第29話 わからない 5

 ぜんぜん楽しくない。でもおいしい。いままで食べた中で一番、おいしい肉です。

 涙が止まりません。

「この店はアメリカの、西海岸の店の真似だからね。なんでもデカいんだ。アメ公もよく食べに来るらしいけど、おれに言わせると、港あたりの高いレストランよりうまい。船乗りなんてやつは、食い物なんてどうでもいいんだ。酒と女だものな」

 慰める言葉も思いつかないのでしょう。耕一はぼくから目をそらせて、なんの関係もない話をしてくれています。

「もちろん、船乗りは世界中を旅しているから、いろんな美味いものを食っている。だけどな、よく考えてみろ。やつらの舌は、船のコックのものだ。陸にいるより海にいる方が長い。だったら船の味に慣れなくちゃ生きていけない。とびきりすごい腕のコックが乗っていたとしても、いろんな国の港で積む材料はバラバラだ。うまいものばっかりってわけにはいかない。味付けだって、コック一人じゃ限界がある。そんな連中に、料理の味なんてわかるもんか」

 悔しいのですが、ぼくはこのハンバーグと目玉焼きと付け合わせのポテトを一生忘れないでしょう。ものすごく美味しくて、涙を拭きながら食べ続けたのでした。

「さて、どうするか。考えないとな」

「美枝子の家に行けばいい! 美枝子に会いたい!」

 ぼくは唐突に耕一に彼女の存在を強調したのです。

「落ち着け」と耕一は声を潜めました。「おまえ、まだわかってないな。おまえが行方不明のまま、おまえの家族は消えたんだぞ。それだけでも大変なことだ。いま、この日本で起きてはならないような事件だ。おまえは誘拐されて倉庫に放り出されていた。それだって明日の新聞にデカデカと記事になるようなとんでもない犯罪だ。ちょっと調べればおまえの同級生も誘拐されて殺され、その家は爆破されたことがわかる」

 耕一の真剣な目に圧倒されました。

「だけど、ニュースになっていない。おまえの同級生の事件はしばらく話題になったが、遺体が見つかったあとは犯人も背景もわからないまま、世間は忘れそうになっている。こういう場合、裏でものすごく大きな力が働いているかもしれないんだ。その力は、簡単におれたちを消せるぐらい強いかもしれない。あっちこっち突っつき回ったら、命にかかわるかもしれない。慎重にやるんだ」

 食べ終わり、「トイレに行って来い」と言われトイレに行ったら、角刈りの体格のいい外国人の若者が大声でなにかをしゃべりながら小便器の前に立っていました。アメリカ兵でしょう。あくのを待っていたら、手を洗った彼らがぼくに笑いながらなにか声をかけたのですが、何を言っているのかわかりません。返事もできませんでした。そもそも彼らは期待はしていなかったようです。店内へ戻っていきました。

 誰もいないトイレで用を足し、手を洗います。鏡には泣きはらした目をしたガキが一人。情けない。さっきのアメリカ兵ぐらいの体格で、耕一のように頭を働かさなければとても探偵にはなれそうもありません。ものすごく大きな力に立ち向かうことなんてできません。

 でっかくて頑丈な大人になって、悪いやつらをバンバン跳ね飛ばしながら、父母を見つけ出す……。美枝子と再会する……。

 ぜんぜん、できそうもありません。

 店に戻ろうとしたら、耕一がトイレの近くまで来ていて「まずい。裏から出よう。お金はもう払っているから」と言います。

「なんで?」

「黙ってついて来い。用心のためだ」

 ぼくたちは裏口から店の外に出て、駐車場へ行きました。車に乗り込んだら、「ほら、あれ」と耕一が指差します。店内から八人、スーツにネクタイをした男たちが出てきました。全員短い髪を七三に分けて、目つきは鋭く、がっちりしています。

「臭うな」

 よくわかりませんが、耕一はゆっくり車を出し、道路に出るとアクセルをしっかりと踏み込みました。

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