第34話 おにごっこ 5
大きな手押しポンプを彼が体重をかけて上下させると、船の横から水が川へ。気分が悪くて嘔吐するみたいにゴボゴボと落ちていきます。
「この船は木造だし、このあたりでも古い方だからな。沈んだら終わりだ」
「動くの?」
「ハシケってのはな、でっかいエンジンをつけたタグボートに繋がって引きずられるだけなんだ。自分じゃ動けない。沖に貨物船が来ると、ハシケがいくつも群がって、いまそこの屋根になっているところが開いて、船の中に荷物を下ろす。いっぱいになると引っ張られて港に戻る。大勢の荷役の人たちがやってきて荷物を陸にあげる」
「仕事なんですか?」
「この船はもう何年もここから一歩も動いていない。ハシケは時代が変わって用済みになったのさ。この船の所有者から借りているんだ。港湾の組合員じゃないと使えない決まりがあってね。電気も来ているし、貨物を置く場所も部屋にしちゃってるし、こうして屋根をつけちゃってるからね。動くことなくここで終わる船だよ」
ぼくは暮れていく運河を見渡します。するとあちこちのつながれている似たような船に、人影がありました。みんな板をギシギシ鳴らして、足音を立てて、綱渡りでもするように両手を左右に開いてバランスを取りながら川縁から船へ乗り込んでいます。キャーキャーとはしゃぐ女の子の声もしています。
なんとなく美枝子のいた、同じような建物ばかりならんでいた地域を思い浮かべていました。見た感じ、同じような住処には同じような人たちがひしめいていたりするのでしょうか。
「このあたりの船はみんな家として使っているだけだ。ハシケで仕事をしていた人たちの持ち物だ。ここから学校に通ってる子もいるよ。水上小学校ってのがあってね」
「水上?」
「いや、学校は山手の方にあるんだが、水上生活者向けって意味だよ。戦前からある。この頃は陸(おか)の住宅に引っ越す人が増えているけどな。いつかこういうのも、なくなるんだろう」
「あの人たちは?」
数人の女性たちが笑いながら船に乗っていくシルエットが見えます。
「ああ」
耕一は、少し考えてから「船で商売をしている人も多いから、近づいちゃダメだ。商売の邪魔をしたら怒られるぞ」と言います。
どんな商売をしているのか、ぼくは聞きたかったけど、聞いちゃいけない雰囲気でした。
狭い穴のような入り口。ハシケの中は温かく、天井は低く、海の匂いがしています。カビ臭くもあります。
オモチャのような台所。オモチャのようなテーブル。オモチャのような寝床。思ったよりも狭いのです。船で暮らすといえば、豪華客船のような狭いながらも西洋式の夢のある部屋を思い浮かべます。でも、ここは穴倉よりはマシ、という印象です。
湾曲した船の形に沿って、耕一はたくさんの本を木箱に入れて並べていました。
「そこにパンがある。水はそこ。コップはそれ。ジュースはあとで買って来てやる。いまから店に戻って様子を見てくる。クルマも取ってこないとな」
「えっ、ぼく、一人で?」
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