第12話 かしこそう 1

 最初は似ているだけだと思ったのですが、「小林です」と、その女性が名乗ったので間違いありません。彼女は美枝子の母親なのです。

 ぼくを見ても彼女はなんとも思わないのか、平然としています。にこやかに「賢そうな弟さんね」とそれほど興味もなさそうに言っています。

 嘘。すべてが嘘っぱち。

 そもそも兄はどうして美枝子の母親とこんなに親しいのでしょう。

「克彦さんには、いろいろと相談に乗ってもらって、ほんとうに助かっています」

 すぐにでも帰りたくなりましたが、彼女はチケットを購入してくれて、ぼくたちは映画館に入りました。モナカのアイスを買ってくれたので、予告編に夢中になりながら、しばらくはなにもかも忘れていました。

 特報、完成迫る!、巨匠、メガホン、制作費、撮影快調、超大作、問題作などの言葉がくるくる回って画面に飛び交っていました。

 そうした映画はぜんぜん見たくはないのですが、予告編はとてもいいものです。毎日、朝起きるときに、ぼくのための予告編でも流れたら楽しいだろうに。

 美枝子と押し入れに! 繁雄の誘拐犯は? 兄はどうして? 俊はいつ勉強をするのか? 宿題がついに完成か?

 やっぱり自分の予告編はいらないかな。

 暗いまま、一拍置くようにして画面サイズが変わっていよいよ本編になると、眠気がやってきます。

「出るよ」と兄に肩を揺すられるまで、ぐっすり眠っていました。

 手にべっとりとほんの少しだけ残っていたモナカアイスの溶けたものがついていて、兄はハンカチでそれを拭い「洗ってこよう」と言いました。

 目が醒めても美枝子の母親はそこにいて、口元をなぜか白いハンカチで隠しているのでした。

「お化粧、直してくるわ」

 彼女は手洗いに行き、ぼくたちも反対側の男用のトイレへ行きました。

「美枝子のお母さんでしょ?」

 思わず兄に確かめていました。ぼくは手を洗い、兄はハンカチを洗っています。甘いバニラの香りとトイレの強い消毒液のようなニオイが混ざっています。好きなニオイだけを選ぶことはできないのです。

「うん? そうだね。そうか、彼女の娘さんは俊と同級生だったね。話をしたりするの?」

 話どころか、一緒に泥濘の道を歩いて、現場から戻ってくる兄を目撃したり、押し入れで笑いながら楽しい時間を過ごしたり(美枝子はそれを「冬眠ごっこ」と呼んでいました)したのです。

 このときのぼくにとって、美枝子は誰よりも親しい人なのでした。

「八千江さんはね、旦那さんが行方不明になってしまってね」

「えっ」

 そういえば、美枝子をしかりつけるときに、「私が一人で育てているから」と言っていたような気がします。

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