第7話 はしたない 1

 あの頃、兄はなにを求めていたのでしょう。

「先祖に一人ぐらい天才がいてくれたらなあ」とつぶやいている兄がいました。ぼくに言ったわけでもなく、天井に向ってつぶやいていました。

 事故が起きる前までは、兄は多才ですごいヤツでした。勉強、行動力、決断力、腕力とすべてにおいてぼくはまったくかないませんでした。七つも年上なので当然ですが。

 ぼくにとって、兄は忌まわしいライバルであり永遠に勝ち目のない敵だったのです。物心ついたときから、プロレス、柔道、空手の練習相手にされてきました。

 なにも教えてはくれず、ただ技をかけられるだけ。

「痛い?」

 そう聞かれても声も出ないことが多く、「おまえ、技の掛け甲斐がねえよ」と言われたものです。

 弟のぼくに備わっているのは我慢。かっこよく言えば忍耐だけで、あらゆる能力は兄にあってぼくにはありませんでした。スポーツ万能、読み書き算盤、かっこよく女子にモテて、あの頃町内に一人はいた「その町の裕次郎」でした。裕次郎というのは、人気の映画俳優です。

 兄としては長嶋茂雄に憧れていたかもしれません。聞いたことはありませんが。

 三年前。兄は中学生になってさらに活動範囲が広がり、意気揚々と毎日を送っていました。秋には地元の野球チームの試合があって、小学生の頃から四番でピッチャーだったのです。

 中学になってからは足を生かすため一番でショートになりました。それを兄はとても気に入っていて、守備でもかっこよくゴロをさばいていたものです。

 そして事故は起こりました。

 なにがあったのか、わかりませんでした。当時はみんなの目と記憶しか頼れるものはなく、病院に運ばれて左の膝を複雑骨折していることがわかった頃になって、ようやくおおよそのことがわかりました。

 バッターはゴロを打ち、ショートの兄はかっこつけてピッチャーの横まで突っ込んでボールをキャッチしようとしたのです。

 そこに、すっぽ抜けたバットが飛んできました。周囲の人はそれが見えたのです。でもちょっと難しいバウンドをしたボールに集中していた兄には見えませんでした。

 すぐ横にいたピッチャーが「危ない!」と叫んだところで、なにが危ないのかもわからなかったでしょう。

 気がつくと、兄の足に絡まるようにバットが直撃、兄はふいをつかれて空中に飛び、鮮やかに着地すればかっこよかったのでしょう。でも、兄は中学になってからみるみる体が大きくなっていたことを忘れていたのかもしれません。着地時に、自分の体重もかかってバットをはさみ込み、複雑骨折になってしまったようでした。

「誰が悪いのでもない」

 監督は病室でそう言ったのですが、兄はそれから泣き続け、治療もその後の回復もなかなか大変で、正月も暗く沈んだものとなりました。

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