第15話 かしこそう 4
「残念だ。こんなことになるなんて」と兄はつまらなさそうな顔をしています。
兄は関係しているのです。なにかを知っているのです。
もっと探偵の勉強をしておけばよかった。そうすればいまここで、兄を問い詰めることだってできたのに。
「帰ろう」
家に着くと珍しく母がいて「ちょっと、どこに行ってたの。忙しいから、あなたたちも手伝って」と言われました。
割烹着姿の母は凛々しく、煮物のいいニオイが漂っていて、思わず母にしがみつきたくなりましたが、もうそんな子供じゃないんだ、と自分に言い聞かせて我慢しました。
兄とめったに使わない大きな鉢や皿を物置から出して、ところどころ切り抜かれた古い新聞紙をはがし、流しで洗います。
ガラガラと玄関が開く音がして、父までもが早く帰ってきました。
「おう」と声がして「大変だな、小林さんのとこだろ」と黒いフェルトの中折れ帽を取ると、ぼくの仕事なのでそれを両手で受け取って帽子掛けに引っ掛けました。
「そうなのよ。お通夜をやるって、さっき隣りの吉田さんが来て教えてくれて、何人かで炊き出しすることになったの。あっちに引っ越して間がないでしょ。私たちで手伝ってあげなくちゃ」
「ご苦労様」
「運ぶの、手伝ってよ」
「うん。わかっている」
父はグレーの上着、白いシャツとズボン姿です。電車でタクシー会社へ行き、そこで紺色の制服と白い帽子をかぶって仕事をし、また着替えて帰ってきます。白から黒へ、黒から白へ。
一晩中、仕事をして、朝に戻ると洗車をしてから帰ってくるパターンが多く、朝に父がいないときは、夜中に帰ってくるパターン。今日はそうだと思ったんですが、途中で引き上げてきたのです。
「だけど、犯人もわかっていないのに、通夜とかするのか?」
「なに言っているの、事故でしょ。そう聞いたわよ。明日、火葬場に運ぶって」
「事故じゃないよ。昼のラジオで言っていたぞ。顔がわからないほど叩き潰されていたらしい」
「えっ、そんな、恐ろしい……」
「このところ、妙な事件が続くね」
誘拐、そして殺人。
「どこもかしこも人が増えてるからなあ。向こうの山も造成してるだろう。売り出しているんだって。このあたりの倍ぐらい高いらしいよ」
住宅地がどんどん南へ広がり、いろいろな地域からたくさんの人が移り住んできます。そして物価もどんどん上昇しています。
「新幹線の方にできた公団の団地のせいよ」と母。「地方の炭鉱とかで失業した人とか大勢、来ているらしいわ。父兄会でいつも問題になるのよ」
「どうして。悪い人たちじゃないよ」
「だけど、このあたりの学力とぜんぜん違うらしいし、同じ学年に入るとついていけないんだって。塾に行く子は少ないらしいし」
「そりゃ、慣れない土地に来て慣れない仕事についているんだから」
通夜にはぼくたち兄妹も出ました。学校へ行くような格好をした美枝子がずっと泣いていて、となりに喪服を着た八千江がいて、そのほか親戚らしき人たちが数人来ていましたが、みなちょっとおっかない雰囲気でした。
「刑事だ」と兄が小声で教えてくれ、焼香をしているスーツの体格のいい男たちを見て、ドキドキしました。
刑事。探偵。事件。それがこんな身近なところで交錯するのです。ぼくは探偵だと名乗ることはできません。ぜんぜん探偵なんかじゃないし。だけど、勝手に事件は起きてしまう。
兄は八千江としらじらしく知らないふりをして対応していました。
うちに刑事がやってきて兄になにかを尋ねたらどう答えるつもりでしょう。
ですが、その顛末をぼくが知ることはありませんでした。
なぜなら、ぼくは誘拐されてしまったからです。
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