第32話 おにごっこ 3

「だから、そんな子ども、見たことも聞いたこともないって言ってるでしょ!」

「そうよ。これ以上、お店に入ってきたら警察を呼ぶわよ」

 グレ太とガル坊がまくしたてています。

「中を見せてくれ、と頼んでいるんだ。これ以上、困らせるなよ」

 聞いたことのない男の声です。冷静なようですが、なにしろグレ太たちが興奮しているのでケンカしているようにしか聞こえません。物音を激しく立てているのもグレ太たちなのです。それは、ぼくたちを逃がすためです。二階の音を彼らに聞かせないためなのです。

 あれは父じゃない。

 もし父がそこにいたとしても、味方なのかどうかわからない……。

 突然、ぼくはそれを悟っていました。父にも母にも兄にも妹にも、頼れないかもしれない。だって、ぼくを探そうともしていなかったのだもの。探すどころかどこかに消えてしまったのだもの。

 手を引かれて、隣りの部屋へ入ると、そこはグレ太たちの寝室らしく、大きなベッドに、花柄のふかふかの布団がのっていて、壁沿いにはたくさんの派手な衣装がかけられて、雑然としていました。

 でもそれは、とても豪華な巣でした。美枝子との「冬眠ごっこ」をしたくなるような、気持ちいい夢が見られそうな部屋でした。

 その窓を開け放つと、耕一はさっと窓の向こうに出ました。屋根の上。

「来い」

 なんとか窓のへりに手をかけて体を持ち上げようとしたのですが、ドレスが邪魔をします。見かねて耕一がしっかりとドレスの一部を掴んで引っ張り上げてくれました。

 スレートの屋根は傾斜が緩く、隣りのビルがすぐそこにあります。そのビルの非常階段に耕一はぼくを抱えて飛び移りました。

 怖い!

 そう思ったときには、ドンと鉄板でできた踊り場に倒れていました。耕一がぼくをかばうように上に伏せています。

 しばらくそうして、誰もぼくたちに気付いていないことを確認しました。

「よし」

 彼は堂々とビルのドアをあけて、中に入りました。

 まぶしい蛍光灯。驚くほどの人がそこにはいました。灰色の作業着姿の人たち。

 インクの匂いです。真新しい本のような。

 緑色に塗られた床。いくつものパレット。大きなエレベーター。そこからパレットに積まれた品物が上がってくると、人々は台車に荷物を移し替え、床に白い線で仕切られた場所に運んでいます。

 耕一は誰とも目を合わせず、彼らもぼくたちには無関心です。

 フロアを堂々と歩いていくと、反対側にある内階段を降りました。作業着姿の人や背広を着た人など数人の人たちとそこでもすれ違いましたが、誰もぼくたちのことに興味を持ちません。忙しいのです。

 重い鉄の扉を開けて外に出ると、倉庫の裏手になるらしく、運河に沿った狭い道に出ました。自動車は入れないほど狭い道です。

 雑草が生えて、コンクリートの板が敷き詰められた歩道。ぼくの背丈ぐらいある堤防が運河に沿ってずっと続いています。

 辺りはほとんど暗くて見えません。遠くに街灯があります。

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