第43話 おおあわて 1
「耕一は共産主義?」
「おれは、違う。スパイでもないよ。どちらかといえば、無政府主義者、アナーキストだ」
「大杉栄。大逆事件」と呟いていました。
「聞えたぞ。浮かんだ言葉を口にするな」
「はい。ごめんなさい」
アナーキストとは、共産主義を政府なしで実現しようという考えで、本当に共産主義が浸透した国では、政府なんていらない、という考えなのです。諸悪の根源は政府と国民という対立にあって、政府をなくして、国民だけで運営することが理想のようです。
ですが無政府主義は反政府主義よりも政府にとっては都合の悪い存在なので、以前は厳しく罰せられていました。そりゃそうでしょう。いまぼくたちが尊敬している総理大臣も天皇陛下もすべて、この世からなくそうとしているのですから。
信じるものが失われることは、信じている人にとっては耐えがたいことです。アナーキストはいつの時代でも、なかなか理解されない存在に違いありません。
「アナーキスト耕一」とわざと呟いてみました。
「俊ちゃん、それそれ。おれだからいいけど、頭で浮かんだ言葉を不用意に口にするんじゃないよ」
耕一が笑ったので、ぼくも笑いました。
「俊ちゃんの頭の中には、爆弾が詰め込まれているんだ。用心してくれよ」
そもそも、アナーキストを持ち出したのは耕一です。電話に出る前にそう名乗ると言ったのです。でもぼくが口にするのはダメ。
言論の自由を憲法が保障しているこの国では、なにを言ってもいいのですが、それでも自分でアナーキストと宣言するのは勇気がいるはずです。耕一のふりをしようとしている人には難しいことかもしれません。
「これだけは覚えておいてほしい。共産主義を選んだ人たちだけの国なら政府は必要ない。それはわかるよね。君を共産主義にしようと思えば簡単だ。でも君がそれを望んで選択しなければ意味がないんだ。この違いは、わかるかな?」
「無理やり思想を押しつけても納得できない人は出てきます。その人たちは反発します。自分で選ばないといけないって、そういうことですよね?」
「そう。反政府や無政府を主張する人たちの中には、思想を完璧に理解した少数の者たちで革命を起こして、そののちに大衆に教育することで浸透させればいいと思っている人たちもいるんだ」
「どうして?」
「そうしないと世の中が変わらないと思っているからさ。早く自分たちの信じている思想に基づく国にしなくては、未来がないと考えているわけだ」
「そうなんですか? 未来はない?」
「俊ちゃんはどう思う?」
わからない、という答えはこの場合は意味がなさそうでした。だから黙りました。
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