第46話 おおあわて 4

 父や兄のやっていることに質問してはいけないのと同じなのです。「どうして?」「なんで?」といった子供なら誰もがするような質問をしないこと。ぼくはそう育ってきたのです。

 いろいろな本を読んでいて、その意味をだいぶわかった気がしました。見えない部分は想像すればいい。それが正しいかどうかは、見えてきた部分で確かめればいい。

「どうして?」と大人に聞き「それはね」と教えてくれたとする。だけど、それが本当かどうかはわからない。簡単に得られた答えは、ウソかもしれないのです。ウソではないにせよ、相手にとって都合のいいことです。

 見えていてもウソかもしれない。だったら見えていなくても想像して推理することで正しい解答が得られるかもしれません。それこそ探偵の仕事ではないでしょうか?

 学校の先生は「戦争はいけないこと」と教えます。でも、戦争をしない方法については教えてくれません。「憲法にあるから。憲法第九条で日本は恒久的に戦争を国際紛争の解決手段としないと宣言しています」と教えてくれるのですが、相手の国はぼくたちの憲法を知らないかもしれない。知っていても気にしないかもしれない。

 それに、日本は警察から発展させた自衛隊があるのです。警察予備隊、保安隊、そして自衛隊。名前を変えながら大きくなっているのですが、教師は「自衛隊は軍隊ではない。軍隊にしてはいけない」と言うけど、どうすればそうしなくてすむのかは教えてくれません。

「君たちが大人になって、憲法第九条による平和国家を築いてくださいね」などと言うけれど、やり方はわからないまま。

 大人たちもわからないのではないか? だから自分たちではやらず、子どもに教えるだけなのでは? 教えてやらせようとしているのでは?

 誰も憲法第九条を本気では信じていないのではないでしょうか?

 ただなんとなく、平和憲法があって軍隊がないので戦争できないんだから、これからも平和でいいよね、と信じているのではないでしょうか。

 先生たちの組合は政府と対立していました。勤務評定への反対など、教師として民主的な教育をするために進めたいことがあって、一方で政府は戦後に占領政策として導入された民主的教育よりも、戦前のこの国に前からあった教育に戻したいと考えていたので、意見は合わないのです。

 政府の考える平和と先生たちの考える平和は違う。同じ憲法の下に生きているのに。

 そして先生たちが生徒に実現してほしい国家は、いまの政府が考えている国家とは違う。そこを変えていくことなどできるのでしょうか。それこそ、革命がそれを実現するのでしょうか。でも、道筋のわからないことをやってみたとしても、なにも変わらないかもしれません。

 そのとき、ぼくたちはどうすればいいのでしょう。先生は責任を感じるのでしょうか。政府は? 平和憲法は? たぶん、政府も憲法も、ぼくたちのことなどなにも感じないのでは?

 こんな状態で、先生に質問をしても、その立場から出てくる答えは、先生に都合のいいものでしょう。先生に言われたことを家で親にそのまま言ったら、ぶん殴られたと怒っていた同級生もいました。

「先生の言うことを信じるなってさ」と彼は言っていました。「あいつらはアカなんだって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る