第50話 おおあわて 8

 港が見えてきて、古い建物の中を抜けると赤や青や金で飾られた門が見えてきました。その門の向こうはクルマが一台通り抜けられるかわからないほど狭い通りです。がくっと速度を落として門を潜り抜け、しばらく走ったところを耕一が指示して、歩くより遅いぐらいの速度で路地に入りました。

「ふー」

 やっとみんな息がつけたのです。

 八百屋や魚屋が並ぶ中を歩く人たちに邪魔もの扱いされながら、しばらく走ると駐車場がありました。五台分ほどのスペースがあって砂利が敷かれています。その向こうはブロック塀と朱塗りの壁。お店の裏側なのでしょう。ガランとした空間にクルマを入れます。

「いいのか、ここで」

 魚屋が指差しています。ブロック塀に大きく赤いペンキで「宴会場 中華料理 大安飯店専用」と書かれているのです。

「いいんだ。そこへ行くんだから」

 クルマを降りると、たちまちこれまであまり嗅いだことのない香りに包まれました。油でしょうか。ネギを焦がしているのでしょうか。生姜かもしれません。いろいろな香辛料が爆発でもしたのでしょうか。カンカンという金属的な音や、聞き慣れない言葉の怒鳴り声も響きます。

 人とぶつからないと通れないほど狭い路地に入りました。そこここに、もやし、キャベツ、白菜、蟹や海老や肉が置かれていて、溝に水が流れ、あふれそうなゴミ箱が並んでいます。いろいろなお店の裏口が並んでいて、開け放たれたドアの向こうでは、中国語の怒号が飛び、大勢の人たちが料理をしているのです。金属音は黒い中華鍋を扱うときに出る音で、ジャーッと油が悲鳴を上げ、さまざまな香りが飛び散っていくのです。

 しゃがんでタバコを吸っている若い料理人が二人、ぼくたちを知らないフリをして通してくれます。

 耕一は「やあ」と声をかけて、厨房へ入っていきます。数人の男たちが怒鳴りながらたくさんの材料を切ったり、茹でたりしています。大きな包丁。千切りになった野菜。皿に盛り付けられる料理。外の蟹や海老は青黒かったり灰色っぽいのに、皿の上では鮮やかに赤くなっていて、絵に描いたようです。

 ギロッと鋭い目を向けられます。

 太ったグレ太たちは「あら」「ごめんなさいね」などと言いながらぼくを支えるようにしてついてきます。

 ふと気付くと店内に入っていました。激しい音や怒号はほとんど聞えなくなりました。香りはより穏やかに食欲を刺激します。あでやかな赤や金や緑や青のドレスを着た女性たちが、空いた皿を下げたり、お茶を運んだり、山盛りの料理をテーブルへ届けたりしています。

 食器の音。穏やかな男の人の声が、彼女たちになにかを指示しています。

 丸いテーブルが並んでいますが客はいません。

 間仕切りに使う木製の屏風が並ぶ中を、縫うようにして進む耕一。しかたなく後をついていくぼくたち。

 ニオイがします。中華まんのニオイ。おいしそう。

 突然、そこは喧噪にまみれたホールとなっていました。高い天井。明かり取りのくもりガラスから長いテーブルへ白い光が落ちています。

 そのテーブルには二十人ぐらいの男たちが並んで、大声で知らない言葉でしゃべりながら、酒を飲み、食事をしていました。

 見上げると、湯気やタバコの煙が薄ぼんやりと反射する中、大きなプロペラのようなものがゆっくり天井で回っています。

「なんだ、朝鮮人。こんなところで、なにをしている」

 太く低い声。長身のヒゲを生やした男が立ち上がりました。ほかの連中はまったくこっちに興味がないようです。手でエビをむしって食べています。揚げた鳥肉にかぶりついています。赤く彩られた豚肉をつまんでいます。肉まんのような白い饅頭も山盛りです。

 長身の男は、ヒゲだけではなく髪の毛も天をつくように盛り上がっています。巨大な毛筆のようです。

「うるせえ、支那人」

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