第42話 ひもづける 6

 耕一は鼻を鳴らして笑いました。

 そうか、そういうルールがあるのか。

「俊ちゃんの頭の中に入っている言葉を、誰にどう使うか、いまはまだ、理解していないだろう。だからいまはしゃべるな。思いついても口にするな。頭の中の言葉を適当に使ってはいけない。表と裏の関係をもっと知ってからだ」

 しばらくぼくたちは静かにしていました。外でほかの船の上から、いろいろな音がしてきます。板の上を歩く音ばかりではありません。ポンプを動かす音もします。声も聞こえます。男、女。笑い声。怒鳴り声。遠い汽笛。

「この運河にある船の中には、暴力団のものになっているのもある。賭け事で負けて取られたりしちゃった船だな。女の子たちが乗っていたあっちの船は、お金さえ持っていればどんな客の相手もするし、麻薬も売っている。船底はちょっとした阿片窟だ。ほかにも闇で違法な物資を売ったり買ったりする。米軍の横流し品、盗品、拳銃とか弾とかね」

 思わず唾を飲み込むと、ゴクリと喉が鳴りました。

「小金町へ行く途中には、よく知られた阿片窟や闇の賭場がある。賭場にはルーレットやポーカーテーブルまである。そこには暴力団だけではなく、さまざまな国の人たちがやってくる。世界中の紙幣や金貨がやり取りされている。お金だけじゃなく、情報も取り引きされている。表向きには立派な肩書きを持つ人も来る。市庁のあるあたりは知ってる?」

「一度、行ったことがあります」

 石造り、レンガ造りの明治時代から残る大きな建物が並び、道も広くて舗装されています。県庁、市庁、銀行、博物館などなど。そういえばこの港は日本で最初に公式に開港して、毎年六月に開港記念日を設けて祝っています。市立の学校は休みになるのです。古い市庁舎、県庁舎、外国の大きな客船がやってくる大桟橋、そのあたりに広がる洋風の公園、古い船、外国人が住んでいた地域にある洋風の墓地なども遠足で行く場所でした。

「古い港町だからな。市庁舎の裏当たりに『赤いランタン』という店がある。夜だけ開いている店で、日本人の経営するバーだ。そこには客の相手をする女たちがいる。あっちの船と違って、ここは高い。ケタ違いだ。金持ちしか相手にしていないんだ。女の子は日本人と朝鮮人、あとは外国人との間に生まれた子とかだなあ。みんなキレイで言葉遣いもちゃんとしている。英語とかフランス語ができる子もいる。昼間はちゃんとした貿易会社で仕事をしていたり、外国語の教師をしていたりするんだ。そこでは、もっともっと重要な情報が売り買いされている。たとえば、自分の国の政治に不満を持っているアメリカ兵が客としてやってきて、情報を女の子を通してソ連に売ったりする」

 喉が渇いてきましたが、ジュースはもう残っていません。水を取りに行きたいけど、その前にトイレにも行きたい。

「わかるね。日本人の女の子。どこにでもいそうな女の子が、ソ連のスパイと通じて、米軍の動きを聞き出している。たぶん、アメリカのスパイもいるだろうね。ソ連のスパイと通じている米兵を見つけるためにね」

「見つかったらどうなるんです?」

「殺される……。ことは少ないだろうね。もしその米兵が役に立ちそうなら、ソ連のスパイを見つけるために使えるからね」

「どうやって?」

「米兵に圧力をかけて、ソ連のスパイと通じている女ともっと深い関係になって、彼女の周辺の人たちを探っていく、とか」

 耕一は裏に詳しいだけじゃないのです。もっとたくさんのことを知っている。彼は探偵でありスパイなのかもしれません。でも共産主義というわけではないのかもしれない。だってケインズの本もいっぱいあって、アダム・スミスの本もあったから。資本主義についても詳しいのです。

 だとすれば、耕一の正体はいったい何者なのでしょう。

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