第33話 おにごっこ 4

 冷たい風が吹いていて、不気味です。海の匂いがしています。生ゴミのような臭いも。

 心細くなってきました。靴もぶかぶかで脱げそうです。

 耕一は、ぼくの手をぎゅっと握ったまま走り続けるのです。大きな手。長い指。ゴツゴツしているけど温かい。

「ねえ、もういいでしょ!」

 足がついていけないのです。

「放してよ」

 聞こえているはずですが、チラッとぼくを見るだけで無視されます。

「もう、走れないよ!」

「あの橋を覚えておけ。鶴亀橋だ」

 運河にかかった石造りの橋の上を、街灯が照らしています。そこをオート三輪がのんびり走っています。橋は少し中央で盛り上がっているので、エンジンがバリバリと音を立てて、ようやく渡っていきます。荷物を載せすぎているのでしょう。

「いいか。鶴亀橋のこっち側は港も近いし、働く人たちが大勢いる。だけど、橋の向こう側は小金町まで、運河沿いはとっても危険な場所だ。暗くなったら絶対に一人で行っちゃいけない」

「えっ?」

 安全な場所に逃げるんじゃないの? なんでわざわざ危険な場所へ?

「危険といっても、あとで教えることを守れば、俊ちゃんには安全な場所になる」

 橋を横切るとき、その道はかなり広く、夜でもトラックや自動車や自転車で引っ張るリヤカーが行き交っていることがわかりました。

「向こうは古い港町。市役所とか映画館がある。こっちは新しい港町。トラックが多いし、気の荒い連中がいっぱい働いている。子供のうろつくところじゃない」

「さっきの建物は?」

「印刷所。チラシや雑誌を印刷している。朝も夜もなくね」

 堤防沿いに細い道を歩くと、堤防はしだいに低くなり、淀んだ運河にはたくさんの船がつながれているのが見えてきました。それが、まるで体を休めている怪獣のように見えます。

「ハシケ。だるま船。似たような船ばっかりだから、よく覚えておけ」

 背の低い電柱。上には電灯がオレンジ色に光っています。電柱に誰かがハケでさっと塗ったような黄色いペンキ跡。この電柱から電線が伝わっていく先に船があって、堤防から板が渡されています。

 耕一の手を借りてちょっとした段差となっている堤防の上に乗ります。堤防の上は砂利の埋まったコンクリートで、人が歩けるほどの幅がありました。

「こっちだ。少し揺れるぞ」

 板は闇の中に黒々としている船と堤防をつないでいます。しっかり固定されているわけではなく、のっけているだけらしく、歩くとギシギシと鳴ってたわみながら、気持ちわるく上下に揺れます。

 落ちれば墨汁のようにドロッとしている川へ落ちます。そこから這い上がることは自力ではムリそうです。

「これがおれの住処だ」

 すみか。その言い方がおもしろく、確かに船なので家ではないし。隠れているわけでもないのだから隠れ家でもないのでしょう。

「これが水のタンク。飲料水は定期的に水売りが来るからホースでここに入れる。これはポンプ。船ってのはどこからか水が漏れてきて船底に溜る。ビルジって言うんだが、それをこいつで時々抜いてやるんだ」

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