうだろ」

 だが、すずめは首を横に振り、諦めなかった。

「だめなの。陽ノ岡に合格しなきゃ」

「他の高校でもいいじゃないの。休日になれば、エミちゃんと遊べるんだし」

 それはそうだが、すずめには柚希の存在もあるのだ。柚希とは休日に遊べない。だから平日に学校で会うしかない。

「いいのっ。お父さんもお母さんも邪魔しないでっ」

 怒鳴り、また勉強に明け暮れた。

 そして迎えた受験当日。今まで学んだことを頭に叩き込み、死ぬ気で試験に挑んだ。終わって家に帰ると、玄関で倒れてしまった。

「すずめっ。しっかりしなさいっ」

 ベッドに寝かせると、すずめは翌日の夕方まで起きなかったと言っていた。目を覚ますと父の達也たつやから怒られた。

「具合が悪くなるまで無理するんじゃない。受験より自分の体を大切にしなさい」

 確かにその通りだったため、「ごめんなさい」と素直に反省した。

 毎日、細い綱渡りをしている気分だった。エミも柚希も合格して、自分だけ不合格だったら。エミとは遊べるが、柚希とは遊べない。あのかっこいい姿も柔らかな声も失ってしまう。

 合格発表の日は、エミと一緒に見に行った。全身が震えるすずめを、エミは苦笑しながら励ました。

「そこまで緊張しなくても。きっと合格してるって」

「でも……。もし合格してなかったら」

「必死に頑張ったんでしょ? 努力すれば報われるよ。平気だよ」

 そしてエミが足を止めた。顔を上げると、大きな紙が掲示板に張り出されている。ぼんやりとしながら眺めていると、となりに立っているエミが叫んだ。

「あっ! あった! あたしのも、すずめのも」

「えっ」

 エミの方に視線をやり、次に掲示板の方に視線を移す。エミが指差している部分に、自分の番号が書かれていた。ごしごしと目をこすり確認し直すが、確かに書かれていた。

「う……受かったの……?」

「そうだよ。二人とも合格できたんだよっ。やったあっ。また一緒の学校に通えるねっ」

 両手を掴み、にっこりと笑うエミを見つめて、突然ぽろりと涙が流れた。まさか、英語が苦手なすずめが、英語が強くないと入学できない陽ノ岡に合格するとは……。

「ゆ……夢みたい……」

「ギリギリだったけど、なんとか合格できたね。よーし、今日は記念に歌いまくるぞっ」

 やっとすずめにも実感が沸き、うわあああっと大声を上げながらカラオケボックスに向かった。

 家に帰り、母に伝えると赤飯を炊いてくれた。父も「よかった」と喜んでくれて、しばらく日菜咲家はお祭り騒ぎだった。また、その後に柚希も合格したと聞いた。

「すずめってすごいね」

 エミが、じっと顔を覗き込んできた。

「すごい?」

「だって、あんなに苦手な英語を乗り越えて、陽ノ岡に合格したんだもの。努力家で素晴らしい子だと憧れちゃうよ」

 どきどきして頭をかいた。こんなに褒められるとは思っていなかった。

「ありがとう。エミにそんなこと言われて……嬉しい」

 ぽろりと、また涙が流れた。もしエミと柚希がいなかったら、ここまで頑張れなかっただろう。

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